第56章 デール
「夜の道、暗い底、何物にも照らされない恐ろしい終焉」
オデュッセウスがデールに向って駆け出すとデールは例の文句を繰り返した。
そして再び暗がりの中へと陥った。
オデュッセウスはすでにこの暗がりを払う術を持っている。
「冥破る光輝の右腕」
暗がりの中でそれを振るった。
その暗がりは打ち払われた。
オデュッセウスは教会の中にいた。
だが、目の前にデールは居なかった。
「人は暗闇の中では何も得られない。時間さえも失ってしまうのです。だが、いずれにせよその暗がりの中でも時は流れる。貴方に時の流れは見えますか? わたしには見えています。風の流れによる木々の揺れ、海の波による崩れ行く波頭、色の濃淡を表す空、あらゆるものが時の流れを映しますが人は時の流れそのものを感じる事は出来ないのです。
貴方も同様だ。暗がりの中で時を失う。目に見えるものは掻き消え、耳に聞こえるものは溶かされる。あらゆるものが貴方を避けていく。だが、わたしには見えている。時が、その行方と進む方向が。夜の道、暗き底、何物にも照らされない恐ろしい終焉」
再びオデュッセウスは暗がりの中へと押し込まれた。
「くそ」
逃れる術はなかった。
全てデールの術中だった。姿を隠したのもこれを行うためだろう。
「冥破る光輝の右腕」
唱えて右腕を輝かせる。先ほどと同じように拳を振るったが闇は払えなかった。
『どういうことだ?』
『より深く、より暗い場所へと落ちたに違いない』
『別の祝福が必要だ』
オデュッセウスは左腕に「光掴む不撓の左腕」と祝福を授けた。
左腕が光を帯びる。
その左腕はその冥を払った。
「よし」
教会の中へ戻るとオデュッセウスは屍の軍団に取り囲まれていた。
「目をつぶりなさい。耳を塞ぎなさい。そして忘れるのです。貴方の火の熱さを、傷の痛みを。そうしていれば貴方は貴方こそが培った日々を思い出せるでしょう」
「断る」
「悲しいですね、本当に悲しいですよ」
屍の軍団がオデュッセウスに襲い掛かってきた。
剣を振るい、槍を突き、鎚で打ってくる。
「旋風ノ脚」
両足に風をまとって踏み込むと教会の床から爆風が巻き上がって全てを薙ぎ払った。
長椅子が宙に浮き、真っ二つに両断されていく。屍の肉体も見るも無残な姿に解体されていくが死ねない身体の屍たちは解体されてなおも動いていた。
デールの姿はない。
オデュッセウスは屍の軍団を相手にするのを早々に切り上げてデールを探した。
「もう説得も納得もあり得ない。手を取り合えるとは言わないまでもその矛を収める事は出来たかもしれないのに。貴方はまたひとつの道を失ったのです。貴方がそれを決して見ようとしないがために」
「ふん、その未来が見えていたはずだ。決して得られないものだと分かっていたはずだ」
「ええ、そうですよ。そうなのです。ですが、人は不可能へと挑戦するものでしょう。より良い関係を望むものですから。わたしも望んでいたのですよ。わたしが見るこの暗い深い底に生命を送り込む事は最後まで否定したかった。ですが、しなければならないようです」
「うわ言しか言えないのならもう隠居しておけ。引導をここで渡してやろう!」
「夜の道、暗き底、何物にも照らされない恐ろしい終焉、そして………」
再びあの暗がりへと呑み込まれた。
「くそ、何度も何度も」
オデュッセウスはすぐに「光掴む不撓の左腕」と唱えると左腕に祝福を与えた。
左腕を振るって冥を払った。
彼は左腕を払った勢いに乗ってデールを追うために教会の中に戻ったつもりだったがそこはまた別の冥だった。
「なに?」
祝福の輝きは消え失せて暗がりは紛れもなく暗闇だった。
オデュッセウスは再び左腕に祝福を与えようと「光掴む不撓の左腕」と唱えるのだがそこに祝福は現れなかった。
見ると左肩から先が消えている。
あの時に初めてこの闇に飲み込まれた時のような感覚だった。
『闇が濃くなっている。冥の更なる深みへと突き進んでいるぞ』
『照らされる物がなく祝福も意味をなさない夜の道』
『関係ない。闇を払うんだ』
彼は残った右腕に「冥破る閃光の右腕」と名付けると祝福を与えた。
輝く右腕が冥を払う。
教会に戻ってきていた。
屍の軍団は周囲からいなくなっていた。真っ二つに引き裂かれた長椅子の残骸が隅に残されている。
とにもかくにも屍の軍団がそこから退く分だけの時間だけは過ぎ去ったのだ。冥の中にいたがゆえに感じられない時間の流れがある。
「分かりましたか?」
デールが言った。
「何の事だ?」
「【冥より冥へ】という言葉の真実が」
「知らない。打ち破って出て来たぞ。打ち破れるのなら過ぎ去る闇に過ぎない!」
「ええ、もうそれもないでしょう。最後です、全てを忘れて道を歩みませんか? 冥なき道を、暗がりのない光の道を」
オデュッセウスは立ち止った。声の出所を探す事を止めてしまった。
「言ったはずだ。我らはすでに欲しいものは得ている。十分なほどに。その光さえあれば十分だ。それで全てが足りるんだ。お前に言っておく。身体の感覚を、意志をいくら奪ったところで奪われない物がある!」
彼は右の拳を握りしめた。
「今、理解した。我らを突き動かすのはすでに憎しみだけではなくなっている。ゆえにお前たちを討つんだ。今、この闇を持つ貴様を討つ!!」
さっきよりも多くの屍がオデュッセウスに襲い掛かってきた。それら全てを薙ぎ払うつもりで「水錬宝刃」と唱えるとデールがまた例の文句を口ずさむ。
「さようなら、貴方の事は忘れませんよ。夜の道、暗き底、何物にも照らされない恐ろしい終焉、冥より冥へ、至るはこの世の地獄」
オデュッセウスは【岩の王】で自らの前に屍たちを阻む岩の壁を作り上げた。
だが、彼はもう永遠に繰り返す冥の中へと突き進んでいた。




