第51章 冥より冥へ
『なぜ?』
この問いに答える者はいなかった。
獣は自ら答えを見つけるしかなかった。
『だが、もう遅い』
彼はすでにほとんど髪の毛一本ほどの存在しか残っていない。
だが、それなのにその一本分ぐらいの存在は確かにそこにあるのだった。
『神の手によって作られた』
『転生者たちが俺が入るべきだった肉体を奪ったがゆえに落とされた』
『転生者によって作られたのか、あるいは神によって作られたのか』
『転生者という存在を許した神によって定められたのだ』
『神という見えざる手のために見える転生者を討つのが目的となっていた』
『俺の目的はなんだ!?』
『神を焼く炎を抱いて生まれたはずだ』
『転生者を糧として全てを焼き尽くす炎を抱いてやって来た』
『あまりに多くのものを抱えすぎていた』
『今こそ!』
彼方に火が見える。それは曙のように輝いている。
次いでどしんどしんと胸の鼓動のような拍動が聞こえて来た。
炎がどんどん大きくなる。それは上の方からやって来るようにも見えたし、前からやって来るようにも見えていた。
炎の輝きが悲しい獣を照らしている。それは彼の全てを照らしていた。哀れなやせ細った肉体、寄る辺なき孤独な魂、過去なき記憶と未来なき創造が炎の煌めきに怯えながら震えている。あまりに激しい胸の痛みを伴いながらそれらを照らさないでくれという絶叫を押しのけて炎はやって来た。
燃ゆる太陽のような巨躯を見せている。焚火のようでもなく、熾火のようでもない。
暗き底にぼっかりと空いた穴のように燃えている。
獣の差し出す全てを飲み込んでそれらは燃えていた。
痩せた骨と皮だけのような痩躯へと迫る。
もうこの痩せ衰えた身ではどんなものでも支えられそうにない薄弱を感じながら獣はこの接近を許していた。
いや、もうほとんど諦めのような境地で、どんな抵抗も意味をなさないと受け入れながらこの接近を許すと彼はその迫りくる太陽の忠心に歴然と輝くあるものを見た。
『オデュッセウス』
名前だった。それはある女性があるさ迷える魂に授けた名前。
『我が名はオデュッセウス』
完全なる闇の中で失っていたたったひとつの物を取り戻した。
暗き世の中でたったひとつ張る我を取り戻していた。それはとても強い把持だった。
過去なき記憶を辿る一糸の希望。生まれ落ちた生命に与えられる誕生の祝福。
それが輝きとなると彼は暗い捨てたはずの過去に捨てずとも良かった過去を見出した。レーア、セシル、コードとの出会い。
人間を装う事を止めた。オデュッセウスはオデュッセウスだった。
『数奇なる運命を受け入れよう』
肩の荷が下りた気がした。
人間である事を否定され、埋没していく自己を慰めていた。だが、もうその手は自分を撫でるには優しさに欠けていた。もう誰かの手を取るしかない。
いかなる叫びも必要がない。
全ての因縁に決着をつけなければ次へ進めない。
あらゆる障害を目の前に見るように思った。そしてその先に見える光は微かで弱い。
彼の後ろにはたくさんの人がいた。レーア、セシル、コード、リリー、アリーシャ、ぺピン、ヴィド、アルフリーダ、ベレットが見える。そしてその群れの向こうにはアダルもヒリーヌさえもいるように見えた。
『全てを燃やす。燃やし尽くしてやる。彼ら普通の人間の生活を脅かす全てを葬ってやる。それからだ、全てはそれからだ』
オデュッセウスは決意に満ちた目をしていた。そこにはもう諦めは浮かんでいない。
『その後に人生が始まる。全ての決着を終えた後に!!』
強く拳を握りこむ。
どしんどしんと胸を叩く鼓動を感じていた。
その高鳴りがオデュッセウスに力をくれる。
『行くぞ、こんな暗がりにはうんざりだ』
彼は大きく息を吸い込むと右拳を引いて構えを取った。
『冥破る光輝の右腕』
【名付けの祝福】が祝福を与える。願いと祈りを載せて。
右拳を振るうと暗がりは裂けていた。
我に返ったオデュッセウスはリリーが展開する【花弁の上の雫】の中にいた。
彼女はオデュッセウスに身を寄せて彼が我を取り戻すように何か弱い刺激を与えようと身体の色々なところをアリーシャと一緒に撫でたり、叩いたりしていたらしい。
「オデュッセウス!!」
リリーが涙に濡れた瞳を輝かせて叫んだ。
「気が付いたか!?」
バルドウィンたちの声が辺りに響いた。
【花弁の上の雫】の中にはアダルとバルドウィン、ベレットやマヤー、リリーとアリーシャがいた。どうやら戦闘を続けていた様子だが多勢に無勢であるようで劣勢に追い込まれていたらしい。
「【冥より冥へ】を破って出て来ましたか。想定通りですよ」
大樹が言った。
「想定?」
「ふふふ、わたしには未来が見えています。お前たちが我が屍の軍団に加わる未来が。そして王都へ進軍するのです。王都を冥府の国へ変え、屍の都市とする。そして世界の覇権を握るのです。世界征服、世界を統一する王となるのです!!」
「ザロモもそんな事を言っていたかな」
「ええ、彼も同じ事を企んでいましたね。彼はクローヴィスと手を組んでいましたから目の上のたん瘤だったのですよ。ですが、今や問題はありません。これだけの軍団が揃えばクローヴィスも討てるでしょう。そしてその先にいる奴を討つのです!!」
大樹は笑っていた。
「わたしの計画は完璧だ。全てが見えている。あの男が死ぬ様子が見えているのですよ。この勝ち筋をどれだけ探していたか!!」
転生者と転生者の争いだった。
オデュッセウスはリリーたちを見た。
何かの覚悟を決めた瞳をしていた。
闘う覚悟が出来ているのだ。転生者などと呼ばれる英雄たちが覇を握ろうと争う事に自らの命と生活を守るために闘おうとしている。
彼もまた全てを理解した。
『全ての敵を討つ』
オデュッセウスはくるりと大樹とその周りに集まる屍の軍団を見やった。
誰がために闘うのか彼は今になら答えられた。決して自分のためだけではなくなっていた。
『『『『『殺せ、全ての転生者を!!!!!』』』』』




