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転生者よ、我が鎮魂歌《レクイエム》を歌え  作者: 天勝翔丸
オデュッセウス
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第50章 暗き底


オデュッセウスは微かな光さえない空間にいた。


全身に力を入れていたのは少しでも体の力を緩めてしまったら途端に全ての同胞の魂がばらばらになってしまいそうだった。この何も見えない場所で離れてしまうのはなんとしても避けたい事だった。


真っ暗な空間で過ごす事は慣れているがこの場所はかつて感じたいかなる暗がりよりもオデュッセウスが誕生したあの場所に似ていた。


『ここはどこだろう?』


返事はなかった。


『誰かいるか?』


いなかった。


誰もいない暗い空間。

たったひとりの場所だった。右も左も見えない。何も聞こえず何も触れられない。


ここを彼が誕生したあの空間に似ていると思ったのはこの孤立のためだったかもしれない。


慣れていると思っていたが彼は途端に不安になった。集まっていた同胞たちはどこへと消えたのか。また寄り集まれるのだろうか。


微かな光が灯ってくれれば何かが見えるに違いなかった。


自分の中にある炎を改めて見た。


それはかつての勢いを失った悲しい残り火に過ぎないように見える。今、目の前に見ても何も照らさない。


何も照らさないからこそひとりなのだった。もっと盛んであれば誰かがやって来る。それは人ではないかもしれないし、人かもしれなかった。あるいは魂だけという事も十分にありうる。


彼はあの大樹が口にした事を思い出していた。


「夜の道、暗き底、何物にも照らされない恐ろしい終焉」


オデュッセウスは笑っていた。

弱々しい炎、相反する欲望、先の見えない旅路を見るように思って彼は笑っていた。


それは確かに笑っていた。声も聞こえず、自分の表情や仕草が笑いになっていると自覚する事のない場所で。


何もかもが消え去っていた。

もっと深く、もっと先へ。


潜っていこうとオデュッセウスは試みた。そこには何もない。何も持っていく必要がない。だが、ただひとつあらゆるものを振り落とした物だけが残るに違いない。


オデュッセウスは望んで飛び込んだ。更なる深みを。


それはまるで海の底へと沈んでいくような感覚だった。酸素はない。他の命もない。

何も感じない無知、何も見えない暗き底、暗き底から更なる暗い底へと誘う。


どこかへたどり着いた気がした。

歩いているわけでもない。ただ身体を委ねているだけでそこへとたどり着いたのは誰かがそこへ運んだからだろう。


それはあの大樹:盲目の神父か、オデュッセウス自身かは分からないがとにかく彼はどこかへとたどり着いていた。


未来が消えていた。この先にオデュッセウスが歩むはずであった未来が消えている。旅路が無くなったらしい。だが、それがどうと言うのだろう。オデュッセウスはそれが抜け落ちた空間を見るように思った。


また更に何かが抜け落ちている。

欲望が消えていた。そう思うと弱々しい炎も消えている。


『もう何も残っていない』


ぼそりと呟くとオデュッセウスはまだそんな事を呟く身体がある事に驚いた。


『そうか。まだこんな物が残っていたか………』


そうして呟く間に身体は暗き底でまるでそこで溶かされていくように霧消していく。左足がまず消えた。次いで右足が。


太ももへと至り、胴へと伸びる。


溶けていく。自我が消えていく感覚。

溶けながらもっと深いところへと下っていく。もう何も感じられない。


オデュッセウスでは無くなる。いや、そもそもオデュッセウスと名付けたセシルはあの魂の総合をオデュッセウスと名付けたのならたったひとりになった魂はオデュッセウスではないのではないかと考えて彼は笑った。


そしてもう首から下は消えていた。それなのにどうやら物を考えられるらしい。苦痛はない。もうなにも感じない。恐れもなく、悲しみも苦しみもない。


あるのは死という消失を受け入れる弔意のような感慨だけ。それを名付けるのなら諦めが最も近い想いだろう。


鼻から下が消えた。

右頭部が消えると残ったのは左頭部だけとなった。


それでも彼はまだ沈みゆく感覚だけは確かに感じていた。


その時に孤立と悲しみに疲れ切った生命は全てを諦めていた。

だが、なかなか全てが消えようとしなかった。左頭部だけが残って何かで曇った瞳と真っすぐな眉だけが執拗に何かを告げている。


誰もそれを見ようとしない。誰もその暗がりを改めようとしない。


『誰が見る?』


『こんなところを誰が見る?』


『同じ暗がりに生まれた者でしか見なかった』


『そして同じ暗がりに死んでいく』


『お似合いの終わり方だ』


『俺はたったひとりだとこんなにも弱いんだな』


『弱いがゆえに死んでいく』


『俺は、いや、俺たちは互いに見合っていた。見つめ合っていたんだ。誰も俺たちに気が付いてくれないがゆえに』


『もし願わくば全ての暗がりから生まれた者に光があらん事を』


左目も消えた。眉も半分ほどがもう消えている。


『精神攻撃は受けないはずだった。名を持ったがゆえに独立した誕生ではなくなったからだ』


『名は持ち続けるのも難しい。特に我らのような存在とあっては』


暗がりの生命はもう一片しか残っていない。

深淵は淀みなくやって来るが故に淀みを残していられない。

冥より冥へ、無知より無知へ。


何もなき暗がりからさらに深く下りていく。底なき暗がり、冥より冥へ、奈落の底へと落ちてゆく。


『生命が輝くなど有り得ない。もしそのような事があるのなら今ここは暗がりではないはずだ』


『俺は誰だ?』


『俺は何者だ!?』


『なぜ、俺のような者が生まれた!?』


炎を無くした獣の慟哭が暗い奈落に響いた。

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