第49章 屍の軍団
アダルは目の前の大樹を凝視していた。
手には雷を宿したままだった。
「オデュッセウス、この相手、ここで討つか?」
アダルが尋ねるがオデュッセウスは答えない。
彼女はそのまま大樹と対峙していた。その開かれた瞳は左右で異なる色をしていた。
「オデュッセウス?」
この状況に身動き一つしないオデュッセウスを心配して彼女は呼びかけた。
彼は返事をしなかった。それまでは些細な事でも彼は返してくれていたのに。
左手で肩に触れて揺すってみると彼は体を硬直させていた。ぐっと力を込めてなんとか立っているという様子だった。
「オデュッセウス?」
再びアダルが呼びかける。
返事はない。
また強く肩を揺すってみるが正気に戻らない。
まるで幻術をかけられたように彼は我を失っている。
アダルはオデュッセウスを強者として認めていた。それだが幻術に落ち込んでいく彼を見ると彼の弱点を突かれたような気になって先手を取られた事を嘆いた。
「彼に何をした?」
アダルはオデュッセウスの前に立って大樹に尋ねた。
「夜の道、暗い底、何物にも照らされない恐ろしい終焉。そこへ誘ったまでの事だ。きみもそれを求めるかね?」
「解放しろ」
「不可能だ。彼はもう深いところまで下りて行ってしまった。容易くね。きみもまた容易く落ちていきそうだな。望むのなら与えよう。夜の道、暗き底、何物にも照らされない恐ろしい終焉」
アダルはその瞳を鋭くさせた。
「絶望を知るには彼は若い。貴様から与えられる絶望などたかが知れよう。わたしの前で絶望など語るな」
すると、アダルたちから離れたところからリリーたちの悲鳴が聞こえて来た。
そして闘うような戦闘音までも届く。
「お前か?」
「立ち上がる時が来たのだ。王都内の力のバランスが崩れた。わたしは冥府の国を、屍の国を興す。きみも屍になり給え」
「断る」
アダルは右腕に雷をまとうとそれを大樹へめがけて放った。
真横に奔る雷を大樹は根を地中から突き出して阻む。まるで避雷針のようにそれは雷を吸い込んだ。
戦闘音が聞こえる。リリーたちが闘っているのだ。どうやら長いは出来そうにない。
彼女は大樹を警戒しつつオデュッセウスの手首を掴んだ。
「すまん」
一言だけ誤ると彼女は掴んだ手のひらから微弱な電流をオデュッセウスに流した。
ばしぃっと電気が彼の体を走る音が鳴るが彼は我を取り戻していなかった。
「屍の軍団よ、死の超越者たちよ、冥より冥へ。救いはただひとつだけよ」
大樹がアダルへ向かって根を振った。彼女はそれを避けると手をぱんと叩いて胸の前で手を合わせた。
「みんな、ここへ集まってくれ」
そしてゆっくりと手のひらと手のひらの間を広げていく。そこには無数の雷が解放の時を今か今かと待ちわびている。それは牙を上下に持った竜の顎のように力に溢れていた。
アダルはその両手を天へと向けて放った。
無数の雷が勢いよく空へと走ったかと思うと鋭い雷鳴を轟かせて地上へと降り注いだ。
悲鳴のような木の裂ける音が雷鳴と共にあたりに響いた。
すると、リリーたちがこの一瞬の隙にアダルたちの方へと戻って来るのだった。
「アダルさん!!」
「リリー、オデュッセウスの様子が変なんだ。見てやってくれ」
「はい!!」
リリーとアリーシャがオデュッセウスへと近づいた。彼女はオデュッセウスの頬を叩いたり、つねったりして正気に戻そうとするが少しも効果はないようだった。
「カーリン!!」
バルドウィンが睨む先には屍の軍団を指揮する若い男が立っていた。若いと言ってもオデュッセウスよりは年上であろう。だが、その表情は非常に暗く、絶望を湛えている。
「まさか生きておいでとは思ってもみませんでしたよ。バルドウィン大臣」
「大臣であったのは元の事。今までいったいどこに、お前は何をしている?」
「この林の中でわたしは囚われてしまったのです。屍の魅力に。屍となれば死を超越できるのです。苦しみを、恐怖を、すべて乗り越えられる。バルドウィン元大臣、あなたも捧げませんか、デール冥王に。彼には全てが見えているのです。過去も未来も」
「国への忠義を忘れたか、王への忠心を失ったか。カーリン、目を覚ませ!!」
「国、王、どれも滅びるのです。バルドウィン大臣よ、あなたも国と王に失望したはずだ。我々よりもとつぜんにやって来た男を信じる国と王に。我らが裏切ったのではない。彼らが裏切ったのです。我々500の軍団は掻き消える700の軍団を目にして恐れをなしました。我らは恐れ、苦しんだのです。そして失意の中で過ごすこと数日の後に王都へと帰還しようとすると城門は我らに閉ざされていたのです。我らは怒りました。仕方がないと受け入れる者も中にはおりました。林に潜む間に軍団の中でひとりの屍が生まれました。それは強かった。苦しみもなく、恐れもない。我々は今、かつてないほど強大な軍団となったのです!!」
カーリンの背後には屍と化した兵たちが立っていた。
バルドウィンは目を細めてカーリンを、その背後に控える軍団を見ていた。そしてゆっくりと目を閉ざすと彼は長いこと下を見ていた。
「王よ、儂は進言しました。あの男には慈悲がない。人の心を解さぬのです、と。王よ、あなたは闘う意志のない迷える兵たちをその都の中に入れなかったのですね。精鋭たちよ、我が最強の軍団たちよ。お前たちのその悲しみ、痛いほどよく分かる。だが、その悲しみをどれだけ色濃い怒りに変えようとも国と臣民に向けてはならぬのだ。たとえどれだけ苦しもうとも人の域を超えてはならぬのだ!!!」
バルドウィンは目を開いた。その眼は涙に濡れていた。
「人の域を超えるのはひとりでよい。今、儂は全てを超えてゆく。国に捧げるのは兵ではない。己の信を捧げるのよ。冥王と言ったか、哀れだと伝えよ、信を受ける器を持たぬまま国と王を名乗るとは。信を受けるよりも兵を受けるとは滑稽よ。このバルドウィンがその屍を焼き尽くしてくれようぞ!!!」
彼は厚い胸板をどしんどしんと叩いている。すると、【気高き魂】が発動した。
「行くぞ、取り戻すのだ。魂なくば人は人たりえない」
バルドウィンの軍団が【気高き魂】のスキルを受けて力を得ていく。




