第41章 オデュッセウスとアダル
今度は緩やかな上り坂を歩く事になった。
一同の歩みはマヤーたちに合わせるために来た時よりも遅かった。
リリーは自分の師匠と街並みを歩く事がとても新鮮らしい。アリーシャはオデュッセウスの傍を歩いていた。
マヤーはそんな2人組の間を歩いていた。
「オデュッセウス、きみはここに来る前はどこにいたの?」
リリーのほとんど一方的な会話が途切れた時にアダルが尋ねた。
「宗教国に居た」
「宗教国?」
アダルが重ねて尋ねる。あまりに抽象的過ぎた。
『宗教国の名を覚えている者はいるか?』
『俺は覚えていない』
『わたしも』
『確かメルドルフと言ったはず』
『メルドルフ?』
『うん。コードが言っていた』
『よし、よく覚えていてくれた』
オデュッセウスは「メルドルフだよ」と言った。
「なるほど。メルドルフに居たのか。なら、きみもいずれかの派閥に?」
「いや、俺は今は無宗教だ。ヴィルヘルム派に入っていたのだがな」
咄嗟に出た嘘は彼なりの工夫だった。あの宗教国メルドルフに居た以上はいずれかの派閥に入っておかなければ不自然だ。となれば強い教義のないヴィルヘルム派と言っておいた方が無難だろうと思った計算だった。
「あそこは確か宗教崩壊したと聞いているがきみはその時に出たの?」
「そうだ。あの時のあの街はめちゃくちゃだった」
彼の話を聞くアダルはこくこくと頷いている。ある災厄に蹂躙される都市を見て来た彼女にとってオデュッセウスの話は被害者として同情に値した。
「わたしはロンドリアンから来た。ロンドリアンもある男に蹂躙されて破壊された。メルドルフでは………」
アダルは言い淀んでいる。
「その………悲劇を思い出させるようで本当に申し訳ないのだが………そのメルドルフの崩壊の時にミケルという名に心当たりはなかっただろうか。都市が、国家が崩壊すると言うのは並大抵の事ではない。それらを行える人物は限られて来るから。尋ねておきたかった。本当に私情で申し訳ないのだが」
彼女の心痛は計り知れなかった。自分もまたその時の事を思い出して苦しくなりながら相手にそれと同じくらいの苦しみを思い出させてしまうと言う具合に罪を感じる様子で苦し気だった。
だが、彼女は待っていた。ミケルことオデュッセウスの返答を。
オデュッセウスは既に完全にオデュッセウスだった。ミケルはあの日、初めて手にかけたあの転生者としてしか認識していない。
どんな感情も湧かなかった。メルドルフが崩壊した事も微塵も彼を動かさない。それなのに彼の眼に遠くを映してその表情に悲し気な雰囲気が漂ったのは彼に名を授けたたったひとりの深い理解者と別れた友と呼べる人々の顔を思い浮かべていたからだった。
これが悲しみかもしれないと思った。
「いや、聞かなかったな。あの時には………」
「いや、済まない。その………辛い事を思い出させてしまった。本当に済まない」
「大丈夫。気にしなくていい」
そんなさっぱりした様子があまりに新鮮でアダルは心を絞められる想いをした。
そんな暗くなりつつある雰囲気を持ち直させたのがリリーだった。
「ねえ、もうすぐ着くよ。お話聞くんでしょ?」
話を聞くのは主にマヤーの方だがオデュッセウスは「そうだな」と頷いた。こんな短い時間に彼があの出目のカラスの調べが進んでいるとは思えない。
「着いた!」
ハンターの家の前に到着した。
マヤーはそんな暗い雰囲気になりつつあった一行の花のようなリリーを見て微笑んだ。
「中へ入りましょう」
マヤーが言うとリリーが頷いて扉をノックする。
答えはなかった。
「あれ?」
彼女がちょっと不安げな様子で一同を振り返った。
「もう一度やってみろ」
オデュッセウスが言うとリリーが頷いた。
今度はさっきよりも強く扉を叩いた。
それでも返事はなかった。
アリーシャはその間に家の側面に回って窓から家の中を覗き見た。
「中に人影は見えます」
アリーシャの報告を聞いたオデュッセウスたちは顔を見合わせた。
「出目のカラスの調査に夢中になっているのか?」
「そんな感じには見えませんでした。突っ立っている感じです」
「アリーシャ、窓から呼びかけてみてくれ」
「分かりました」
窓から手を振ったり、こんこんと弱く叩いたりするが中の人物はそれに気が付いた様子ではなかった。
「ダメです。反応がありません」
リリーが呼びかけているがそれでも動いた様子がなかった。
「押し入ろう」
オデュッセウスが提案した。その間にアダルを見て意思疎通を図った。彼女は彼の意図を汲んだ様子で頷くとアリーシャとリリーを呼んでマヤーの傍に控えさせた。
オデュッセウスは扉の前に立った。アダルはマヤーたちの前に立っている。
「扉を開けてくれ。押し入るぞ」
返事はなかった。
扉をぐっと押して水を隙間から忍ばせる。そのまま扉を無理やり動かして扉を開けた。
すると、ハンターはアリーシャが言ったように突っ立っていた。その様子は尋常ではなった。少しだけ頭を後ろへ傾けて上を見ている。左右へゆっくりと揺れていた。それに家の中の空気が変に甘い。
オデュッセウスは左手でアダルたちにその場に留まるように合図した。
「おい、呼んでいるんだぞ。聞こえていないのか?」
呼びかけたが返事はなかった。
ハンターはその巨体を右へ左へゆっくりと揺らしているだけで扉が無理やりに開けられた音にもオデュッセウスの声にも無反応だった。




