第30章 本当のヒーローは遅れてやって来る
豚の軍団は夥しい数にまでなっていた。
彼らは少しも躊躇もなくオデュッセウスへと向かって来る。
胴体と首を真っ二つにして命を絶っても彼らは少しも怖気ついた様子もなくやって来るのだった。
何千何万という単位の軍団は今こそ力を振るう時と勢い込んでいる。ますますザロモの身体は大きくなり、力を蓄えていった。
彼の身体は当に館の大きさをはるかに超えて群と群の闘いとなりつつあった。
豚たちの総算としてのザロモと転生者に肉体を奪われた迷える魂たちの総算としてのオデュッセウスが対峙している。
その比は凄まじい差があるように思われた。
林の地面は揺れている。木々は薙ぎ倒されて土は根に連れられて持ち上がっていた。
その地面に立ちながらオデュッセウスはザロモを見上げている。少しも恐れていなかった。よくもまあここまで肥えたものだと感心すら覚えてザロモを見ている。
「ぐへへへへ、恐ろしいだろう~。今、ここで試したって良いんだ。実験台ってやつだな~」
豪快な笑いが辺りに轟く。大きな声や笑いは振動として辺りを震わせる。木々は震えて乱れ、土は波のようにうねりを上げる。
豚どもは鼓舞されて呼応する様に吠え立てるのだ。
2体の豚男がオデュッセウスに同時に襲い掛かった。
上と真正面からやって来る。
「水錬宝刀」
するすると流れる水のように2体の隙間を行くと右手に持っていた水の刀で切り伏せる。
2体、3体、4体と醜い豚の死体を築き上げていくとひときわ大きな豚男がオデュッセウスの前に立った。
その豚男の胴と頭はオデュッセウスが持っている水の刀ではとうてい斬り出せそうにもない。皮を斬るなら出来るだろうが肉と脂肪を越えられるようには思えなかった。
『実験台と言ってたな』
『ああ、ザロモは確かに実験台と口にした』
『どういう事だろうか?』
『そのままの意味だろうな』
『実験台というわけか?』
『そうなる。だが、いったい何のための実験台なのだろうか?』
答えは見つからない。ザロモに直接問うしかないだろう。
巨大な豚男がオデュッセウスに向かって突進して来た。
すると、同時にぐるんと回転して持っていた大きな斧を頭上から振り下ろして来る。
オデュッセウスは横へ転がって避けた。彼が立っていたところに斧の鋭い刃が突き刺さり、彼の隣に植えられていた比較的に形を保っていた太い木が真っ二つに叩き切られる。
体勢を立て直したオデュッセウスの眼には彼が切り伏せた4体の豚の死骸をぐしゃぐしゃと食い尽くす豚どもの姿が見えるのだった。
そしてそれらはまた大きくなっていく。
食って食って食いまくって大きくなるのだ。
大きくなるとまた強くなる。
オデュッセウスにはない特徴だった。
転生者を丸呑みにして来たがその都度、誰かが去っていく。
林の中を水で浸そうとしたがそれは莫大な水が必要だった。館を浸した量をはるかに超える水量が必要だったのである。というのも少しでも水を置くと林の土がオデュッセウスの水を吸い上げてしまうのだった。
豚男がオデュッセウスに襲い掛かる。
斧が振られて避けた。槍を突き出して突進してくる。
【神域の一撃】と【名付けの祝福】の加護を得たオデュッセウスの【水の王】は容易に豚男たちの命を奪うが多勢に無勢だった。どれだけ奪ってもあとからあとから豚どもはやって来る。死体を食って新たに力を蓄えては襲い掛かってくるのだった。
数においてオデュッセウスは劣勢だった。
だが、それは時間の問題に思われる。
すると、ザロモがいよいよ動き始めた。
どしんと地に立った時の轟音と豚王を見上げる豚男たちの眼差しは神を見る羨望の眼をしている。
ザロモは胸の前で腕を十字に交差させていた。身体の背面に力を込めているのだ。そしてそれを瞬時に前方へ移す。
ザロモが咆哮すると同時に豚どもは歓声の雄叫びを上げると巨大な雄豚のザロモが途轍もない速度でオデュッセウスの目の前まで距離を詰めていた。
速い、などと思う間もなくオデュッセウスはザロモの右手に叩かれて身体を折っている。
「虫のように潰れろ~」
どんどんと重圧をかけていた。オデュッセウスは背にかかる重圧に耐えながら水の鎧を砕かれまいと硬くしていく。
水の柱を打ち立ててザロモの厚い手を持ち上げようとするのだがその力は弱かった。というのも林の土に水を少しだけ奪われているのだった。
環境に殺されるとオデュッセウスは思った。
重圧にかけられて身動きが封じられてしまったオデュッセウスに自分も圧し潰されるのを構わない捨て身の豚男たちが絡みついて来る。
オデュッセウスの脚や肩に咬みつくがすでに強固になっていた水の鎧は豚の牙を通しはしなかった。
水を含んで柔らかくなった土へと彼の身体が沈んでいく。ぐぐぐっと動く音がするのは沈んで豚男たちに絡まれたオデュッセウスに更なる一撃を見舞おうとザロモが片方の腕に力を込めている音だった。
何かに囚われるのが嫌いなオデュッセウスは纏わりつく豚男どもを心底から煩わしく思いながら身の内から熱くさせていく。ぐつぐつと水の鎧が煮え始めていた。
堪える彼の眼にザロモの脚がぐっと力を込めたのが見えた。彼は更なる一撃が来ると覚悟すると同時にはっと重圧をかけていた一方の手が離れていった。
ザロモの左手は高々と挙げられていてその拳は月を握り潰すかのように強い力が籠っていた。
オデュッセウスの周りには豚男どもが絡みついて動きを封じている。
ザロモの天を突く左拳に付いた雲が揺れた。そして振り下ろされて来る。
オデュッセウスは水の鎧を最大限に硬くして身構えた時に声が聞こえた。
「【花弁の上の雫】!!!」
彼を包む防護膜はザロモの必死の一撃を見事に防いでいた。
見覚えのある防護膜だった。誰もが見た防護膜。
声のした方を見るとそこにはリリーが立っていた。
隣にはヴィドとアルフリーダ、ベレットがいる。
そしてアダルが燃えた眼でザロモを見ているのだった。




