第18章 3度手を叩けばあら不思議
「う、う~ん」
リリーは目を覚ました。
目を覚ましたのだが自分が寝てしまっていたのがかなり意外だった。
「あれ、いつ寝たんだろう?」
寝ぼけ眼をこすって起き上がる。彼女がいるところは商館の中とは言えなかった。真っ暗でぼんやりと遠くの方に灯りが見える。
「ここはどこ?」
ぐすぐすと音が聞こえる。隣の部屋からだった。途端にリリーは恐ろしくなった。いや、もっと耳を澄ませてみると彼女のいる部屋の中から音が聞こえる。
「誰かいるの?」
呼びかけてみた。
返事はない。
すると、この声が聞こえていたのか隣の部屋から聞こえる声が一段と大きくなった。
「誰かいるの!?」
リリーは壁際へ飛んで行き、話をしようとした。
「いるよ。わたしがいる!」
「良かった。助けて!」
「わたしも困ってるの。ここがどこか分かる?」
「ザロモだよ。ザロモ商会のどこかなの!」
その声はずいぶん幼かった。
ザロモ商会と言われてリリーは改めてその部屋を見てみるとそこは窓の設えられた扉がひとつあるばかりで窓すらない。灯りはなく、廊下の方から漏れて来るその窓から差し込む光だけがこの部屋の中の事を教えてくれていた。
壁越しに隣人に呼びかける。
「ねえ、いつからここにいるの?」
「分かんないよ。いつからいるのか分かんないよ」
隣の部屋のいる隣人の声はずいぶん幼い女の子の声だった。
「ママ、パパーー!!」
隣人の女の子が叫んだ。
リリーは行方不明になった子供たちだと思った。
ザロモ商会がこの子供たちの行方不明に関わっていたんだ。
「大丈夫、きっと助けが来るからね。大丈夫だよ!」
彼女は負けじと叫んだ。言葉が届いたかは分からないが隣の部屋の叫び声はひとまず止んだ。
「来るもんか!」
今度は部屋の隅の方から聞こえるのだった。
「そうよ、いつ来るってのよ!」
幼い声が部屋の中から聞こえて来る。
「だ、誰かいるの?」
「いるよ。ここには5人いる」
「騒がないでよ、寝てるんだから!」
「あんたって寝てばっかりね。少しは起きてみたらどうなの?」
「起きてたって真っ暗だからやる事もないじゃない。だったら寝てた方がマシ」
「ここから出たいって思わないの?」
「思うわ、昨日からずっとね!」
言い争いが酷くなっていく。リリーは仲裁に入ろうと思った。
「止めて、止めて!」
「なによ、あんた。近寄らないで!」
「そうよ、放っといてよ!」
するとばたんと扉が開いて閉じる音が聞こえた。次いでまた遠くの方で扉の開く音と悲鳴が聞こえて来る。
隅の方の部屋からだった。
リリーは扉に張り付いて叫び声の上がる部屋の方を見ようとした。
同室の少女たちは争いを止めて角の方に寄り集まって互いを抱きしめながら怯えていた。
何かが行われているのだとリリーは思った。
扉をなんとか開けようと散々に叩き、蹴り、体当たりさえしてみるがびくともしない。
「ザロモだよ」
「わたしたちの日なんだ」
「終わりだよ」
「もうダメだ」
ひとつめの部屋が終わったらしい。次の部屋の扉が開かれる。ひとりの少年があげる雄叫びが聞こえて来る。立ち向かおうとしているのだ。だが、その声も途切れてしまう。途切れた後にずしんずしんと大きな足音が響くのだった。
雄叫びが途絶えた後の僅かな沈黙以上に彼女たちに恐怖を教えた物はなかっただろう。少女たちの怯えは高まってわんわんと泣いていた。
リリーはそれでも部屋から出ようと思って扉の窓を叩き割ろうとするのだった。
新しい扉が開かれた。そして数分後にまた閉じられる。ずしんずしんと響く足音。
のっしのっしと誰かがリリーたちの方に近づいて来ていた。
また新しい扉が開かれた。今度は少女たちの悲鳴が廊下を越えてリリーの耳にまで届いた。
そしてぶいぶいと鳴く子豚の声が聞こえて来るのだった。
子豚に変えられた子供たちはとことこと部屋の外へ出て行こうとするが誰かの手に抱き留められてがたんと壺の中に落とされていく。がたりごとりと壺がやって来て子豚たちを入れて運ばれて行くのだった。
ぶいぶいと鳴く声は危険を報せている様に聞こえるがどんどんと遠ざかっていく。
リリーの隣の部屋の扉の前で足音は止まった。彼女はその足音の主を何とか見ようと窓に顔を押し付けて見ようとするが大きなシルエットの廊下の闇に溶け込んだ影だけが見えるのだった。
がちゃりと扉を開く音が聞こえたと同時に少女たちの悲鳴が聞こえて来た。
「来るなあああーーー!!」
恐らくは先ほどまでリリーと壁越しに会話をしていた少女だろう。壁越しの聞き覚えのある叫び声がリリーの胸を貫いた。
部屋の隅にいる少女たちの恐怖は極まっていて泣きながら互いを不安定ながらも支えにして抱き合うのだった。
「もうダメだ、もうおしまいだ」
「嫌だ、嫌だ」
リリーは最後まで諦めまいと窓を殴り、蹴り、体当たりするが少しも割れはしない。無慈悲なほど扉と窓は固かった。
ぶいぶいぶいぶい。
ぴぎいぴぎいぴぎい。
子豚たちの鳴き声が壁を通して伝わった。それは低音ほど良く響くのか先ほどの少女の会話よりも明瞭に聞こえて来る。
少女なのか、子豚なのか。リリーには分からなかった。
のっしのっしと音がする。部屋を歩き回る音。子豚たちが最後の抵抗として逃げ回っているに違いない。
遂に捕まった。歩き回る足音は途端に静かになったかと思うと部屋の外へ出て行った。壺に子豚たちが入れられて運ばれて行く。
そして誰かが大きな影のシルエットを闇の中に溶け込ませてリリーたちの入れられている部屋の前に立った。
リリーは扉を開けさせまいと力いっぱいそれを握った。
「これこれ、抵抗はお止めなさい。無駄ですよ」
男の声だった。
「手伝って。この扉を開けさせないようにするの!」
角にうずくまる少女たちに呼びかけるが首を振って抵抗は無駄だと示すのだった。
「諦めないで!」
絶対に助けが来るからと続ける前に扉が弾き飛ばされてリリーは少女たちの方へと転がった。
豚男がそこにいた。
扉を力いっぱい押しただけでリリーは吹き飛ばされてしまったのだった。
「無駄だと言ったでしょう、抵抗は」
「ザロモ!」
「はいはい、それではみなさん一緒に豚になりましょう」
小太りの男がそう言った。リリーはザロモを見るのは初めてだった。煌びやかな格好をしている。裕福である事を衣服が語っていた。
両手を前に差し出して上げられていく。
スキルを使う気だとリリーは思った。
「【花弁の上の雫】!!!」
リリーがスキルを発動して大きな防御膜を張った。角にいる少女たちも膜の中に入れている。
「全く、面倒な」
パンパンパンと3度、ザロモが手を叩いた。
「【豚豚拍子】を通さない」
ザロモが豚男にリリーの展開した防護膜を指さした。
すると豚男はごんと殴りつけるが防護膜はびくともしない。
「良い心がけとは言えませんよ。残念ですがね」
ザロモが言った。
少女たちは【花弁の上の雫】に少しだけ救いを見出したようだがリリーは時間の問題と分かっていた。
【花弁の上の雫】は一日に3度までと決まっている。ひとつの雫は凡そ3時間しか持たない。
リリーは助けを待つしかなかった。
短期間に2度も誘拐される自分の悲運を嘆いたが、力強い仲間がいると彼女は知っていた。




