第8章 子供達
「リリー!」
アルフリーダの声にリリーを引く男が振り向いた。
オデュッセウスたちを見る。
「んー!!」
両手を縛られてリリーは無力になっている。
男の他には数人の男女がいる。建物の窓からは何事かと注目する少年と少女が顔を見せていた。
「リリーを解放しろ!!」
アルフリーダが叫ぶ。
「だから、早くしろって言っただろうが!」
ぞろぞろと後方から少年たちが現れた。
「ボスのところに連れて行け!」
4人の少年がオデュッセウスたちとリリーの間に立ちはだかった。
が、オデュッセウスは事を早く終わらせようと思って瞬時に行動した。巨体の男がリリーを担いで角を曲がった瞬間に少年たちは闘いを覚悟し、身構えるとそれを飛び越えていくのだった。
彼はとんと軽い跳躍をして少年たちの頭上を飛び越えると巨体の男が背を向ける壁に足をつけてまた跳ねた。
柔らかくリリーを運ぶ巨漢の右肩からリリーの身体を奪い取った。すたりと着地する前にはもうリリーをお姫様抱っこをするように抱きかかえていてオデュッセウスは事を終えていた。
この一連の行動は瞬く間に行われて巨漢の肩から仲間の胸の中に一瞬のうちで入れ替わっていたリリーは急転に助かった想いよりも驚きの方が大きかった。
「なんだあ!?」
少年たちは挟まれる格好となり、目の前のアルフリーダたちと人外の動きを見せたオデュッセウスとを交互に見やりながら打開策を考えなければならなかった。
すると建物の窓という窓がすぐに開かれてオデュッセウスたちに物が投げられていく。少年たちはこの路地裏で協力し合っていたのだ。
降り注ぐ物を避けるために彼は大きく跳躍すると建物の縁に足をかけてもう一度、跳んだ。
彼は建物の屋上に立っていた。
「なんだ、あいつは?」
「とんでもねえ化け物だ」
「きっと身体強化系のスキルだよ。そうでなくちゃおかしい」
「ボスに報せるんだ!」
建物の中でばたばたと動く音がする。
オデュッセウスはアルフリーダの方を見た。彼女はオデュッセウスが抱きかかえるリリーを見てこくりと頷くと引く合図を送った。
オデュッセウスもそれを見て頷く。
「待て!」
屋上に少女が立っていた。
「わたしの名前はアリーシャ。その子を離せ!!」
深い蒼髪がたなびかせてアリーシャは言った。すらりと長い脚はところどころに傷はあるものの美しく驚くほど白い。きっと強く睨むような眼差しは意志に燃えている。
建物の下の方では「アリーシャだ!」、「彼女を援護するんだ!」などという子供たちの声が聞こえる。
オデュッセウスは胸に抱いたリリーを見た。
リリーは恥ずかしそうに俯いている。
噛ませていたタオルと手首を縛っていたロープを解いてオデュッセウスはリリーを下した。
そうこうするうちにアリーシャの周りに子供たちが集まった。闘う意志を持って。
「もう一度だけ言うぞ。その子をこちらに引き渡せ」
アリーシャの意志は少しも弱まっていない。
「子?」
オデュッセウスはリリーを見た。
「うるさい、うるさい。子じゃない。立派な成人だよ!」
すると子供たちが騒めいた。
「え、成人だってよ」「嘘だあ、あんななりして成人はないよ」「声も身長も俺たちと変わらねーよ」「洗脳されてるんじゃないか?」「大人たちに?」「大人はなんだってするさ!」
「30人ほどの行方不明者が出ていると聞いた。お前たちの仕業か?」
オデュッセウスが尋ねる。
アリーシャが手を挙げると騒めいていた子供たちは口を閉じた。
どうやらかなりの信頼を得ている少女らしい。
「そのうちの僅か数人だけはそうかもしれない。最後の警告だ。その子を解放しろ。わたしたち裏ギルド[子供達会議]は秘密裏に結成された子供たちだけで作られたギルドだ。わたしたちは子供を売買する組織に立ち向かうべく作られてその理念に従って子供たちを守っている。その子を解放しろ!」
場が冷え込んでいく。アリーシャを中心に冷気が漂っていた。
「オデュッセウス………」
リリーは不安になっている。争わなくても良いような相手だと思い始めたのだろう。
「引き渡す気はない。お前たちは勘違いをしている」
オデュッセウスは少しも物おじしない様子で応じた。
この堂々たる様を見て子供たちは少したじろいだが前に立つアリーシャの態度は変わらない。
「なら、方法はひとつのみ!」
アリーシャが何かを投げつけるように空に手を振るった。
指先はオデュッセウスの方を向いている。
空を氷の棘が走って来る。
オデュッセウスは水の柱を突き立てて棘の直進を阻んだ。
リリーは避けようと身体を動かしていたが建物の傾斜した屋根の上ではバランスを崩しやすい。リリーがふらついて落ちそうになるのでオデュッセウスは彼女の腕を掴んで抱き寄せた。
「離れるな」
「う、うん」
リリーはオデュッセウスの服の裾を掴んだ。
空にある氷の棘が砕け散って雪のように細かくなって落ちていく。
アリーシャは数的不利でありながらも少しも動揺しないオデュッセウスの微動だにしない様子にいくらか戸惑いながら次の一手を考えた。
「みんな、援護を」
「もちろん」「まかせて」「がんばろ」「いこう」
冷気の層が広く濃くなっていく。リリーの吐く息は白くなっていた。空中の水分が凝結して氷になっていく。それは雪のようになって風に乗り始めた。
「行くよ!」
アリーシャが右腕を振り上げると風は更に強くなった。
「待って!!」
だんと大きな音を鳴らしてオデュッセウスとアリーシャの間に割って入る者があった。
声からして女性のようだがその調子からは大人びた印象を受ける。それなのに体型はリリーと同じくらいに小柄だった。
「アリーシャ、待ちなさい」
その小柄な女性に言われるとアリーシャは慌てて冷気の層を引っ込めた。
「ボス!」「ボスだ!」「勝った!」「ざまあみろだ!」
ボスと呼ばれた女性が被っていたフードを取ると短い髪が露になった。
その小柄な女性にはオデュッセウスは見覚えがあった。
「ごめんなさい。子供たちは今、大変な状況で混乱しているんです。どうか、わたしの謝罪でおさめてくれませんか?」
ヒリーヌだった。ロンドリアンのギルド[鋼鉄のフライパン]の看板娘。
「ボス!?」「そんな!?」「どうして?!」「謝るなんて!?」「俺たちは間違ってないのに!?」「ボスはどうしちゃったんだ!?」
「ボスって呼ぶなあ!!」
ヒリーヌの照れたような一喝でしゅんとした子供たちはしんと静かになった。
「その、ごめんなさい。でも、悪気はないんです。子供たちは今の境遇を変えようと一生懸命なだけなんです」
ヒリーヌの謝意は本物だった。オデュッセウスに気が付いている様子ではない。
「オデュッセウス?」
リリーが彼を見上げながら言った。
「ああ、構わない」
オデュッセウスは愕然とした。
この街にはアダルがいる。ヒリーヌがいる。
全ての因果がやって来ていた。




