第3章 逃れられない過去の因縁
オデュッセウスはアダルから眼を逸らせなかった。もっと近づいて確認が取りたかったが出来ない。
そもそも眼を向け続けている事も危ない。
アダルは長い間、身を整えた様子のない格好をしていた。薄汚れたローブの下はぼろぼろの衣服だった。肌はかつての漲りを失ってくすんでいる。眼は輝きを失って虚ろだ。
ぐいとジョッキに入った酒を一気に半分ほどを飲み下すと肴をがつがつと口の中へ入れていく。
オデュッセウスはそんな彼女から読み取れるものを読み取ろうと思ったがあまりの荒廃ぶりに何もかもが隠されてしまっている。
「おでゅっせうす、わたしばっかりみてる」
深刻なオデュッセウスの隣で酩酊したリリーが甘えた声を出して言った。上目遣いに見ながら身を寄せて来る。
「いや、リリーばかりという事はない」
「もー、なんで? どうして? おしえて?」
「何をだ?」
「おでゅっせうすはどういうひとがすきなの?」
「俺は好みに特に強いこだわりはないよ」
「ほんと?」
「本当だ」
「せがひくかったり、ドジだったり、ねぼすけでもすきになってくれる?」
「そんな事は些細な事だよ。それぐらいじゃ嫌いにならない」
「ほんと?!」
「本当だよ。リリー、少しいいか?」
「ん?」
「少し飲み過ぎじゃないか? 水を貰って来てやろう」
そう言ってオデュッセウスはカウンターの方へ向かう。
「まだへいきだよ」
そんな風に言うリリーを無視してオデュッセウスはカウンターの男に水をコップに一杯くれるように頼んだ。
場所を変えてアダルを見る。
それは間違いなくアダルだった。彼女は肴を食べ終えると飲みかけの酒を天を向く勢いで飲み干すとぐるりと食堂内を見回してカウンターの方へとやって来た。
そして彼女は不潔な臭いを漂わせながらだんと強い音を鳴らしてカウンターの男に言った。
「ミケルという人を探している。知ってるか?」
カウンターの中には男がひとりでいる。奥のキッチンの方には他にも数人の男女がいるようだった。
「さあ、ミケルという名だけではどうにもなりませんな。ミケルだけならいくらでもいますよ」
カウンターの前でオデュッセウスはひとりの小太りの男を隔ててアダルといる。
彼女はそのミケルがオデュッセウスだと気付いている様子はない。
「いるんだな、ミケルという名の男が?」
「いるにはいますよ。それほど星の数ほどね」
アダルはカウンターの男を睨みつけて話を続けようとしている。少しでもおかしな真似や嘘、庇うような事を言おうものなら許しはしないと言わんばかりの形相で。
『我々を探しているようだぞ』
『致命傷を負わせたはずだ』
『ここにいるという事はその状態から助かったという事だ』
『憎しみだろう』
『間違いない。復讐するつもりで探しているのだ』
『なんにせよ、もう少し探る必要がある』
すると2人の間に座っていた男が不快そうな表情を表してアダルをひと睨みすると席を立って食堂を出て行った。
オデュッセウスが頼んだ水はまだ来ない。
「おい、俺もミケルだぞ!」
角の方で座っていた3人組のうちのひとりが酒の入ったグラスを掲げて大声で言った。
両隣の男はくすくすと笑っている。いずれも相応の武具を手元に置いていた。
「ほう、もしお前がわたしの探すミケルならここで殺してやる。本当にミケルなのか?」
「恐ろしい事を言う奴だぜ。震えちまうなあ!」
「そんな身なりで女か。もう少し小奇麗ならこの後に相手を頼んだのによお!」
「それじゃあ、ミケルも離れていっちまうぜ。お嬢さんよ」
楽し気に3人組は笑った。
「わたしが探すミケルは姿を変えられるスキルを有している。名前も変えられるだろうが手掛かりはミケルという名と恐ろしいほど強いという事だ。お前がそうとは思えないな。揶揄うのは止してもらおう。時間の無駄だ」
アダルが言うと男たちの笑いはいっそう激しくなった。
「そうとも、ここにおわすミケル様もとても強いんだぜ」
「ギルド【キュケロティアの剣】の星だからな!」
「どれほどのものか見てやろう。表に出ろ」
アダルがローブを翻して食堂の出入り口の扉へ向かうように促した。
「よぅし、それじゃあ俺が勝ったらお前を好きにさせてもらうぜ」
「ふん、勝てたらな」
3人の男たちが出て行く。ミケルと名乗った小太りの男が2人に耳打ちする。1対1とは限らない。
「おいおい、店の前では止めてくれよ」
カウンターの中にいた男がオデュッセウスに水の入ったグラスを差し出しながらぼやいた。
オデュッセウスは食堂を出て行く4人を見ていた。オデュッセウスが見たところではアダルが3人がかりでも負ける要素はないだろう。
水の入ったグラスを持ってオデュッセウスは仲間の元へと戻った。リリーにグラスを渡す。
「水を飲んでおけ」
「ありがとう。もらってきてくれたの?」
「真っ赤だったからな」
「えへへへ、ありがとう」
礼を言って水を飲むリリーを見ているとアルフリーダが次の依頼についての話を進めようと口を開いた。
オデュッセウスが戻って来た時にヴィドがいなかった。オデュッセウスが空席になった椅子を見るとその隣に座っていたディドゥリカが言った。
「気にしないでください」
柔らかく笑うディドゥリカは用があって立ったというような言い方をしなかった。
「さて、次の依頼は少しだけ大きい依頼を受けようと思う。人数が増えたからな。それぐらいは大丈夫のはずだ」
「腕が鳴るのお」
ベレットが言う。彼は大昔はそれなりに有名なギルドに所属していた経験がある。
オデュッセウスが「どんな依頼なんだ?」と内容を尋ねようとすると食堂の外からヴィドの声が聞こえて来た。
「やいやいやい、3対1なんて恥ずかしくねえのか?」
アルフリーダの話が止まる。
ダグナとディドゥリカは額に手を当てて嘆くようにして見せた。
「ヴィドは喧嘩っ早いのか?」
「いいえ、そのような事は」
「少しだけ酒が入るとお調子者の感じが出てしまうと言いますか」
アルフリーダはため息をついている。
ベレットは「賑やかになりますな~」などと若い元気を喜んでいた。
リリーはオデュッセウスが渡した水をちびちびと飲んでいる。
ダグナとディドゥリカがヴィドの様子を見るために席を立った。
オデュッセウスも経過を見るために席を立って窓から外を覗くのだった。




