第2章 復讐者
林道は長かった。森を断ち切るように開かれた道で商業的に重要な道なのだが中継地点などは設けられていないので止まらずにいくか側道で僅かな休憩をとるのみだった。
荷馬車の主たちは王都キュケロティアの行政部に複数回にわたって中継所の設置を申請したのだがほとんど取り合ってもらえないままでこの事件が起きたのだった。荷馬車に荷物を積んだ商業組合の者たちは困り果て行政部に詰め寄るのだった。
ディルミノーティラが荷馬車を襲う地点はほとんど決まっているので一行が向かうのはその付近だった。
そしてそこへいよいよ到着しようとしている。
朝から元気だったリリーもここまで来ると言葉数は減り、声は潜まった。
「足跡ぐらいはあっても良いようなものだがな」
ベレットが呟いた。彼が言うように足跡などの痕跡はほとんど見られずに逃げ去る人々の乱れた足跡が僅かに残っているばかりだった。
「それっぽいのはないね」
「リリー、反応はないのか?」
「ないんだよね。こんな事ってあるのかな?」
「さあな、案外この相手は賢いのかもしれないぞ」
そうとは言うもののオデュッセウスは感じ取っていた。この先の林の中に4頭の獣がいる。中型と言える大きさの四足の獣だった。殺意とは言わないまでも敵意はあるようだ。
それほど強くはない。オデュッセウスなら5秒とかからず4頭の獣を始末できるだろう。
「オデュッセウス、きみはどう思う?」
オデュッセウスが前に潜む獣の処理にかかる秒数を算出した瞬間にアルフリーダが尋ねた。考えを読まれたとは思わない。純粋に考えを尋ねたのがたまたま機会が合っただけだろうと思いながら適当に答えた。
「王都側に足跡がないのは林道から出るのを避けるためだろう。人の気配を感じている事も考えられる。3度の襲撃を成功しているとなるとここを絶好の狩場と思っているはずだ。襲った場所の周囲で留まっているに違いない」
「そうだな。わたしもオデュッセウスの考えに賛成だ。最後の襲撃は前回の場所から近い。その辺りにいるだろう。だが、ここまで近づいているのだがな」
「すごいね。オデュッセウスはそんな事まで考えてるの?」
オデュッセウスのすぐ隣にやって来て声を潜めて言う。まるで内緒話をしているかのようだ。表立ってすごいと褒めるのを避けているように聞こえて2人だけの会話だったが当然ながらすぐ近くにいるベレットとアルフリーダにも聞こえている。
「そうだな。これぐらいの事はすぐに分かる」
「わたしも分かるようになれるかな?」
「なれるさ。経験を積んでいけばな」
「経験かあ」
「積めるようになる。いや、わたしが積ませてやる。その………」
アルフリーダが言い淀む。
「本当は昨夜のうちに言おうかと思っていたんだがな」
アルフリーダはここで何か秘め事を打ち明けようとしているらしい。が、今するべき事ではない。
「待て」
オデュッセウスが言った。
4頭の獣の気配が目の前にある。
「来るぞ」
オデュッセウスが緊張した声で言うと茂みの影から火球が放たれた。
「わたしが!」
リリーが前に出て4人の前にスキル【花弁の上の雫】で防護膜を張った。火球はその膜に衝突すると膜の表面を滑って上方へと消えていく。
防護は出来たが選択は失敗だった。火球が衝突して散り散りになると前方が塵に覆われてしまう。オデュッセウスたちは火球を放った主を見る事は出来なかった。4頭の獣は茂みの中を移動している事だろう。オデュッセウスが言ったようにこの獣はいくらか賢いようだ。
「儂が前に出る」
ベレットがスキル【8つ脚】を発動させて腕と脚を増やす。8本の手足を持つ人外に変わると大斧を力強く前に構えて前方へと躍り出た。
茂みの外に1頭の獣が出て来ている。狼よりも大きく熊よりは小さい。上顎から突き出る牙は大きく、下顎から伸びた牙は鋭い。4本の牙を持つ獣は虎に似ていた。
飛び出ていた1頭は前方へ出たベレットに襲い掛かっていた。
アルフリーダは槍を構えてベレットを襲う1頭の腹に槍の先を突きこもうと走る。
リリーは提げていた鞄の中から丸型のフラスコ瓶を取り出して投げつけようと振りかぶっている。
そのリリーの首を回る襟を掴んで引き寄せた。
「離れるな」
「わわわ」
喉元が絞められてけほっとリリーは咳き込みながらオデュッセウスの隣で体勢を立て直した。
「なによ、もう!」
投げつけるはずだったフラスコ瓶を持ち直してオデュッセウスを見る。
オデュッセウスの見ている先には茂みの奥で瞳を怪しく光らせた残る3頭がいた。
2対2の状況になるだろうと思われた。1頭がアルフリーダたちの方にゆっくりと近づいて行く。
「2対2だ」
「あ」
オデュッセウスが呟くとリリーは状況を正しく理解した。アルフリーダとベレットはディルミノーティラに対する武器があるがリリーにはない。
「お、オデュッセウス、どうしよ、どうしよ」
2頭のディルミノーティラがオデュッセウスたちの方を見ている。
茂みの奥でぼうっと火が燃えるのが見えた。
「リリーは下がっていろ」
「う、うん」
リリーのスキル【花弁の上の雫】は一日に3回しか使えない。その代わりとても強固である。
スキル【水の王】を使ってオデュッセウスは水の鎧を身にまとった。
とんと軽く跳んでオデュッセウスは火球を口に溜めたディルミノーティラとの距離を瞬時に詰めるとその口を上からどんと足で抑えつけた。
獣の恐ろしい口の中で火球が爆発していた。
もう1頭のディルミノーティラを見た時、オデュッセウスは異様さに驚いた。
そのディルミノーティラは出目だった。右目がぼこりと突き出ている。眼球が収まるべき眼窩に収まり切らないほど腫れ上がって外に飛び出ている。
その眼がぎょろりと動く様子はリリーが見たら気絶するかもしれないとオデュッセウスは思った。
右足の下で踏みつけたディルミノーティラが暴れている。右足でどんと勢いを付けると顎を踏み砕きながら出目の獣へと迫る。
オデュッセウスが横に着くころには首と胴体は離れていた。
左腕を刃物のように鋭くさせてそれを振るった。水で作られたその鋭い刃物はただ振るだけで肉を切るのだった。
ぼとりと頭が落ちてからどすんと身体が倒れてゆく。
顎の砕けたもう1頭も始末する。
茂みを抜けると2対2の獣と人の闘いはリリーが後方支援を行う事で加勢されて形勢は人に有利であった。
討伐達成の証として獣の尻尾を持ってゆく。オデュッセウスが仕留めた2頭の獣から獲るとアルフリーダに渡した。
「さすがだな」
「ふん、そっちもな」
傷の手当てを行って王都キュケロティアに戻るとアルフリーダが4本の尻尾を印として提出した。
報酬の未払い分を受け取るとオデュッセウスたちは食事のために食堂へと向かう。
「いや、良かった。大事なくてな」
「うん」
「ところであの時に言いかけていた事は何だったんだ?」
ベレットがアルフリーダに尋ねる。
「そうだった。また忘れてた。いかんな、どうにも。まあ、食堂で話すよ」
「えー、どんな事だろ。良いニュース、悪いニュース?」
「良いニュースだと思う」
リリーが尋ねる事にアルフリーダが答えていた。
そうして食堂へ向かいながらオデュッセウスはある考えに囚われていた。
あの出目の獣のように出目になった獣を以前にもどこかで見た覚えがあった。
『どこで見たのだろう?』
『いや、どんな獣の出目だった?』
『コトブスの谷だ。出目の猿がこちらをじっと見ていた』
『あの出目はどういうものなのだろう?』
『病気という事も考えられる』
『確かにな』
『調べる価値はある』
食堂に着いた。
食堂内は程よく賑わっていた。
オデュッセウスたちは角のテーブルに陣取った。
中央の方にはカウンターもあって酒を飲む男たちが立って飲み、語らっている。
「それで良いニュースとは?」
ベレットが待ちあぐねて尋ねた。
「ああ、実はな………」
と、アルフリーダが切り出した。
反対側の角の席に座っていた一団が立ち上がった。そして4人の方へと近づいて来る。
一団とは言うものの数はたったの3人でそれほど強くない。
その3人の男女がオデュッセウスたちの傍に立った。
「やあ、アルフリーダ」
名を呼ばれてアルフリーダは額を抑えた。どうやらタイミングは最悪であるらしい。
「どうした?」
真ん中に立つ男が尋ねる。
「いや、まだ話してなかったんだ」
「おいおい、今からだったのかよ?」
「ああ」
「あちゃあ」
男が額を叩くと両隣にいた女たちがじとりと男を見るのだった。
すると、最年長と見える背の高い女が前に出て言った。
「まあ、良い機会と思いましょう。わたしの名前はディドゥリカよ」
その後に別の女が手を挙げてこれまた元気の良い通る声で言う。
「はーい、わたしはダグナ。よろしくね!」
「俺はヴィドだ」
リリーが首をかしげて応じる横でベレットが口を開いた。
「確かギルド[森のオオカミ]と言うのではないか? だが、儂の記憶が正しければ6人のギルドだったと思うのだが」
ベレットが言う事にヴィドが大きく頷いた。
「ああ、あんたの言う通りだよ。[森のオオカミ]は6人のギルドだった」
「“だった”?」
オデュッセウスが追及した。
「実は他の3人が引き抜きにあってね。俺たちは余りものってわけ。3人では続けられないしって考えてたらアルフリーダが声をかけてくれたんだ。最近、新しい戦力が入ったって噂の[四季折々]は頭角を現し始めてるからね。願ったり叶ったりってわけなんだよ」
「つまり?」
リリーが傾げた首の角度をさらに傾けてアルフリーダを見る。
「新しい仲間だ」
「ほほ~、オデュッセウス以来、2年ぶりの仲間だな。歓迎しよう」
「うんうん、賑やかになるね!」
「よろしく」
「お願いします」
オデュッセウスはこんな時にどんな事を言うのが適切なのか分からないでただこの流れを目で追うのだった。
だが、新しい仲間の3人の注目はオデュッセウスが集めているらしい。
「初めまして」
ヴィドが言う。
オデュッセウスが目を向けると彼はにこりと笑って親し気に右手を差し出すのだった。
オデュッセウスは応じてその右手を握った。
「嬉しいね。噂はかねがね聞いてるよ」
「噂?」
「ああ、とても強いそうじゃないか」
「ふん、そんな事か」
ひゅうと口笛をヴィドが吹く。
そんな軽々とした調子をディドゥリカが嗜めるように肘で小突いた。
「なにはともあれ我々は仲間となった新しい[四季折々]の形に乾杯しよう!」
アルフリーダがまとめた。
酒が運ばれてきて手に取ると音頭をアルフリーダが取って乾杯した。
それからは互いの事を語り合う長い時間になった。オデュッセウスはロンドリアンの出身だと言った。
「なるほどね、どうりで強いわけだ」
「わたし、一度も行った事ないな」
「でも、あそこは数年前に壊滅したって話だぞ。今はどうなってるんだろうなあ」
ヴィドが言うとディドゥリカはオデュッセウスを心配そうに見る。
「家族は居ない。それよりも早くに死んだから」
「そう」
場の雰囲気が少しずつ暗い方へ傾いている。こんな時には気遣いばかりのリリーが場を取り持つのだが今日はそれがない。
オデュッセウスが彼女の方を見るとリリーは酷く酔っていた。
「おでゅっせうすはほんとうにつよいのよ。きょうなんてとてもすごかったんだから!」
そう言いながら泡立つ新しい酒の入ったジョッキを片手にベレットとダグナにその強さをふんだんなく語りつくそうとするのだった。
アルフリーダは次の依頼を考えるのに夢中になっている。
人が増えるとこうなるのかとオデュッセウスは思った。
酷く酔ったリリーを見ているオデュッセウスの視界に浮浪者のような装いの者がヴィドたちが座っていた角のテーブルに着いた。
ウェイトレスが注文を手早く取ると足早に去っていく。
その汚らしい装いの中に不穏な空気をオデュッセウスは読み取った。頭にすっぽりと被ったフードの端から髪の毛が汚れを付着させて束になったまま流れ落ちている。
『女だな』
『女か?』
『ああ、間違いない』
『なぜ、分かる?』
『勘だが確信めいた勘だ』
『どうにも気になる』
同胞たちが言うようにオデュッセウスは最も盛んになりつつある時間帯の食堂内で大勢の人々の中でそのフードを被った浮浪者から眼を離せなかった。
ウェイトレスがやって来て二言三言の会話を浮浪者とするとこれまた足早に去っていく。
浮浪者の前にはジョッキになみなみと注がれた酒と安い肴が置かれていた。
食事を始めるためにフードを取るとオデュッセウスの眼には紅く煌めく長髪が見えた。
その浮浪者はアダルだった。




