9.一つ問題が解決しても、すぐ同じ数だけ問題が増えるのは何故だろう?
「……ぁぁ、此処は……?」
”絶望の精霊”による果てなき眠りから、まず目覚めたのはレジーナだった。長い間寝ていたせいなのだろう、彼女の声は酷く掠れていた。
胡乱な瞳は未だ焦点がはっきりしておらず、無理にこちらから声を掛けるのも何となく憚られる様な気がした。
「あ、れ? もしかして……?」
周囲を探る様に忙しなく動かす彼女の目と、視線が混じ合った。
「よ、よぉ。目が覚めた様だな」
「レグ、ナード? わた、しは……そうだ、クラウディアは?」
衰弱しきった身体は、起き上がるという普段何気無く行う所作すらも許さなかった。彼女の頭部は、ほんの僅かに枕より離れただけだった。気が付けば彼女に対し、自然な笑顔を俺は向けていたのだ。
気持ちと現実との乖離に悔しそうに顔を歪ませた彼女の姿こそは、自分の身よりも仲間の身を案じた今の彼女の気持ちの現れなのだろう。俺は何故だか嬉しく感じてしまった。
「安心しろ、君の隣にいる。まずは自分の体力を取り戻すんだ。君達は、三日も眠っていたんだから」
俺の後ろで控えるアストリッドに目を向けると、彼女は何も言わずに小さく頷いた。もう何も心配は無いということらしい。
であれば、そう。まず彼女達には、生きる力を取り戻して貰わねばなるまい。
あの馬鹿野郎と彼女達の間で何があって、そしてああなってしまったのか? それを聞きたい気持ちは確かにある。だが、それを聞くタイミングはきっと今ではない。
”絶望の精霊”に願ったのは、この二人の内のどちらかなのだから。終わり無き、永劫の眠りを。
◇◆◇
家政婦達に後の事を任せ、俺達は先に”日常”へと戻る事にした。
あの時、特に反応を示しはしなかったが、どうやらレジーナとほぼ同じタイミングでクラウディアも目覚めていたらしい。
彼女は、”男嫌い”を公言して憚らなかった魔導士のアンほどではないが、クズ野郎以外の男とはあまり積極的に関わろうとしない娘だったし、男である俺があの場にいては、少しも安心なんかできなかっただろう。
如何に欠損すらも再生できる回復術であっても、痩せ細った筋肉と、失った体力までは戻る事はない。彼女達が支障無く日常生活を送れる様になるまでには、それなりの時間がかかってしまうだろう。少なくとも、それまで俺は支えてやるつもりだ。
家政婦謹製のスコーンを茶請けに、ヴィオーラと二人のんびりと寛ぐ。
二人の様子を定期的に診てもらう様お願いしたアストリッドには悪いが、これくらいは許されても良いのではないかと思う。
こんな僅かな時間すら取れなかった三日間の出来事は、正直言って、あまり思い出したくはない。
「……で。これからどうするつもりなのよ、レグ?」
「どう、とは?」
ここのところずっと放置されていた事が気に入らないのか、ヴィオーラは見かける度に日に日にやさぐれてきている様な気がする。こら、股を大きく開いてソファーに深く座るな。何がとはあえて言わないが、色々と見えちまうだろうが。
「レジーナとクラウディアよ。まさか、あの娘達も徒党面子に入れる。なんて言わないでしょうね?」
「……さて、どうだろうな」
アストリッドが言った通り、俺はすでにあの二人を”家族”だと認めてしまっているし、彼女達には何の蟠りも屈託も残ってはいない。
だが、彼女達にしてみたらどうだろう? あの夜、俺はゴミ野郎と明確に敵対してみせた訳だし、なにより容赦無く彼女達を斬り付けた。
そんな人間から『徒党の仲間になってくれ』などと言われて、果たして素直に頷けるだろうか? 俺が彼女達の立場だとしたら、恐らく首を縦に振ることは無いだろうし、こちらから『入れてくれ』なんてのも何となく言い難い気がする。
「どうだろうなって……答えをはぐらかさないで欲しいんだけれど、レグ?」
「そんなつもりはないさ。それに、俺は良くても、彼女達がどう思うかそれが解らない以上は、何とも言えない……だろ?」
何時になく強い調子のヴィオーラの態度に少しばかり違和感を覚えるが、まるで能面の様な彼女の顔を見る限り、それを聞ける様な雰囲気でもなかった。
「……あたしは反対。絶対に反対よ」
小さいが、それでも、しっかりとした意思が伝わってくる声だった。
「絶対にあたしは嫌よ。あの二人が入ってくるのなら、あたしは【暁】を抜ける。抜けてやるんだからっ!」
「おいっ。待てって、ヴィオーラっ!」
両手を力一杯テーブルを叩きつけたヴィオーラは、俺が止める間も無く部屋を飛び出していった。
彼女が叩いた弾みでカップが倒れて中身が床に零れ落ちた。紅茶の香りが辺りを漂い、カーペットに小さな染みを作った。
◇◆◇
……参った。
まさかヴィオーラが、あんな事を言い出すとは思ってもみなかった。
というか、なんでこんな事になったのだろうか?
そもそも、まだ俺は原因となったあの二人とは、目覚めてから何も話しをしていないというのに。
悩みは全然尽きないが、それだけに囚われて生きていく訳にもいかない。
本当に世知辛い話だが、日々の生活を営むのには、当然、日々の糧を得ていかねばならない。人は霞を食うだけでは、生きてはいけないのだから。
治めるべき領地を持たぬせいで、王国から支払われる年金が雀の涙程度しかない法衣貴族だからこそ、収入の根幹を成す”事業”には、より力を入れねばならない。屋敷の維持費と家人の俸給は、結構馬鹿にならない金額になるのだ。
今まで溜まりに溜まった決裁書に目を通しサインをしただけなのに、すでに半日以上も拘束されしまっている。目の前には未だ当主の決裁を待つ書類が山と積まれていて心底うんざりしてきた。ああ、何処でも良いから、迷宮に籠もりたい。今すぐ。
少し休憩とばかりに、背伸びをしながら庭に目を向けてみれば、重りを背負ったヴィオーラが何時もと変わらず走っていた。
彼女は、一見気が強そうに見えて、実の所、自分からは滅多に主張をせず、何かを強く要求してくる様な娘でもない。
だからこそ、あそこまで強い口調で主張してきた彼女の言葉が、俺の心に深く鋭く楔を穿ってきたのだ。
「……彼女達の何がそこまで、お前を頑なにさせるんだ? 一体、何故……?」
あの時、強引にでもヴィオーラを引き止めて話を訊けたのならば、ここまで拗れはしなかったのだろうか? 今更その事を彼女に訊ねるには、正直時間が空きすぎた。そんな気がする。
「ああ、こういう時は本当に、自分のヘタレ加減が嫌になる……」
だが、このままにしておく訳にもいかない。
……だけれど、それをどうやって?
また頭の痛い日々が続くのか。
現実逃避をするのには、未だ堆く積み上げられた書類の束が俺には逆に有り難かった。
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