8.餅は餅屋に任せよう。例えそれが絵に描いた餅であったとしても。
「お任せ下さい、レグナード。私は、精霊を扱う専門職の精霊使いなのですから」
まるで俺の中で凝り固まった焦燥を全て溶かそうとするかの様に、俺の手をそっと両手で包んだ彼女は静かにそう口にした。
「大丈夫です。今から私が、お寝坊さんな”家族”を、叩き起こして差し上げますので」
「ああ。すまないが、彼女達を、よろしく頼む……」
ここはもう専門家たるストリッドに頼る他手はないだろう。所詮俺は精霊に関して、門外漢なのだから。
「本来、どんなに優れた精霊使いであろうとも、感情を司る精霊達とは”契約”はできません」
何かを探る様にクラウディアの額に褐色の手を翳しながら、アストリッドは何も知らぬ俺に説明してくれる様だ。
「実は、感情を司る精霊達との”契約”は、自殺行為にも等しい行いなのです。何故かと申しますと、彼らとの契約を行った場合、契約した感情だけが全面に強く出てしまうからです」
人の心の内で存在している感情の精霊達は、互いが互いを牽制しあって生きて(?)いる。
怒りっぽい人間の中には”怒りの精霊”の勢力が強いのだろうし、臆病な人間なら”恐怖の精霊”が。そういう形で成り立っているらしい。
そこで特定の感情の精霊達と”契約”を結んでしまった場合はどうなるか?
感情の起伏が激しくなるだけならば、多少の問題はあるけれど、人としての生活は多分可能だ。
だが、その契約した精霊が司る感情だけになってしまったら?
「今回のケースは、”野良”の精霊……彼女達から”沸き上がってきた感情”を、そのまま利用したのだと考えます」
「……ちょっと待ってくれ。だったら何故二人はこうなっているというんだい?」
精霊使いの”術”は、契約した精霊に自身の生命力を捧げ”お願い”する事で成立する。
「”野良”の精霊が、術者の生命力を受け入れてくれるなら、きっとそれも叶うだろう。だが、さっき君が自分で言ったじゃないか? 『人の内に籠もる精霊達”は、エルフ以外にはまず認知できませんので、あまり知られてはいない』と……」
「はい、その通りです。ですので、考えられるのは三つ。一つ目は、”森人”の関与。二つ目は、”人間”でありながら、感情の精霊と交信ができるくらいに優秀な精霊使いの関与……ですが、この二つは外しても良いかと存じます。まず一つ目の根拠は、レグナード、貴方ならば重々お解りでございましょう?」
「ああ。確かにエルフはこの国じゃ目立ちすぎる。君がやったみたいな”偽装”を常にしていなければ、恐らく街中なんか一歩も歩けやしないだろうね」
「はい……私は、光の精霊の偽装を使わなければ、貴方様とこの街を歩く事すら適いません。それはきっと、とても悲しい事なのだと思います」
「アストリッド……」
「そして、当然街中では、不特定多数の目を常に欺かねばなりませんので、”偽装”をしている間は、他の精霊との交信ができません。つまり、現場は路地裏だったとはいえ、すぐ目の前が大通りの街中まで逃げ果せた彼女達に”絶望の精霊”を嗾ける余裕は無い筈でしょう」
精霊魔術は、精霊に事細かく指示……”お願い”をせねばならぬ”制約”がある為に、どうしても魔術行使に時間がかかる。もし仮に犯人が二人に追い付いたのだとしても、そこに時間的余裕はあまり無いだろう。それに……
「そうです。追い付いたのだとして、彼女達をそのままにして姿を眩ますなんて、どう考えても不自然です。これが二つ目の否定にもかかる根拠です」
「ああ。確かに彼女達に追い付いたのなら、普通に考えれば連れ戻すだろうしな……あ、いや、ちょっと待ってくれ。例えばだが、自分の術に自信があった可能性は? 彼女達が目覚める事無く衰弱死する場合も、充分に考えられるだろう?」
実際に、俺の指示で彼女達に生命維持処置をしていなかった場合には、もうすでに死んでいてもおかしくはなかった筈だ。この街の医者は、こんな処置法を知らないのだから。足がつかねばそれで良しと考えるならば、対象に死んでもらうやり方が一番確実だろう。街中で死体が出たなら話は変わるだろうが、意識不明の人間が二人発見されたとして、そこまで大事にはならない。
「……あっ。そ、そうですね……その可能性もあるのかも知れません……」
「おいおい……」
俺の中で、さっきまで爆上がりだった君の株が、今ので一気に下落したぞ? すごく、すごく不安になってきた。
「ですが、もし仮に貴方様の言う通りの場合だったのだとしましても、やはり女性二人が路地裏であの様な無残な姿で発見されたとのだとしたら、かなりの大事件になると思いますよ?」
「……最悪の場合、彼女達は発見される前に死んでいた、か。確かに、色々と動き難くはなるな」
「もし犯人達が、街の警備兵の事を一切考えもしないで行動する様な人達なのでしたら、その限りではないのでしょうけれどね」
例え金さえ払えば何でもやる様な無頼漢でも、我が身が可愛いに決まっている。衛兵達の動向を常々気を遣わねば、当然生き残れはしない。態々予定に無い殺人事件を起こしてまでも、彼らの神経を逆撫でする様な馬鹿な真似はしないだろう。
「……ああ、そうか。そんな所に、優秀な精霊使いがいる訳なんかないか……」
「その通りです。感情の精霊と交信できる様な優秀な精霊使いでしたら、態々その様な無粋な真似をする必要はありません。冒険者になれば、引く手数多なのですから」
……そういう”趣味”のお方なのでしたら、その限りでは無いのでしょうけれど。
後から小さく付け加えたその言葉は、割と冗談抜きで重いぞそれ。そんなイカレた奴なんか正直相手にしたくない。
「……その事を踏まえましての三つ目です。お二人の内のどちらかに、精霊使いの素質があった場合。私はこれだと推察いたします」
「はぁ?」
一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、彼女の言葉を、俺の脳は理解する事を拒んだ。
「いやいや。ちょっと待て、アストリッド。流石にその推察は、飛躍し過ぎていやしないか?」
「いいえ。状況だけで見れば、これこそが正解なのだと私は考えます。その証拠に……」
アストリッドの口から、聞き慣れない、歌? 音? いや、これを言語と表現しても良いのだろうか……が紡がれると同時に、レジーナとクラウディアの全身を淡い燐光が包み込んだ。
「……術の強度が、私が想定していた以上に低いのです。これでしたら”絶望の精霊”と直接交信をしなくとも、解呪はそう難しいものではありません」
「……んっ……」
今まで外部の刺激に対し、何の反応も示さなかった筈のクラウディアの柳眉がぴくりと動いたと同時に、レジーナの口から微かに吐息が漏れたのだ。
「お二人とも、もう間も無く目覚める筈です」
もう一度彼女達の心の内に在る精霊達の様子を調べているのだろう。アストリッドは僅かに寝返りをうつ二人の頭部に手を翳して、そう太鼓判を捺してくれた。
「ありがとう、アストリッド。君が徒党に来てくれて本当に良かった」
「ふふ。良いのですよ、レグナード。私は”家族”の一員として動いたに過ぎませぬ」
頭一つ以上の身長差がある彼女は、俺の顔を見上げながら淡く微笑んだ。
「それでも、もし、私に”ご褒美”をいただけるのでしたら、またあのお菓子をお願いします。”家族”のみんなで、お茶でも飲みながら……ね、レグナード?」
「あ、ああ。そうだな。皆で、一緒に」
嬉しそうに揺らめいた彼女の紅の瞳を、俺は暫し魅入ってしまった。
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