68.あ・れ・か・ら。
「ふぃ~……」
濛々と立ち上る湯気の中、俺は一人熱めの湯に身体を沈めた。
全身の力を抜き、まるで海中を優雅に漂うクラゲの如く俺は湯へと身を預けた。
……ああ、とても贅沢な時間だ。屋敷にある狭い浴槽では、絶対こうはいかない。
結局俺はあの馬鹿の命を、奪う事はしなかった。
あの時、【暁】として何があっても奴を消すべきだったのではないか?
今でも徒党の面子からはそんな意見が挙がる。特にそれを主張しているのはヴィオーラかな? シルヴィアとクラウディアは、俺の対応に消極的賛成。アンとアストリッドは賛成側。レジーナは複雑そうな笑みを浮かべ、毎回俺とヴィオーラの激しいやりとりを眺めている。多分、彼女はヴィオーラの意見寄りなのだろう。
人の集まりというモノは、必ずこういった軋轢が生まれる。
当然だ。考え方一つ取っても、こうして意見が割れるのだから。
逆に全てが統一された意思の元に万事が動く様な集団の方が、きっと遙かに不健全だろう。
意見を何度もぶつけ合わせ、互いが納得できる……まぁ、それが出来なくとも、どこかで妥協点を見出していく。それができて初めて、本当の人の集まり……”徒党”に成るのではないか? 少なくとも、俺はそう思っている。
……ほんの一年と数ヶ月程前までは、孤高を気取っただけの単独冒険者の下らぬ戯言だがね。
あの馬鹿……西風王国の侯爵様の三男坊の命を、最終的に俺は奪いはしなかった。
だがその代わりに、俺は奴と、奴の家を社会的に殺してやったのだ。
俺は奴の<魅了>の”魔眼”を抉り出し、その傷を、ただ塞いだ。
眼球の再生とは、それこそ奇跡に縋らねばならない、謂わば”神の領域”だ。如何に馬鹿親様が金を積んだ所で、二度と奴に以前の視界が蘇る事は無いだろう。
抉り出した”魔眼”によって、今まで奴が犯してきた”罪”を立証し、さらに奴隷商人の残した様々な書類を根拠に、奴の実家の企みを表沙汰にした。
事は他国の、しかも上位貴族でもある”侯爵家”が相手だ。出自が怪しい書類なんか出した所で信用もされなければ、戦争の火種にもなりかねない”言い掛かり”を、帝国が請ける訳もない。
……俺は当初そう思っていたのだが、おやっさん達が後押しをしてくれた。
冒険者ギルドと、おやっさんの伝手によって城塞都市を治める”太守府”上層部の腐敗と、西風王国の侯爵家とそれに連なる貴族どもの癒着の証拠等が次々に明るみに出ると、愈々帝国は動かざるを得なくなった。
現在、帝国と西風王国の間は、戦争……とまではいかなくとも、それに近い緊張感が漂っている。
西風王国の周辺国も今回の騒動を知り、今までの距離感でいられる訳も無い。”孤立”とまではいかないが、支持を失いつつ在るのが現状だ。容赦無く侯爵家を切り捨てる事ができるかどうかによって、今後のかの国の立場が変わってくるだろう。
帝国直轄領である城塞都市を治めてきた”太守府”は今年度で廃止。新たに皇弟殿下がこの地に封ぜられ、治めていくのだと聞く。かくいう俺にも陞爵と共に、その”太公府”への出仕の打診が来ていたりするのだが。
今回の”騒乱”の張本人でもある一人としては、恐れ多くもこれを請ける訳にはいかないかな、というのが建前。本音は、これ以上仕事なんか増やしたくねぇよ、こんちきしょうって奴。
ああ、確かに実家の”稼業”はまだ良いんだよ。最悪、セバスにほぼ丸投げで俺は決裁書に判子とサインさえしていれば済むのだから……って、これもかなり重労働なのだけれどさ。
俺は、”冒険”がしたいのだ。
幼い頃に聴いた英雄達の”冒険譚”に。本で読んだ”物語”に憬れ、次兄アルベルトと共に毎夜熱く語り合った”冒険”の旅に、俺は出たいのだ。
だから、”そんなつまらない事”なんかに、俺は構っていられない。
それもあって、俺は逃げる様に徒党の皆を連れて城塞都市を出て、今は此処にいる。
中央大陸にある唯一の活火山<モス・レイア>を見上げる温泉に。
「この温泉でじっくり疲れを取って、それからだな……」
ある程度の必要物資は、アンとグスタフ、それにヘキサの次元倉庫の中に入っているが、一度足りない物が無いかを確認した方が良いだろう。あの魔法は便利ではあるのだが、入れっぱなしにしたまま忘れてしまう事もある罠も潜んでいる。リスト化しよう、しようと思っていても、結局もう後でいいやと放置してしまうのは、きっと悪い習慣なのだと思う。
そうそう。グスタフの奴、村に着くなり温泉には一切目もくれず一人酒場に籠もってはカッパカパと樽を開けてやがんの。野営中酒を禁じたのがよほど堪えたらしい。
重戦士として”戦力”の一つに数えていたのだが、もう面倒臭いしこのまま村に置いていこうかと真剣に考えている。これはアストリッドの危惧した通りで、本当に失敗したなぁと思っていたり。
確かエディタもグスタフほど入らないが、次元倉庫を持っていた筈だ。本当は、本当に嫌なのだけれど、この際アレを連れて行くしかないのかなぁ……
『恋人同士のボクと貴方、愛の逃避行でっす☆』
とか何とか訳の分からん事言って勝手に付いて来やがったんだよ、アイツ。いい加減すっぱりと縁を切りたい。最近、アイツの俺を見てくる眼が本当に怖いし。
テトラ、ヘキサ、ノナの三人の家政婦達は、正式に【暁】の一員として迎え入れる事にした。
徒党の規模としては大きくなりすぎてしまったが、彼女達は家政婦としても、また徒党の面子としても優秀過ぎたのだ。あの奴隷商人を褒める気は全く無いのだが、奴の育成手腕は本物だったという事だろう。そこが少しだけ悔しい。
そんな家政婦でもある彼女達のお陰で、ここに来るまでの旅程は本当に快適だった。”暗殺者”だけでなく”荷物持ち”としても”水先案内人”としても、彼女達は完璧過ぎたのだ。
「もう俺なんかがいなくても、【暁】の戦力は、充分じゃないかなぁ……?」
ついこの前の模擬戦で、テトラの奴が俺から一本を取った。ある程度手加減をしていたとはいえ、あの<魔剣二刀>のカサンドラにも許さなかったというのに……セバスめ、ちょっと鍛え過ぎだよ。まだ主の威厳を保っていたかったのだが。
「そんな悲しい事を言わないでくださいまし、レグナード。貴方様がいてこそ、はじめて私達は【暁】を名乗る事ができるのですから」
「だからさっ! なんでっ!! 君はっ……!!!」
湯気に隠れて大事な所は全然見えていないけれど、褐色のエッチな身体を一切隠す素振りも見せない森の人の娘さんが、俺の隣に立っていました。
「……本当に、そろそろ私の身体、見飽きた頃ではありませんか、レグナード?」
「だからね、何度も言うのだけれど、君みたいな超絶美人さんの美しい身体を見飽きるだなんて、そんなの絶対に無いんだってば」
いや、もう知り合ってから一年半以上も経つし、それなりに男女の仲も進んださ。でもね、君の言う様に”見飽きる”だなんて事、絶対に無いよ。
「……そうですか。何でしょう、凄く嬉しい……です」
細くしなやかな5本の指が俺の腕を這い、やがて絡み合う。赤くなった頬は、ただ単に湯に逆上せただけなのだと思う、思いたい。思わせて。
彼女の悲願でもある”生命の精霊”との契約に必要な精霊は、残すところ<モス・レイア>に棲むという”炎の上級精霊”と”地の上級精霊”だけとなっていた。
この間攻略した迷宮内で、上手い具合に”闇の上位精霊”との契約ができたためだ……彼女の旅の終わりも近い。
「Fuー☆ ズルいぞアストリッド。ぼく達をのけ者にして良い感じになってンじゃないよー」
「んごっ?! お前も来てたのかよっ!」
「そりゃそうだよ、レグナード。この宿にゃ混浴しかねぇんだもん。ま、だからオレ達ゃここを選んだんだがなっ!」
ここに来て衝撃の事実っ! 考えてみたら、いくら何でもアストリッドが男湯に入ってくる訳がねぇ……と、全然言い切れない所が、凄く恐いのだが。
「しかもずっと貸し切りで、ですわ。ささ、レグナードさん。お背中、お流しいたしますね」
「えへへっ、ちょっと恥ずかしい、かな……でも、今日はアタシも頑張っちゃうからね、レグナード?」
クラウディアとレジーナの指がうねうねと怪しく動く。なんだそれ、なんだそれっ?
「ちょっ、ちょっと待てお前達。さすがにこの状況は不味いだろ……」
「何も不味くなんかないでしょ、レグ? あたし達は、あなたの徒党面子でもあり、”愛人”なのだから」
「てめっ、言い方ぁ!!」
そりゃ、ずっとこうして行動を共にしているのだから、何度も君達の裸体を拝んでしまった事はあるよ?
でもそれは、単なる偶然なだけで、こうしてまじまじと見る機会なんか、今まで一度たりとも……
「そこです。ワタシ達は、そこが不満でしたので」
「はい。ワタシ達とぼっt……いえいえ、お館様という主従関係から、もう一歩前進、したかった。ヴィオーラ様を頭に、徒党の皆様も、ワタシ達同様、ぼっt……いやいや、貴方様の”お情け”をいただきたいと、こうして宿と湯を手配した次第にございます」
「子種、クレ」
ノナ、アウトー。お前があまりにもストレート過ぎて一気に萎えたわ、畜生。一度生死の境を彷徨って以降、なんでここまで残念になりやがったんだ? エディタが二人に増えた様なモンじゃねーか。
「でっす、でっす。人間種の種というのは、ほぼ全ての亜人種と子を成せるそうですよ? 凄いですよね、びっくりですよねぇ。神様は何考えてこーんな”設定”にしたんでしょうかねぇ? でも、お陰でボクと主さまとの間にたっくさん”愛の結晶”が作れちゃう訳で。くぅ。今すぐボクの”こ♡こ♡”に主さまのソレブチ込んでみませんかぁ?」
来たよ、エディタ。
てか、馬鹿野郎っ! クパぁっと拡げるんじゃねぇ!! くそっ、すっげ萎えるシチュエーションの筈なのに、少し反応しちまったじゃねーかクソがっ。
「<全能力向上付与術>。離脱っ!」
もうこの状況は、逃げるが勝ちだ。搾り取られたく、ねぇっ!
「させないっ! <注目>」
「ぼくもっ! <解呪>」
んぐっ、レジーナの技能のせいで強制的に振り向かされる。さらに、付与術が消えた、だと? くそ。まさか俺の動きにこの二人が瞬時に反応してくるとは思ってなかった……くそ、チョーシコいて鍛えすぎたか?
「はい。では、坊ちゃま、観念してくださいましね?」
「如何に主様といえど、ワタシ達三人分の暗黒闘気には抗えませんでしょう?」
「子種、クレ」
くっ。三人分の<影縛り>が来たら、俺でも抜け出すのに少し時間が掛かってしまう。てか、テトラ。お前もう隠す気ねぇだろっ? 俺を坊ちゃん呼びするんじゃねぇぞ、チキショー。あとノナ。お前マジで一発退場だかんな。
「うふふふ、レグぅ。もう観念なさいな……あたし達、そろそろ”あの時”の答え、欲しいのだけれど?」
「そうだね、アタシももう待ちくたびれちゃった。貴方が一向に答えを出してくれないのなら、後は実力行使しか残ってない、よね?」
「わたくしは、あなたの”愛人”で全然構いませんわ。大地母神の教えは、”産めよ増やせよ地に満ちよ”です。あなた様の子を、わたくしにもくださいまし」
「オレの故郷では、昔っから”強い者総取り”って決まりなのさ。アンタは、ただオレ達の思いを受け入れてくれさえすりゃあ良い。ごちゃごちゃ難しい事なんか考えんなよ」
「ボクは今でも野郎なんか嫌いだ。でもさ、あなただけは違うの。だから……」
「「「子種、クレ」」」
「でっすでっす☆ あの国でボク達亜人種の”差別”を無くしていきたい。そう主様が仰るのでしたら、まずはボク達のこの”想い”を受け止めて欲しいのでっす。そりゃ言っている事が主様にはふざけている様に聞こえているかも知れませんが、ボクだって恥ずかしいのです。茶化さなきゃやってられまっせん」
……ホントにさ、これってばどうなのかねぇ?
そりゃ俺は今度の陞爵の内示を受け入れてしまえば晴れて子爵位となるのだから、大手を振って第二、第三婦人を囲う事だってできる。
とはいえ、流石にこれは……ねぇ?
「良いではありませんか、レグナード。皆が皆、貴方様をお慕いして、皆が皆、互いを認め合っているのですから」
……本当に、良いのかな。俺の中では、何かイマイチ釈然としないのだけれど。
「もう、だからっ」
「アタシ達が良いと言っているのだから」
「あなた様は」
「もう諦めるべき」
「ごちゃごちゃと」
「考えていては」
「ダメでっす☆」
「……ほら、ね? レグナード」
「「「子種、クレ」」」
はははははは……
せめて、もう少しだけ考える時間をくれないかなぁ……
このままだと、<モス・レイア>を攻略する前に、俺絞り尽くされちまうよ。
うん。せめて新生徒党【暁】の、”俺達の物語”を書き綴るだけの時間を、もう少しだけ。
本当に、本当にそれだけで良いから、さ?
一応これで本編は終了です。
書き足りない事、書かなければいけない事、実はまだまだあるのですが、追放系のお話としては個人的には蛇足にしかならないと思うので、ここまでということで。
誤字脱字がありましたらご指摘どうかよろしくお願いいたします。
評価、ブクマいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。