6.先の見えない終わりなき道も、ご褒美という名の飴があればきっと走り続けられるさ……多分。
次の日の朝を迎えても、レジーナ、クラウディアの両名は、未だ目を覚ます事はなかった。
……人は、食わねば生きてはいけない。
それでも健康な人間ならば、五日は何も食物を口にしなくともギリギリで耐えられるのだとも聞く。
かく言う俺も、駆け出しの頃にとある迷宮で罠に嵌まり、多分、一週間以上は閉じ込められた経験がある。あの頃は自由に使える金なぞほとんど無く、携行食は二日分位しか用意していなかったのだが、それでも俺は今もこうして生きている。
だが、水だけはダメだ。半日と摂らねば人は衰弱し、下手をしなくとも三日と持たず死に至る。俺の場合は、水の魔法が使えたので何とか助かったに過ぎず、そんなレアケースは普通あてにならない。
水は常に想定の倍近くの量を用意する。これは冒険者だけではない、旅人としての鉄則であり常識だ。旅程において最大の障害は、この清浄な真水の確保に在るのだ。
意識の無い彼女達は、自らの意思で水分を摂取できない。このまま目を覚まさなければ何れ渇水により体力を失い、やがて死に至るだろう。
あの凄惨な傷痕を見る限り、彼女達が長時間に渡って度重なる拷問と陵辱を受けていただろう事は想像に難くない。恐らくその間、食事や水分も満足に与えられていなかった筈だ。
直ぐ様俺は、彼女達の胃まで管を通して無理矢理にでも水分を摂らせる様、家政婦達に指示を出した。こういう無駄な知識は、家の書庫に堆く積まれた蔵書の中に腐る程記されている。本当に何の自慢にもならないが。
ただ、これは厭くまでも意識の無い者に対しての緊急の生命維持療法でしかない。水分の中に多少の滋養を混ぜはしたが、これだけでは生きる為に必要な量に全然届きはしないだろう。だが、それでも、少しくらいは時間稼ぎになる筈だ。
当面の問題は、彼女達が何故目を覚まさないのか、だ。
俺が全力で回復術をしたので、外傷に起因するものはまず考え難い。事前の走査で脳の異常は検知できなかったし、まずこの線を外しても問題無い……と思う。
普通に考えてあの状況を思い返せば、行き付く答えは一つだけだろう。
彼女達は、”現実”を受け入れる事ができずに、心を閉ざした。
「……糞っ」
あの様な無残な彼女達の姿を思い出すだけで、怒りでどうにかなってしまいそうだ。
思わず力一杯に拳を机に落としそうになる衝動を何とか堪えて自制する。怒りに任せ物に当たっても詮無き事だ。
彼女達に裏切られたのだと解っていても、そもそもそれ自体はこちらも最初から折り込み済みの話だったのだから、それに関して言えば俺の中で衝撃なんかほぼ無かった。
『でも、もしかしたら……?』
だが、そんな期待する気持ちが、もう二度と他人を信用したくない。そう思っていた筈の俺の心の片隅にも、やはり存在していたのだ。
だからこそ、同じ窯の飯を食った仲間としての彼女達の”現状”を見て、ここまで怒りが込み上げてきたのだと思う。
『徒党面子の裏切りなんて、もう慣れっこさ』
……そんな強がりを、俺は公言して憚らなかった。
だからこそ、あの時、大切な”仲間”を失い独りになってしまった俺は、ギルドの勧告を無視してまでも単独の徒党【暁】を立ち上げ、徒党面子の募集を一度もする事無く、ここまで生きてきたのだ。
そこに近付いてきたギリアム達に対し、邪な下心を感じつつも、それでも……
『でも、やっぱり、もしかしたら?』
改めて振り返ってみれば、やっぱりそんな期待を、俺は心の何処かでしていたのだと思う。だからこそ、あの時馬鹿野郎の言葉と行動に腹を立てて、大人げなく真正面から叩きのめしてしまったのだ。奴らを疑い続け、ずっとその場限りの臨時面子扱いにしてきた癖に……
ああ。そんな今更過ぎる後悔は、この際置いておこう。
彼女達を救うのには、俺だけの力ではもう無理だ。とにかく、経験が、知識が、技能が足りない。
だが、この分野の知識と技能を、一体誰が持っているというのか? 誰に相談すれば良いのだ?
……解らない。
無知という恐怖。
それが、これほどまでに自身の焦燥を駆り立て打ちのめしてくるのだと、俺は今、嫌という程に思い知らされていた。
◇◆◇
彼女達の身柄を引き取ってから、三日目の朝を迎えた。
レジーナ、クラウディアの両名は、一向に目を覚ます気配は無い。
恐らく刻限は近い。全然解らないからと、このまま指を咥えて見ている訳には、当然いかなかった。
そうこうしている間にも、レジーナとクラウディアの体力は徐々に落ち、命の炎が弱くなってしまうのだから。願望混じりに多くを見積もってみたとしても、俺に残された時間的猶予はあまり多くはないだろう。
早速”飴”の効果があったのだろう、特訓にこれ以上無い位にやる気を見せてくれたヴィオーラには本当に申し訳無いが、正直構ってやれる余裕が今の俺には全然無い。
なので、まず彼女には基礎体力の向上のためにと、フル装備の上から鉛板入りの特製ジャケットを羽織り、道具袋に見立た革袋に砂を詰めてそれを担いでもらい、敷地内を延々走らせる事にした。これならば、常に俺が見ている必要がほぼ無くなるからだ。
「えぇーっ?! ちょ、ちょっと待ってよレグっ! あたしは重りを担いでアンタの家の庭の周りを延々走る為だけに【暁】に残ったんじゃないんだからねっ。ちょっとあたしが”都合の良いおんな”だからって、いくら何でも、こんな放置プレイって酷くない?」
「てめっ、言い方ぁっ!!」
色々と誤解を招く様な怪しい言動を慎んでいただきたい。俺の名誉と沽券に関わるわ畜生。
家政婦達の視線がもの凄く痛い。くそ。屋敷の主人たる、この”ドゥーム男爵”の名誉をここまで傷付けたやがった奴は、お前が最初だよ。絶対あとで徹底的にシゴいてやる。
ああ、そうそう。
あの指示を出した時のヴィオーラの崩壊した顔は、今思い返しても本当に恐ろしかった……あいつ、あんな顔芸もできたんだなぁ。
てーか、あの顔を見られたら、絶対に嫁ぎ先を全部無くすと思う。あえて本人には告げてなんかやらんが。
念の為あれがサボらない様にと、監視を兼ねた併走役をアストリッドにお願いした。身のこなしが軽く体幹のしっかりとした彼女ならば、どんな時もきっと容赦無くヴィオーラの尻を叩いてくれる筈だ。
「了解いたしました、レグナード。こう見えても私、故郷の村では”熱血指導の紅鬼”なんて、呼ばれていたのですよ。ヴィオーラの事は全て私にお任せ下さいな。あの叩き甲斐のありそうな大きなお尻を、これでもか、これでもかと、ビシバシ叩いてみせますので♡」
「ちょっ? 何涼やかな顔して物騒な事言ってんのさ、アンタもぉっ!」
「……すまんが、アストリッド。なるだけお手柔らかに、な……?」
アストリッドの怪しく濡れた瞳と、物騒な言動に少々不安になりはしたが、家業の方の処理も任せているセバスの手を煩わせる訳にもいかないので、彼女達との今までのやりとりをこの際全部忘れる事にする。後が怖いし。
なるだけ早急に、もう一度”飴”という名のご褒美……”少し余所行きの高級生菓子”を、彼女達の為に用意してやらねば不味いかも知れない。あの二人が目覚めたらすぐにでも遣いを出すとしよう……
もう一度我が家の蔵書から、少しでも関連のありそうな分野に当たりを付けてみると同時に、ギルドに遣いを出しては協力を仰いだ。
その間、それなりに名の通った医者にも診て貰ったが、俺の見解と何ら変わりはしなかった。
今やれる事は、全部やる。少しでも見落としは無いか?
どんな依頼でも、俺はそう向き合ってきた。だが、今回だけは俺にできる事があまりにも少ない様だ。手詰まりを感じ、俺は一人頭を抱える。
『貴方を裏切った女共の為に、何故そこまでムキになる必要があるの?』
決して口にこそ出しはしないが、幼少の頃からの馴染みの古い家政婦達は、真っ直ぐな瞳に圧を込めて、俺にそう問いかけてくる。
良い意味でも悪い意味でも、俺の”母親代わり”であった彼女達の眼には、レジーナとクラウディアというどこぞの馬の骨とも知れない”元徒党面子”は、”息子”にとって悪い影響しか及ばさない途轍もない悪女に映って見えるのだろう。
今まで屋敷で過ごしてきた彼女達の一年以上にも及ぶ振る舞いを見ていれば、まぁ、その見解はあながち間違いでもないのだろうが。
そんな家政婦達に大変な仕事を押し付けてしまって本当に申し訳ないが、これは【暁】を率いる”息子”たる俺のけじめなのだと思って諦めて貰えると助かる。その辺、本当に切実に。
だって、俺は”男”なのだから、彼女達の介護を自分の手でする訳にもいかないのだ。
……やっぱり、家政婦達にも、たまのご褒美、あげなきゃダメ、かなぁ……?
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