56.あなたと二人で。ああ、そういうの良いね……うん、想像するだけならば。
「……おはようございます、レグナード」
「……ああ、おはよう。アストリッド」
清々しき朝の陽光に包まれ目覚めた俺の眼前には、麗しき褐色の森の人の彼女の顔があった。
寝惚けていた頭が、徐々にはっきりとしてくる。どうやら俺は、いつの間にか彼女に対し完全に気を許してしまっていた様だ。本来ならば、この様な”醜態”を他人に晒すだなんて、絶対にあり得ないというのに。
朝の一番に、この様に美しい彼女の顔を間近で見られるだなんて、本当に俺は果報者だ。
だが、そこにはひとつだけ問題があった。
「……レグナード」
「……なんだい、アストリッド?」
俺の上に覆い被さる様に佇んでいたそんな彼女が……何故か”私は不機嫌です”という様な文字を、その麗しき顔中にデカデカと浮かべていた点だろうか。
「どうしてあの展開から、こうなってしまったのでしょうか? 貴方様の口から、ちゃんと仰って頂けませんか?」
「うん? これって、典型的な『朝チュン』という奴じゃなかったのかい? 君の、希望した通りの」
「ええ。シュチュエーションは、本当にばっちりでしたよ、レグナード。私の、憧れた通りに」
あの後、俺達二人は閨を共にした。
まるで神に縋る様に懺悔を繰り返す彼女の事を、俺はどうしても放って置く事ができなかったのだ。
自身の”醜き胸の内”を苦しげに吐露し続ける彼女の行いは、言ってしまえば、ただの自傷行為に過ぎない。だから俺は、彼女の”心の疵”を癒やすべく、こうして朝まで側にいようと決めたのだ。
「だったら、何も問題無いじゃないか。どうして君は、そんなに怒っているんだい?」
「っ! 怒りたくもなりますっ!」
俺の返答に納得できなかったのか、彼女は俺の腹の上に跨がり何度もベッドを大きく激しく揺らした。
「どうして、あの様な状況下で、私に手を出して下さらなかったのですかっ?!」
「俺の童貞力を舐めるんじゃねぇっ! 最初っから無理に決まってンだろがっ!!」
心が弱っていた彼女に手を出すだなんて、絶対にできる訳が無い。情で縛り、その状況を利用して彼女をモノにする……などと。それは男のする事じゃない。少なくとも、好いた女性を相手にでは。
……まぁ、ただのヘタレの言い訳に過ぎないのだろうがね。
「はぁぁぁぁ……”一歩リード”と、期待していたのに……私の、『はじめては 彼のベッドで 朝チュンで♡』の夢が……」
「そんな希望、下水道にでも捨てちまえ」
そりゃできるなら俺だって、そういう事はしたい。すごくしたい。めっちゃしたい。
現に今だって、憎からず想っている女性を、自身の腹の上に載せているのだ。その柔らかな感触以前に”朝特有の状況”になっている俺の息子さんだって準備万端さ。
だけれど、それをするのは、今じゃない。それだけの話ってだけ。
「朝食の準備ができましたよ、坊ちゃん……おや? ようやくでございますか……おめでとうございます。今晩は、大きなケーキをご用意いたしましょうねぇ」
ノックの返事を絶対に待たない悪癖を持つウチの家政婦共の一人が、俺達の態勢を見てすぐに状況を把握したかの様にニヤつきながら、巫山戯た事をぬかしやがる。それは誤解だ。
「待てハンナ。お前は勘違いをしているっ!」
「ええ、ええ。皆まで仰りますな坊ちゃん……アストリッド様、わたし共”ドゥームに仕えし家人”は皆、貴女様を心からご祝福いたします。末永く坊ちゃんの事、よろしくお願い申し上げまする」
未だ俺の腹の上に在るアストリッドへ向け、ハンナは大きく頭を垂れた。
勘違いだとはいえ、確かにこの状況は不味い。ウチの家政婦共(昨日入れた三人を除く)は、全員俺のおしめを替えていた文字通り母親代わりなのだから。
いや、確かにお前の気持ちは嬉しいよ、ハンナ? でもさぁ、もうちょっと何か……配慮、というモノをくれないかな?
「ありがとうございますハンナさん。レグナードは、私の一生涯を賭して支えますわ♡」
君も待て、アストリッド。森の人の一生涯だなんて、人間種相手だと軽く5代分はイケるぞ。それじゃドゥームの血脈が”ほぼ森の人”になっちまうぜ……
ウチの家人達が亜人種に対し、妙な偏見も価値観も持ち合わせていない事に少なからず安堵しながらも、今後のこいつらへ対応に、俺は不安を覚えた。
◇◆◇
「……どういう事だ?」
「だから、あの”クソ野郎”を何とかしてくれって、そう言ってんだよ。あんたンとこの奴がしでかした不始末なんだから、苦情はあんたに言う。当然だろが?」
残った亜人種の人達の”診察”のために冒険者ギルドへと足を運んてみたら、いきなり俺は大勢の冒険者共に絡まれた。
全員が黒鉄鋼級の【木星】に、こっちは銀級の弓騎士ダッカス率いる【水の星】。ぱっと見、城塞都市の名だたる徒党の殆どの”顔”が、俺の回りを囲んでいる様だ。
「ちょっと待て。ウチはとうの昔に、あの馬鹿野郎の登録を抹消している。俺に言うのは筋違いだ」
あの一件以来、俺は奴の姿をギルドで見た事は一度も無かったのだが、どうやら奴は今でも普通に、何食わぬ顔で闊歩し続けていたらしい。
一度口を開けば、その度に必ず一人の敵を作るあの馬鹿の事だ。絶対碌な事じゃない。正直関わり合いなぞ持ちたくは無いのだが、どうやら彼らの剣幕を見る限り、そういう訳にもいかないみたいだ。
「そんな言い逃れなんか、アンタの口から聞きたくなかったねぇ。奴はアンタの、【暁】の名を出してアタイ達の徒党にちょっかいを掛けてきやがったンだ。党主のアンタが責任取るのは、当たり前の話じゃあないのかい?」
「それは聞き捨てならないな。徒党【暁】は、二ヶ月も前に奴の助っ人登録を抹消している。もし君達の言う事が真実ならば、これは明確な違反行為だ」
冒険者というモノ共は”名声”を、何よりも尊ぶ。これこそが自分達の掲げる”看板”であり”飯の種”の根拠になるからだ。
当然、それを承知しているギルドも、他人の看板を”語る”馬鹿を許してはない。明確にも記された厳格な規約の一つなのだから。
「……考えてみたら、そりゃそうだよな……最近、奴がアンタ達と一緒にいるところ、見た事無かったもんな……」
「じゃあ、あたしゃ誰に文句を言や良いんだい? あンにゃろ、ウチの”主力”と”水先案内人”の二人も引き抜きやがったってのをよぉっ!」
「ウチは”僧侶”を持っていかれたっ! アイツが居なきゃ、もう迷宮探索もままならねぇっ……」
皆、一様に徒党運営に欠かせない役割を担う人材を、あの馬鹿野郎に盗られてしまったらしい。
基本的に徒党から”離党”する事は、本人の自由意思だけで決めて良い事になっている。過去、無理な勧誘や、やむを得ない状況に追い込まれて”契約”をさせられる事が”回復役”に多くあったためだ。
だが、それはあくまでも”基本的”に。だ。
当然、党主には一報あって判断を仰ぐのが然るべきであるし、徒党契約の解除を受理し、次の契約の処理をするのは冒険者ギルドだ。個人だけの思惑だけで決してできるものでは無い。
「そいつらの徒党契約が済んでいるのであれば、当然ギルドに書面で残っている筈だろう。君達は、それを聞いてみたのか?」
「それが誰も覚えてねぇって言うんだ。書面はあるのに、それを受理した筈の奴が知らねぇってよぉ……畜生、もう訳分かんねぇよ……」
……そんな馬鹿な話があるか。もしそんなザル運営をしているのなら、ギルドの根本から揺らぐだろ。
というか、その様な状況では、書面が有効だとは言えない。だからこそ、宙に浮いたままになっているだろう面子の苦情がこちらへ来たって事か……ああ、本当に面倒な事になってやがンなぁ……
しかし、あの馬鹿め、とうとう形振り構わなくなりやがったな……それなりに技量を持つ奴らばかりを引き抜いたって事は、恐らく奴もこちらへ直接攻撃するつもりなのだという事かも知れない。
「はぁ、あのまま消えてくれりゃ、それで良かったのに……」
ああ、畜生。馬鹿の相手は、本当に疲れる。
少し考えただけで、もうコレなのだから。
徒党主達の嘆きの声を聞きながら、俺は深く深く腹の底からの息を吐いた。
誤字脱字がありましたらご指摘どうかよろしくお願いいたします。
評価、ブクマいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。




