55.はい、またこのパターンです。多分これからも何度も何度も繰り返します。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」
少し熱めの湯に身体を沈めると、どうしてもこんな声が出てしまう。
長くかかった机仕事のせいでガチガチに凝り固まってしまった首、肩、腰の筋肉が、まるで解放の今を喜ぶ様に、湯の中へと溜まった疲労を溶かしていく。
……こういう瞬間々々に、自身の”老い”を嫌が応にも自覚する。
ついこの間までは、こんな風に思う事なぞ全然無かったというのに。
肩をゆっくりと回し、大きく伸びをする。
そういや少し前に冒険者を”引退”した重戦騎のアイツが言っていたな……
『歳を取ってくるとよ、思ったより全然肩が上がらなくなってきやがんだ。そうなっちまったらもういけねぇ。俺のせいで仲間が傷付く……なんて前に、ちゃんと自分に”引導”を渡してやんなきゃな……』
……俺は、まだ大丈夫。
なんて。
刻一刻と迫っているであろう、自身の”制限時間”にこうして怯えている様では、そろそろ本格的にダメなのかも知れない。
俺なんかより遙か上の歳でも”現役”で動いている冒険者は沢山存在している。
<四人の王>王 泰雄は、確か40を軽く超えていた筈だ。それで今なおこちら基準でいう白金級……S級冒険者として第一線で活躍しているというのだから、何と言うか、末恐ろしい話だ。
今思えば確実に挑発目的だったんだろうけれど、あの時奴隷商人にそんな”化け物”と比較されはしたが、そもそも俺とは”格”が全然違う。
10年後も、俺は動けるのだろうか?
……何れ、”その時”は訪れるのだ。
想像するだけで、身体が震えてくる。
「その時が来る前に、俺は……」
彼女の願いを叶えてやらなければ、ならない。
その為に、危険を顧みず態々人間種の街に、彼女は降りてきたのだから。
褐色の森の人の、アストリッドの……
「ってーか。だったら、彼女の事をもうちっとは考えろよってなぁ……」
頭部の半ばまで湯の中に浸かる。ぶくぶくと泡を吐きながら今日一日の出来事を思い出しては後悔の連続だ。
ああ、畜生。泣きたくなってきた。
あの後、彼女は何もせず部屋から飛び出していった。
俺はすぐ彼女を追いかけたのだが、自身の部屋に閉じ籠もられてしまっては、もうどうしようもなかった。
完全に、俺が悪い。
あの奴隷商人を前にした時の彼女の反応を覚えていれば理解ろう筈だったってのに。俺があまりにも無神経過ぎたのだ。
……息が苦しくなってきたので姿勢を正す。
引き取った三人……テトラ、ヘキサ、ノナの顔が脳裏に浮かぶ。
彼女達は『ワタシ達は人形だ』と、そう言った。
『主の命令に従うだけの、ただの人形だ』と。
彼女達の立場から考えてみれば、どうあってもアストリッドの怒りの矛先にはなり得ない……筈だ。
だからこそ、あの時アストリッドは怒りにまかせて三人を斬り捨てる事ができなかったのだろう。
アストリッドに殺される覚悟が、三人の中ではすでにできていたのだから余計に、だ。
考えれば考える程、彼女達三人は”異常”だ。
どうやら彼女達の思考は、常に”殺す””殺される”という、この単純で恐ろしい二択しか存在しないらしい。
主の命令に従って”殺す”。
主が気に入らないと言うなら”殺される”……いや、あの時彼女達は”廃棄”と言っていたか。それを素直に受け入れる。
ああ、おやっさん……あんたの言う通りだったよ。人としての常識が無い上に、倫理観が完全にぶっ壊れていやがる。そんな風に”調教”した奴隷商人は、死んで当然の屑だよ。
あんなのから、どうやれば普通の家政婦に出来るんだって……ああ、もう。一度ルイーザ達と相談せねばなるまい。
クソっ。家人といい、徒党面子といい、ひとっつも思う通りになりゃしねぇ。本当に前途多難過ぎる。
しかもそれが全部”身から出た錆”だというのだから、本当に、心底笑えない。
「はぁ……絶対アストリッドに嫌われただろうなぁ……見限られたりして」
迷惑かも知れないが、風呂から上がったらもう一度彼女の部屋の扉を叩いてみよう。例え彼女に嫌われたのだとしても、今俺にできる事はきっとそれしか無いのだから。
……よし、覚悟完了。
浴槽に手をかけて、上がろうとしたその時……
「安心して下さい、レグナード。私が貴方様を嫌いになるだなんて、そんな事絶対にありませんから」
「だからっ! 何でっ! 君は、いっつもっ!!」
……俺のすぐそばには、相変わらず隠す素振りも一切しない褐色のエッチな身体をした娘さんがおったそうな。
◇◆◇
「はぁ……慣れてしまうと、この熱いお湯が癖になってしまいました。もう戻れない気がします」
……そうですか、それはなにより。仲間ができて嬉しいよ。
「<モス・レイア>の麓の村には”温泉”があるそうですよ。皆で一緒に入りましょうね♡」
……そだね。皆で行けたらね。
「行けたら、だなんて。皆で行くっ! そうはっきりと約束して下さい、レグナード」
……うーん。だって、今の”戦力”じゃ、正直不安しかないからなぁ……
「そこは私達が手を取り合って面子の皆様を鍛え上げれば良いのです。彼女達ならきっと私達に応えてくれます」
……だと良いね。頑張らなきゃ、だな。
「……というか、いい加減こちらを向いて話して下さいませんか、レグナード。私の身体、そろそろ見飽きた頃でしょうに?」
「それは無理。ひょっとしなくても、俺死んじゃうから……」
「死んじゃうって……貴方様は、もう……」
見飽きるだなんて、とんでもない! 今にも俺の息子さんが暴走しそうなんですよ? ”感謝感激雨霰っ!”って言いながらさぁ。
「……アストリッド、本当にすまなかった。俺、無神経過ぎた、よな……」
「いいえ。私も短慮でした。彼女達は、ただ”命令”に従っただけですもの。それに……」
アストリッドの細くしなやかな指が、俺の肩に触れる。熱い湯とは違う温度に、一瞬だけ身体が強ばる。
「……それに?」
「先程の私の行いは、ただの”逆恨み”によるもの。それだけで、私は彼女達に剣を向けてしまった。その醜く浅ましき思いに、何も正義なぞ無いのですから……」
「逆恨み……か……」
「はい。逆恨み、です」
これは彼女の額だろうか? 首筋にかかるひんやりとした感触が、火照った身体に心地良く染みる。
「私は、人間種を恨んでいます。憎んでいます。私の母を、父を惨たらしく殺した人間種を……奴隷紋などという卑しき”外法”を扱い、まるで道ばたに生えた草を刈り取る様に私達森の人を狩る人間種をっ!」
傷一つ、染みの一つも無い美しき褐色の腕が胴へと回り、俺は彼女に強く抱き止められた。
「レグナード。本当の私は、こんなに”醜い”女なのです。昏き憎しみの恩讐に囚われた、ただの亡者……なの、です……」
「アストリッド……君は……」
今の俺に出来ること、彼女にしてやれる事は、一体何なのだろうか?
湯気から漂う彼女の熱と体臭にクラクラしていながらも、どこか冷めた思考を持ったままでいる自分がそこにいるのを、俺は何となく感じていた。
本文に書けなかったのでここで。重戦騎は重戦士の上位職になります。名前の元ネタはめちゃ古いのですが某Lのガイムです。
重戦士の弱点だった”機動力の無さ”を完全に克服したいわゆる”動けるデブ”です。
誤字脱字がありましたらご指摘どうかよろしくお願いいたします。
評価、ブクマいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします




