37.腹が減っては戦はできぬ。でも、食っている最中でも人は争えるんだね……
「お疲れ様でした。レグナード様」
差し出されたコップを受け取り、一気に中身を呷る。
態々氷まで用意してくれたのか、仄かに柑橘の香りが付けられたよく冷えた水は、度重なる回復術で限界近くまで自身の生命力を捻り出した身体を優しく労ってくれた様な気がした。
「はぁ、美味い……ありがとう、ミリィ」
飲みきってから喉の渇きを殊更自覚するなんて、本当に間抜けな話だ。それだけ、彼らの治療に集中していたのだと思いたいが。
「いいえ、お粗末様です。もう一杯、いかがですか?」
「ありがたい。貰おうかな」
それから2杯はお代わりをして、漸く喉の渇きが落ち着いた。
喉の渇きが収まったかと思えば、今度は大声で空腹を訴えてきやがった。水分で胃を満たしたってのに、人間の身体って奴は本当に身勝手が過ぎる。
盛大に鳴った腹の虫という不意打ちに、ミリィは笑いを堪える事が出来なかったのか大きく吹き出した。畜生、穴があったら入りたい。
「……すまないが、何か腹に溜まる物でも持って来てくれないかな? ああ、そうそう。手伝ってくれた奴がいるなら、そいつらにもお礼も兼ねて何か出してやってくれると嬉しい。勿論、俺の奢りでね」
考えてみたら、俺は今朝から何も固形物を口にしていなかったのだ。そりゃ腹の虫が盛大に抗議をしてくるのも道理だろう。
「ふふ。大丈夫ですよ、レグナード様。ちゃんとご用意しておりますから」
ミリィが嬉しそうに頷いたと同時に、何やら美味そうな匂いがしてきた。
「ほいほい。飯持って来たぜぇ、だんなさまぁ」
「下の酒場のご飯って、ホント美味しいよね。ボク大好き♡」
「焼きたてのパンの香りというのは、本当に堪えられません……」
介助の手伝いも一段落したのか、アストリッドが焼きたてのパンを載せた籠を。シルヴィアとアンが、大きな鍋を抱えて部屋に入って来た。美味そうな匂いの元は、どうやらアレの様だ。
「へぇ……これは本当に美味そうだ」
あまりに美味そうな匂いに理性が抗えず、思わず蓋を開け中身を覗いてしまった。何とも貴族の行いらしからぬ行儀の悪さだ。
だが、鍋の中身を見て納得した。これはもう仕方が無い。
大きめにカットされた肉と野菜がゴロゴロと入ったここまで豪勢なシチューならば、きっと空腹でなかったとしても無理矢理にでも胃袋が自身の内に収めてしまおうとする筈だ。それこそ空腹の絶頂である今の状態ならば、俺の胃袋は限界を軽く超えて、どうにかなってしまうかも知れない。
現に、俺の口内は唾で溢れ、今にも溺れてしまいそうになっているのだから。
「ささ、皆様。暖かい内に……」
「「食べよう、食べよう♡」」
ほんのついさっきまで、この部屋の空気がまるで戦場の如く張り詰めていたというのに……二人の陽気な唱和で一気に和むとか。
アンとシルヴィアの二人には、本当に感謝してもし足りないな。
……まぁ、本人達には絶対に言ってやらないんだがね。調子コきやがるのが解っているから。
◇◆◇
大勢で一つの食卓を囲うというのは、本当に良いものだ。
特に今回は、皆で協力して一仕事を終えた後なのだから、充足感と満足感が違う。
「【暁】の皆さん、おかわりは沢山ありますからね♡」
「やりぃ! ミリィ、オレの次の椀には、肉をいっぱい入れてくれよなっ!?」
「……そのまま肥え太るが良い。ブクブクと」
嬉しそうにおかわりの予約をするシルヴィアの声に、ボソりとアンが恨めし気に呟いた。
アン。そこで盛大に毒を吐いてみせた所で、君の場合は仕方が無いと俺は思うんだ。
だって、君は常日頃部屋に引き篭もってあまり身体を動かさないんからさ。そりゃ、日頃の運動量が違う野伏のシルヴィアと同じだけの量を食べてそんな生活を続けていたら……ねぇ?
「……お腹のお肉が気になると仰るのでしたら、貴女も明日から走ってみませんか? ヴィオーラと一緒に」
「嫌、無駄な筋肉が付く。ボクは荷馬じゃないんだから、荷物背負って延々走るなんてとてもとても……」
「ってーか、アン。無駄な贅肉が付くよか、筋肉のがなんぼかマシじゃね? それに、お前さんの場合はもう少し体力付けた方が良いぜ?」
冒険者としてこれからも生きていくつもりならば、自分の必要分の荷物を背負って目的地までの徒歩の往復ができて最低限だ。
荷物持ちという称号職の前提技能の中には、”次元倉庫”という魔法がある。
魔法オタクのアンならば、これを習得していても何ら不思議は無いのだが、どんな小さな荷物であっても、出し入れ時に必ず一定量の生命力が要るという欠点がある。
全ての荷物を次元倉庫に収めてしまったが為に、いざ必要な時に取り出す為の生命力が足りなかったとか、そうなっては目も当てられない。そんなお間抜けでどうしようもない事態に陥らない為にも、必要な荷物を抱えての行動が出来て最低限なのだ。
その点、正直に言わせてもらえば、引き篭もり気味のアンの体力では不安しか無い。
「それにさ……」
「うん?」
「ヴィオーラはボク達の事、嫌っているからね。一緒に走るなんて、出来る訳が無い」
……やはり気付いていたか。
一度皆を集めて、話し合うべきなのだろうか? 自身が単独徒党で生きてきた半コミュ障のせいか、この場合の正解が、俺にはどうしても解らない。
今まで通り独りで生きていくつもりであれば、こんな事で心を砕く必要も無かったのだが。だが、徒党を組んで生きていくと決めた以上は、徒党面子間のトラブルにも対処出来ねば、何の為の党首か。
「あー……オレもアンの言いたい事ぁ解る。解るが、でも、お前さんの本音は、”ダリぃ、動きたくねぇ”……だろ?」
「……正解」
無表情のままペロッと舌を出すアンを見て、彼女達の関係を深刻に考えていた事を、俺は少しだけ後悔した。
(……何も為ず、放っておいた方がいいのだろうか?)
案外強かな彼女達の様子を見る限り、要らぬ世話なのかも知れない。
大きな馬鈴薯を噛み砕きながら、少しでも彼女達に介入しないで済む理由を必死で探している自分が、本当に嫌になった。
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