28.見舞いの品が果物だと本当に嬉しい。花は食えないから勘弁だ。
リアルで寝込んでいたせいでどうしようも無いくらいに仕事が溜まってにっちもさっちもいかなかったので本当にごめんなさい。
もう一人の母親代わりだった家政婦のルイーザの声で目が覚めた。どうやら知らぬ間に寝てしまっていたらしい。
ベッド脇のテーブルには、すっかり冷めてしまったグリューワインが置かれているが、逆に今の体調ならこちらの方がずっと飲み易いのかも知れない。
恐る恐るゆっくりと身体を起こしてみる。もう目眩は治まった様だ。
窓から零れる光は殆ど部屋の中に入ってはこない。この部屋の方角はすでに太陽の軌道から外れている様で、少なくとも昼の時間からは軽く超えているみたいだ。
ひやりとした感触が額に当たる。ルイーザの手だ。
未だ鍛錬を怠らぬ”銀級”だった元冒険者の傷痕だらけの掌は、武器だこでゴツゴツしてはいるが、今はもう人を傷付ける様な荒事はしていない。
「お熱は下がったみたいですね。ですが、このまま今日一日はご無理をせず、ゆっくりなさっててくださいな、坊ちゃん」
「……お前もか、ルイーザ。坊ちゃんはやめてくれと何度も……」
「坊ちゃん、それは無理ですよ。朝、昼、晩と貴方様のおしめを替えてきたのは、一体誰だとお思いで?」
「……むう」
彼女達にそれを言われると、本当に弱い。
何か少しでも言い返そうものなら、その後、こいつ等は幼少期の俺のネタで散々弄ってくるのだ。なまじ常に身辺の側に居る分、滅多に会う機会の無い親戚の叔母さん連中なんかよりも、よっぽど質が悪い。
ましてや、一つ言い返せば、それこそ十は最低返ってくるのだから、勝ち目なんか最初からある訳も無く。
「……解った。だが、ルイーザ。せめて他人の耳がある時だけでも控えてくれ。本当に困るんだ……」
もしアストリッドに、この”坊ちゃん”呼びを聞かれてしまったら、たぶん俺は恥ずかしさのあまりに軽く死ねると思う。だから、せめて今の内に予防線を張っておかねばなるまい。
「ごめんなさい、レグナード。実はもう……」
「うん、解った。今すぐ死のう」
まさか、ベッドのすぐ側に彼女が居た……だなんて、そんなの全然気付かなかったよ。
「ルイーザ。俺の魔剣を持て。今すぐにだっ」
「それをどうなさるおつもりで、坊ちゃん?」
ああ、やはり家政婦達は俺のこの気持ちなんか1㎜も理解してくれないんだな。畜生、ホント泣けてくるわ。
「そんな事で怒るだなんて、レグナードってば可愛い♡」
「ですよねぇ? ほらほら、坊ちゃん。アストリッド様は、坊ちゃんの事可愛いと仰っていますよ?」
半笑いでこちらを見てくる家政婦に、俺はムカっ腹が立った。こちらが何も言い返せないからと調子コきやがって、畜生。
「……くそう。ルイーザ、後で絶対覚えとけよ……」
可愛い可愛いと俺の頭を撫でる褐色の手の温かさだけが、ささくれ立つ俺の心にとって唯一の癒やしだった。
◇◆◇
俺が高熱を出して寝込んだという話は、アストリッド以外にも家政婦達を通じて【暁】の他の面子達にも伝わっていたらしい。
なんとか上体を起こしていられる様になった途端、代わる代わる彼女達が見舞いに来てくれるのだから、嬉しいやら心安まる時が一切無いやらで少々複雑な思いだ。
「未熟者で申し訳ありません、レグナードさん。わたくしの祈りが”大地母神”に届いていれば、この様な苦しみを貴方が……」
「でもさ、あんたもやっぱり普通の人間だったんだねぇ……こんな時にちょっと不謹慎なのかも知れないけれどさ、アタシは少しだけホッとしたよ」
クラウディアとレジーナが、二人揃って俺の部屋に顔を出してくれた事は本当に嬉しかった。
未だあの馬鹿野郎によって深く傷付けられた筈の、心の疵が癒えていないだろうに。だのに、わざわざ俺なんかの為に。
「ただ少し疲れが溜まっていただけだよ、だから気にしないでくれクラウディア。それとレジーナ、それは流石に失礼じゃないか。こんなでも、俺は一応普通の人間のつもりだぞ?」
また徒党面子同士で、こんな風に軽口を言い合える日が来るなんて、思ってもみなかった。
次兄アルベルトと共に過ごした【一番星】の当時を不意に思い出し、涙が両目から溢れそうになって少しだけ慌ててしまった。
「……レグナード?」
「ああ、大丈夫。少し目にゴミが入った様だ……何でもないさ」
今思えば、30年近く過ごしたクソッタレな人生の中で、あのあまりにも短かった当時だけが、きっと一番俺が俺らしく生きていられた時間だったのだろう。
あの楽しかった日々が、少し脳裏を過ぎっただけでこうなるなんて。
ああ、本当に。なんて、無様。
歳をとると妙に涙もろくなるのだと聞いた事はあるが、もしかしなくとも、もうそんな歳なのだろうか俺は?
咄嗟に隠してみたけれど、多分彼女達には色々とバレているのだろう。それでも気付かない振りをしてくれた二人の思いやりに、少しだけ頭が下がった。
◇◆◇
「……本当に、クソ野郎は、何でもかんでも自分一人だけで抱え込むから始末に悪い」
「アンの言う通りだ。レグナードも、稀にでも良いからさ、オレ達を頼ってくれよ。なぁ?」
「シルヴィアは本当に良い事を言う。そもそもボク達は、同じ徒党の仲間なんだ。だからクズ野郎は、少しくらい仲間達を信用してくれなきゃ困るよ?」
「うんうん。そうだ、その通りだぜアン。解ったかレグナード♡?」
「……ええっと? ……はい」
二人の勢いと剣幕に完全に飲み込まれてしまった俺の図。
うん。言い返す暇なんか、欠片も無かったね。
でも、二人の言葉は本当に心に染みた。
そうだね。これからは、頼りにさせてもらうとしよう。
今の【暁】にとって最大の敵は、この国に在る大陸最大であり唯一の活火山”モス・レイア”に棲む上級竜なのだ。遠距離攻撃の要である両名の手腕に掛かっていると言っても、決して過言では無い筈だ。
まぁ、今の彼女達の技量では、流石に到底無理だとは思うけれど。
それでも、今後の成長次第かな?
「……アン、シルヴィア。君達には、期待している」
「うん。期待していてね、ダメ野郎♡」
「おう。オレ、絶対頑張るかんな、レグナード♡」
……できれば、せめて。彼女達から向けられる二人称が安定して欲しいのだけれど。野暮な話なのかも知れないが。
◇◆◇
「……そういえば、レグナード。彼女……ヴィオーラは?」
美しい褐色の細い指が操るナイフによって、林檎の皮が綺麗に剥かれていく様子をベッドで寝ながら何とはなしに眺めていたら、アストリッドから不意に声を掛けられた。
「ああ、あいつは来ていないよ」
考えてみれば、昨晩あれだけの強い口調で俺の事を詰ったのだから、顔を出すのも憚られるのも頷ける。
というか、俺自身が彼女の顔を見て、何と声を掛けてやれば良いのかさっぱり解らない。正直に言ってしまえば、”対処”に困る。
『……そうだよ。勝手すぎるよ、レグ……』
あの時の、今にも泣き出してしまいそうな彼女の表情を思い出すだけで、胸が締め付けられてしまうのだ。
ヴィオーラの紡ぎ出した言葉の一つ一つを何度も思い出しては、俺は頭を抱えてしまう。俺は、未だ彼女への返答を思い付けないでいるのだから、何とも情けない話だ。
明日までには、せめて彼女が少しでも納得してくれる様な一定の返答を用意せねばならないと思ってはいるのだが……
「ヴィオーラ様でございましたら、つい今し方お一人でお出かけあそばしましてございますが?」
「……は?」
おい、セバス。今なんつった? そういう事を逐一報告してこその家宰だろうが。後で説教だ。
「ナタリーっ! 俺の魔剣を持って来いっ。今すぐにだっ!」
ヴィオーラが外出したのは、まだ良い。
だが、一人というのだけはとても不味い。
「レグナード?」
「ああ、アストリッド。すまないが付き合ってくれ」
こんな時に不意に脳裏に来る”嫌な予感”というものは、何故だか知らないが、本当に良く当たる。
「貴方の体調を、今更私がどうこう言ってはいられない様ですね?」
「ああ。特に何事も無かったら、余生は健康に留意するとしようか」
正直に言うと、まだ少々足下が覚束無いのだが、そんな事を言ってられる事態ではなくなってしまった。
彼女の身に、何事も無ければ良いのだが……
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