25.腹を割って話し合おう。俺の中身は真っ黒だろうが気にするな。
「ああ。あの女性は、本当に何であそこまで……」
”褐色の森の人”のアストリッドに何故あそこまで懐かれているのか、本当にさっぱり解らない。
まさか、あの可憐で瑞々しくもぷっくりとした薄紅色の唇から『純潔を奪ってくれ』的な言葉が紡がれるとは……しかも、その言葉が俺に向けてだとか。全く想像の範疇を超えている。超え過ぎている。
疲労がピークを越えたのか、ただでさえ今日はもう頭が上手く働かないってのに。
あの後、俺を追いかけてこなかったという事は、多分、彼女も本気では無かったのだろう。いや、ただ単に俺の事をからかっているだけなのかも知れない。
「彼女にとって、そんなに俺は弄り易いのかねぇ……?」
ちゃんと正式に彼女の歳を訊いた訳ではないが、”森の人”は約140歳辺りで成人扱い、寿命は凡そ600歳くらいだと聞く。肌の色に違いはあるだろうが、恐らくそこまで”種の生態”に差は無い筈だ。
ある段階まで成長した個体は、老いてもその見た目にさほど変化が見られないままに死ぬのだとも。だからこそ、見目麗しくも劣化の無い”森の人”が、永年の財産である”奴隷”として、高値で珍重されてきたのだろう。
親子孫と三代にわたり仕えてきた。なんてのも、まま当たり前の話だったらしいしな。
……年齢不詳過ぎるだろ、森の人……
それを踏まえて考えると、俺が彼女の中で”ガキ”と変わらない扱いであったのだとしても何ら不思議は無い。見た目はほぼおっさん。その癖して、面白いくらいに派手に狼狽えるんだから、そりゃ、からかい甲斐もあろうってもんだ。
そうだ。変に自分にとって都合の良い妄想をするのはやめよう。
ああ。なんだか妙に死にたくなってきた……そうだ。何浮かれてんだ、俺。今までの人生の中で、そんなにモテた試しなんか無いじゃないか。
……うん。今日はもう寝てしまおう。身体が温まっている間にベッドにGOだ。
寝室の扉を開けて、中に入る。いつもは家政婦が寝酒を用意していてくれるが、今日はそれも不要だろう。ベッドに入って眼を瞑れば即墜ちしそうだし。
「はぁい、レグ。あたし、来ちゃった☆」
「カエレっ!」
我が愛しのベッドの上には、何故だかは知らんが、寝間着姿のヴィオーラが座っていたのだ。
◇◆◇
「ああ、ホント頼むから寝かせてくれ、ヴィオーラ……」
ある意味童貞の俺には憬れだったこの台詞を、今この場で吐かねばならぬのは本当に業腹だ。甘い雰囲気も、妙にそわそわした浮ついた感じも、エッチでピンク色の空気も、なんっにも無い。男にとって、全然嬉しくないシチュエーションってのはね……
「んふふ、だぁめ。今夜は寝かせてあげないんだからね、レグ♡」
会話のやりとりだけを切り抜いてみたら、ここは男として物凄く興奮するだろう場面なのだろう。だが、残念ながら実際は違う訳で。
彼女の笑顔が……うん? 笑顔??
……いやいや、笑顔だ。一応は笑顔で良い筈だ。
ただし、例えるならば、肉食獣が獲物を目の前にしたら、きっとこんな風に口元を歪めて鋭く尖った牙を見せつけるんだろうなぁ、ってな表情。解るかな? 捕らえられた獣は、もうこの後に待つ運命を受け入れ、己が命を諦めるしかないっていう、そんな感じの。
一瞬抗おうとも思ったけれど、どう考えても彼女との深夜イベント、これ不可避だわ。
「……少しだけ待ってくれ。珈琲煎れてくっから」
「あたしのは、ミルクをたっぷりと入れてね♡」
「へいへい。仰せのままに」
こうなったら、カフェーの力を借りてでも、今にも闇の底へと落ちそうになっている意識を何とかして再浮上させるしかない。
正直、今の俺の体調で、その効果がどこまで保つのかは、甚だ疑問ではあるがね。
◇◆◇
「……ほら。熱いから気を付けろよ」
「ありがと」
まぁ、解ってはいたんだが、早速ヴィオーラが砂糖を遠慮無しにドバドバと注ぐ様子を見ただけで、口の中が甘ったるさでいっぱいになる錯覚に囚われる。
カフェオレボウルに煎れて正解だったな。普通のカップじゃ絶対に溢れるぜ、あれ。
「……ホットミルクの方が良かったか?」
「ううん、そんな事ない。ありがとね、レグ」
『……いや、どう考えてもお前さん、珈琲苦手だろ?』
……なんて言ってやりたいのを、どうにかグっと堪える。リクエスト通りにミルクの割合を多めにしておいたんだが、それでもキツいのか……? ああ。いや、ただ単にもう癖なのだろう。碌に味を確かめもせずに一気に砂糖を入れたし。
「……で? 俺様の貴重な睡眠時間を削るまでの用ってなぁ、一体何だよ?」
彼女が此処に来た意味……大凡の見当なんぞとっくについてはいるが、態々今夜この時にやらなくても良いだろうに。これくらいの嫌味の一つも言ってやっても、罰は当たらんだろうさ。
「解らないの? あたしが何で来たか」
「……少なくとも、夜這いとかじゃないンだろ?」
「あら? レグがお望みというのなら、あたし、やってあげても良いのよ? 夜這い。何なら、今すぐあなたを押し倒して差し上げるわよん?」
極甘ミルクコーヒーを舐める様に飲みつつ、ヴィオーラは表情を一切変えず、事も無げにそんな事を言い出してきた。うん、何かは知らんが、彼女が妙に怒ってる感じだけは何となく伝わってきた。
「……冗談は行動だけにしてくれ。俺は眠いんだ」
「なにさ、自分から振ってきたんじゃない」
そういえば、ヴィオーラは一番最初に単独徒党の俺の周りをチョロチョロし始めた冒険者の一人だったな。
そうそう。振り返ってみたら、すでに二年以上もの付き合いになるのか。そうだよな。そのくらになれば、こんな軽めの言い合いなんかも、まぁ慣れたモンで。
だからこそ、今の彼女との”違和感”は拭いきれる訳が無かった。
「何を怒ってんだ? その理由が解らないんじゃ、俺は君に、何も言ってやれない」
「……怒ってない」
ぷいとそっぽを向きながら、ヴィオーラは不貞腐れた様に低い声で短く返事をした。もうその態度こそが、如何にも”怒ってます”と言ってる様なモノだ。
「嘘言うな。怒ってんだろ?」
「怒ってなんかないってば!」
彼女は、俺に怒っている。それはもう確定だろう。
だが、俺の何に対してなのかは、絶対に自分の口からは言いたくない。どうやら、そういう事の様だ。ま、見当通りだな。彼女は俺に引き止めて欲しいのだ。その為に、今夜このタイミングでここに来たのだろう。
「……はぁ。じゃあ仕方が無い、もうこの話は終わりだ。ああっと、これは俺の独り言になるんだが……」
だから、一方的に俺の方が話す事にする。それで彼女がどう思うのか、それも予想は付いている。それが、俺にとってどういう結末を迎える事になるのか。それも覚悟の上だ。そこに何の意味があるか、彼女が少しでも感じてくれるだけで良い。
例え道を違えど、彼女に幸多からん事を願って。
俺は”独り言”を始める為に、すっかり温くなってしまった珈琲に一度口を付けた。
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