24.はい、またこのパターンです。多分これからも何度も繰り返します。
「はぁ、どっこいしょっと……」
そろそろ年齢を自覚せねばならない独り言が、無意識の内に漏れ出でてしまったらしい。
今日やるべき事を全てやって、重い身体を引き摺って。なんとか湯船に入ったまでは良かったが、正直、今の俺ってば寝落ち寸前の状況です。はい。
「あー、ここで落ちたら、多分死ぬよなぁ……」
顔に湯を浴びせては、何とか覚醒を促してはみようと試みてはみるが、どうやら無理臭い。
だって、考えてみたらさ。俺ってば、今週まともに寝てないんだよね……
多分、風呂で意識を失ったあの時が、一番まとまった時間寝れていたのだろうけれど、あんなのは絶対”寝た”内に入る訳がねぇ。あれはただ単に失神していただけだ。
「明日は……寝て過ごす。絶対だ……」
朝食の時間になっても、絶対に起きてなんかやるものか。それこそ、昼まで寝たおしてやる! んで。起きてから、昼飯食って。その後も、寝る。ただひたすらに、寝てやる。
朦朧としてきた意識の中で、明日の予定……と言って良いのか、すでに願望が主成分となっているざっくりなスケジュール表を脳内に描いて、その状況を想像して勝手に悦に浸る。
……そういや、ずっと走り続けてきたんだもんなぁ。たまにゆっくりするのも良いんじゃないか?
冒険者稼業をやめてしまえば、ここまで忙しい日々を過ごす事はきっと無かっただろう。現状、ドゥーム男爵家の”家業”は安定しているのだから、何も危険を冒す必要なんか、有りはしないのだ。
だが、今でこそ当主を務めてはいるが、俺は元々、継承の望みがほぼ無い男爵家の三男坊だった。冒険者家業だって、一つ上の兄に無理矢理に誘われて始めた様なものだ。
治めるべき領地を持たぬ男爵家の次男坊、三男坊なんてのは、それこそ貴族とは名ばかりの下男でしかない。まともな教育を受けさせて貰える事の方が極めて稀だ。
当時”家業”がそれなりに順調に成長していたドゥーム男爵家は、金銭面だけで言えば並の伯爵家よりも遙かに裕福だった事が幸いし、俺も、一つ上の兄も、質の高い教育を受けさせてもらえた。
だが、家の全ては、次期ドゥーム男爵たる長兄のものだ。
家を出るしかない俺達は、いつか一人の力だけで食っていかねばならない以上、”冒険者”という選択肢は、その一つになり得たのも確かな訳だ。
……そのせいで、俺は、長兄と、一つ上の兄と、父親という”家族”を失ったばかりではなく、底知れぬ人間の欲望と、どれだけ繕ったとしても見るに堪えない醜い部分を、それこそ嫌という程に味わうハメになったのだが。
家業と単独冒険者の”両立”という、今までの無理のある生活は、あの時、俺が上手く立ち回りさえすれば救うことができた筈だった命……長兄と、一つ上の兄に対する”贖罪”でしかないのかも知れない。
……まぁ、多分に俺の”意地”なのだろうけれど。
首まで湯に浸かってしまうと、いよいよ意識が怪しくなってきた。
まだ充分に身体が温ともったとは言い難いが、このままで居ると、多分……いや、確実に風呂で溺れ死ぬ。
「……出るか」
まだ死にたくないし。てーか、せめて生きている内に童貞だけは卒業しときたいし。
浴槽の縁に両手を搗いて、無理矢理上体を起こそうと力を込め……
「おや、レグナード。もう揚がってしまわれるのですか?」
「だから、なんで! 君は! 入ってくるのかなぁっ!?」
……ようとしたら、”褐色の森の人”のアストリッドが、裸体を隠す素振りも見せずに立っていた。
◇◆◇
「はぁぁぁ、私も随分と慣れてきたんでしょうか。熱い湯というのも、結構良いものですねぇ……」
……そうだね。慣れって本当に恐いね。
狭い浴槽の中で、彼女に肌が触れない様、身体を無理矢理小さく折り畳む術を完璧に身に付けちゃってるよ俺。
いや。そりゃ、俺だって男だからね? それなりに好意を持つ美しい女性の肌に触れてみたいナー。って、そう思った事は全然否定しねぇよ?
でもさ、いざ手を伸ばせば簡単に届く距離に置かれたものって、急に触れるのを躊躇ってしまわないか? 恐くならないか?
多分、今の俺の心境って、そういう事なんじゃないかなぁって。なので、決して俺はヘタれた訳じゃねぇンだかんなっ!
「今日は本当にお疲れ様でした、レグナード」
「……いや。それを言うのは俺の方だよ、アストリッド。人間社会のつまらん事に巻き込んでしまって、本当に申し訳なかったね」
アストリッドには、なるだけ人間の汚い、醜い部分を見て欲しくはなかっただけに、今日の出来事は本当に嫌になった。あんのクソ司祭には、絶対報復してやる。
「訊くのが少しだけ恐かったんだけれど、君達は何も無かったよな? 衛兵共とは……」
「……主人の身の潔白を証明したいのであれば、服を全部脱げと」
肩から二の腕、手の先へと彼女の細くしなやかな指が、染み一つ無い自身の褐色の肌を撫でると、きめ細やかな肌が湯の珠を弾いて、そのまま湯船に滑り落ちた。
「は?」
「服を脱いで、足を開けと」
彼女の一挙手一投足からどうしても視線を外せなくなっていた俺の意識が、その言葉で一瞬の内に怒りで真っ赤に染まった。
「抵抗すれば、お前達の主人は終わりだ。と、そう言われました」
「……なんだと?!」
……あのクソどもが。
殺す。絶対に殺す。
社会的に、物理的に、確実に殺してやる。生まれてきた事を後悔させてやる。俺の”家族”に手を出した事を、地獄に堕ちても後悔させてやるっ!
「まぁ。そんな事、私達がするなんて、絶対にあり得ないのですけれど」
「……へ?」
「あの方々には、”欲情の精霊”を嗾けてやりましたので。自身に都合の良い淫らな夢を見続けて、何れ、その欲望の果てに自滅なさる事でしょうねぇ……」
彼女が言うには、”欲情の精霊”に憑依された人間は、自分の妄想と現実の境が曖昧になるのだそうだ。
妄想を瞼の裏に見ている間は、きっと彼らも幸せだろう。だが、その内に欲望は暴走し、妄想を現実にしようと行動する様になる……その自覚が無いままに。
その果てに待つ運命は、身の破滅だ。
「私は決して安い女ではありませんから。”光の精霊”の偽装を解いた事で、正体を明かし不利になるのだとしてでも。己が純潔は、絶対に護り通します」
「そ、そうか。良かった……」
俺は改めてアストリッドに向かい頭を下げた。
徒党に入った途端、何度も事件に巻き込まれた挙げ句、命と貞操の危機に直面させてしまう様では、彼女にとって俺は良い徒党主ではないだろう。これで愛想を尽かされやしないか、内心気が気では無い。
「私も、【暁】の、貴方の”家族”の一員なのですから。私の持てる力全てを使ってでも、絶対に家族の皆を護り通しますし、貴方の無事のお帰りを待ち続けるのは、当然の事です」
「アストリッド……君は……」
……やべ。涙が出てきそうだ。
彼女の真っ直ぐな気持ちが、頑なだった俺の心に優しく刺さった。
今この場が風呂で、彼女も俺も素っ裸でなかったら、多分俺は、力一杯に彼女を抱きしめていたと思う。この感動は、それ以上かも知れない。
だから、せめて。
両手に彼女の嫋やかな指を取り、精一杯の感謝と親愛を込めて口吻をした。
「俺は君に誓おう。君が大切にしているものを、絶対に護ると。君の命を、尊厳を、純潔を、俺が護り通すと」
森の人たる彼女の人生は、人間の俺の何倍も長い。きっと今までも俺の何倍も生きてきた筈だし、これからも俺の何倍も生きる筈だ。
……だけれど、せめて俺が生きている間は。
この”誓い”は、彼女にとって瞬きにも等しいだろう俺の人生の全てだと言っても良い。そのつもりの言葉だ。
「……ダメです。それは、絶対にダメです」
「え? な、何故だ。何故なんだい、アストリッド?」
この”誓い”を受け取れないと? そう言うのだろうか、君は。
「……だって、それでは、私はずっとこのまま、純潔でいなくてはならないではないですか……」
「それが、なにか?」
そりゃ、君が全てを捧げたいと願う男性が現れたら、当然その時点でこの”誓い”は無効にするに決まっている。流石に俺も木石ではないのだから、人の恋路を邪魔するとか、誰も好き好んで積極的に馬に蹴られようなんて思ってもないさ。
だから、安心して欲しい。せめて、俺が、君の側にいられる間だけでも……
「……レグナード、貴方なら……」
「……うん?」
「ですから、レグナード。貴方様なら、今すぐにでも、奪ってくださって構わないのですよ? 私の、純潔」
「畜生、台無しだよっ!!」
”魔法使い予備軍”の名は伊達じゃないんだ。すぐなんかできる訳ねーだろ! 俺の純情を返せっ!
俺は泣きながらも跳び跳ねる様に、エッチな褐色の美人さんのいる風呂場から全力で離脱した。
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