23.馬車の中は揺れるし、狭いし。おい、俺は痴漢じゃないからな?
「てゆかさ、レグ? その二人のアレ、レジーナ達にも見せるつもりなの?」
「……あ゛? …………ああっ!」
衛兵の詰め所から出て来た時の妙なテンションのせいで、頭から完全にすっぽりと抜け落ちていた何よりも大事なその事を思い出し、俺は自身の額を力一杯掌で音高く叩いた。
いかんいかん。アンとシルヴィアに刻まれた”刻印”を、あの二人に見せてしまうのは流石に酷だ。
あの馬鹿野郎のしてきた数々の”非道”を、嫌でも彼女達に思い起こさせるトリガーにもなりかねないのだ。
さて、困った。呪消去術を彼女達に行う、その一件だけで無駄なトラブルを抱えすぎたせいか、俺の中で完全に”その後どうするか?”が抜けていたのだ。これこそが一番大事な話だというのに。
「……な、なぁ。アン、シルヴィア?」
「どうしたの、クソ野郎?」
「うん、なんだいレグナード?」
……あれ? 彼女達の口から出てきた単語と、そこに込められているであろう意味が全然違った様な……?
いやいやいやいや。きっとこれを認めたら、またぞろ俺は寒さで震えるハメになってしまいそうだ。それじゃなくとも、この二人の密着度が衛兵達に取っ捕まる前よりマシマシだってのに。実際、アストリッドとヴィオーラから放たれる視線には、すでに怖気がするほどの極寒の冷気が含まれている。命の危険を感じてしまうのは、本当に何故だろうネー?
……話が進まん。
「君達の右半面に刻まれた刻印を、しっかりと見せてもらえないだろうか?」
”奴隷紋”は、人の尊厳と意思を奪う為に編み出された”外法”だ。
しかもあのゴミ野郎は、態と目立つ顔の右半分にそれを刻んでみせのだ。
俺を殺す為、彼女達を”刻印”で縛り、さらには失敗しても良い様に、魔導具”支配の首輪”を嵌めていつでも始末できる様にするという念の入れようだ。ここまでで充分奴の”外道”っぷりが嫌という程に思い知らされる。
彼女達の端正で美しい顔の半分に克明に刻まれた、その醜悪な赤黒い”紋様”は、謂わば彼女達の屈辱の証とも言えるだろう。
それを間近で観察されては、心安らかでいられる訳なぞ絶対に無い筈だ。俺が彼女達の立場だったら、確実にキレると思うし。
「……いいよ? 君は野郎だけど、ボクは我慢できる」
「オレも大丈夫だ。変に遠慮なんてしなくても良いし」
「そうか。すまない」
……まずは、”刻印”の深度を測ろう。表皮止まりであれば、その後俺の覚悟次第になるが、作業は数秒で終わるし、痛みもそんなに感じない筈だ。
「走査」
これが皮下組織層を抜け筋肉にまで達していた場合、話がかなり変わってくる。
皮膚の表面を削るだけに留めても、その時は充分に誤魔化せはするだろう。だが、それでは何れまた”刻印”が肌の表面に浮かび上がってきてしまうのだ。
それを防ぎ根本から治療するためには、一度全部を削り取ってしまわねばならない訳だが……
……参った。
技能からの答えは、皮下組織をも抜けて筋肉にまで”刻印”が達しているのだと出てきた。
つまりは彼女達に刻まれた”刻印”を消し、全て元通りにしようとするならば最低限、右半面の皮膚組織の全部を一度完全に削り取ってしまわねばならないという事だ。
「ふむ……ここが、こうで……アン、シルヴィア。君達に問う。俺の事、信用してくれるかい?」
「……ボクらに関わっても何にも得なんか無いのに、あなたはボクの嫌いな男のくせに、ここまでしてくれたんだからね。信じるよ」
「オレもさ、アンと同じ気持ちだよ、レグナード。これでアンタに文句なんて言ったら罰が当たっちまう」
その癖しやがって、綺麗に眼球を避けている所が本当にいやらしい。この”刻印”の深度だと、瞼みたいな薄い部分は簡単に突き抜け下手をしなくても失明していても何らおかしくはない。
”呪い”の効果を十二分に発揮する”紋様”を刻みつつ、しっかりと”奴隷”のパフォーマンスを損なう事なく全て残しているのだから、これをやった奴は相当な場数を踏んでいるであろう事は想像に難くない。
ああ、あと一つ。これだけは、この手の事はただの”素人”である俺でもはっきりと断言できる。
この”処置”を施した奴隷商人とやらは、正真正銘のクズ野郎だ!
「あ、あのさ。レグ? ちょっと、流石にっ、近過ぎじゃないのかなぁっ?!」
「……あうあう。こんな、近っ……あぁ、意外と、睫毛が長いんだぁ……♡」
「ストップ、ストップだよ、クズ野郎。じっくりと視るならボクにっ!」
「ああ、レグナード……レグナードが……」
んあ? ”手術”の手順を頭の中で組み立てていただけだというのに、知らぬ間に女性陣が色々としてはいけない顔になっているのは何故だ??
……まぁいいや。ここでちゃんと段取りを決めて、更には一度”肉”を削り取った彼女達の顔を、俺はしっかりと完璧に”復元”せねばならない。
その為には、瞼に焼き付くくらいに、彼女達の顔を、毛穴から全てを事細かく、しっかりと覚えてしまわなくてはならない。
「皆黙って。俺は今からアンとシルヴィアの”顔”を、瞳の裏に完璧に焼き付けなきゃならないんだ……絶対に、失敗したくないからね」
いくら回復術を使う事に慣れたとはいえ、他人の、特に顔の傷を治す時だけは、どうしても緊張してしまう。
男の場合は、時に”傷痕”そのものが勲章になる場合もあるのだが、女性の場合そうはいかない。なるだけ傷痕が残らない様に、細心の注意をはらわねばならぬだろうし、その部位が顔となったらそれこそ尚更だ。
今回の場合は、あまりにも特殊過ぎる。顔の半分の皮膚どころか筋肉組織の近くまでを、一度全部削り取ってしまわねば根治できないのだ。
そこから顔の表面を”復元”するとなると、俺の”記憶力”に全てが掛かってくる。例え寸分の違いであったとしても、本人にとっては、大きな違和感として残ってしまうのだ。失敗は、絶対に許されない。
「ああ、そうだ。皆楽しみにしていると思うけれど、やっぱりお茶の時間をさ、夕飯の後に回しても良いかな?」
「……え? なんでよ、レグ?」
「何か不都合でもおありなのでしょうか、レグナード?」
「ああ。手前勝手になってしまうが、本当に申し訳ない。どうせならさ……」
よし、シルヴィアの顔は、完璧に覚えた。大丈夫。俺は、俺なら絶対にやれる。
次にアンの方へ身体を向け、両手を彼女の頬に添えて、未だあどけなさの残る彼女の顔を見つめる。
「……お茶は皆揃って、楽しくやりたいんだよ。”家族”全員でさ」
この”手術”に例え成功しても失敗しても、俺は彼女達に宣言した通り、彼女達の人生全てに責任を取る。取らねばならない。
「アン、シルヴィア……君達二人の顔に刻まれたその”呪い”を、魔力だけでなく完全に消してやらなきゃならないからね」
でも、どうせやるのなら、確実に成功させなきゃ嘘だろう。
それを成す”技量”を、俺は持っている筈なのだから。
「だから、皆。頼むから、俺を信じてくれ……」
……多分、これは自惚れじゃないと思うし、そう思いたい。
俺に向けられた皆の瞳からは、祈りにも似た熱が籠められた様な気がした。
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