19.神様は信じよう。だが、坊主なんか俺は絶対に信じない。
アンとシルヴィアの右顔に刻まれた忌まわしき”奴隷紋”は、他人の眼に晒す訳にはいかない。
何度でも言うが、この国で”奴隷を所持する”という事、それ自体が違法だ。
経緯が経緯なので、そこを俺達が咎められる事は恐らく無い筈だが、彼女達に刻まれた”紋様”は、彼女達の呪われし今を、そのまま指し示している訳で。
人の口に戸は絶対に付けられぬ以上、なるだけ彼女達の事は、衆目に晒さないでおきたいのだ。
夜明け直前の城塞都市は、朝の支度に追われるパン屋と、巡回の兵だけが起きている。そんな程度だ。
未だ人気の無い朝靄の立ちこめる街の道を、石畳と擦れ合う馬の蹄と馬車の音だけが響く。
「……ああ、眠いわ……こんなに急ぐ必要、本当にあるのかしら、レグ?」
欠伸をかみ殺しながら、全身の急所を黒鉄鋼製の鎧で覆ったヴィオーラは不機嫌を隠そうともせずに俺に食ってかかってくる。
「その必要があるから、この時間に動いてンじゃねぇか。文句があるなら今すぐ馬車から降りろ。その代わり、今日の日当は無くなるけどな」
今日も自作自演の【暁】への指名依頼だ。
”ドゥーム男爵”の一日護衛。日当は一人頭銀貨18枚。
他の都市に比べて少々物価が高い城塞都市だと、平民の一家四人の一日の生活に必要な金額が大体銀貨5枚くらいなのだから、かなり破格な条件じゃないかとは思う。
流石にあの馬鹿野郎が、如何に愚かであっても、街中の、それこそ神殿が建ち並ぶ”聖地”でやらかすほどではない筈だ。”闇ギルド”だって神罰を恐れる程度には敬虔であって欲しいものだ。
そう考えれば、一日中、ただ”ドゥーム男爵”たる俺の側に付いているだけで良い筈なのだから、これ以上無いくらいに”楽なお仕事”だろう。
しかし、本当にここの所、冒険者稼業が赤字続きで困る。俺が冒険者として動けないせいで、徒党【暁】はずっと開店休業状態だったのだから、まぁ仕方の無い話なのだが。
というか、ドゥーム男爵家としても、徒党【暁】に支払った額だけで言えば、結構な赤字を垂れ流していたりもするのだ。この程度で屋台骨が傾く様なケチな商売なんかしていないが、それでもドゥーム男爵家当主が自由に使える”お小遣い”は、かなり目減りしているのも隠しようの無い”事実”である。
「……ぶぅ。そうよね、お仕事ですもんね。はい、申し訳ありませんでしたー」
ああ。全然こいつ納得してねぇな、クソが。態とらしく欠伸なんかしやがって、くそムカつく。
絶対後で覚えとけよー。正直、俺だって眠いんだよ、コンチキショー。
あれから結局俺は、ほぼ一睡もしていない。
何とかこれで、レジーナとクラウディアの方は、気持ちの整理が付くまではきっと大人しくしてくれるだろうが、俺の目の前で不貞腐れた不細工なツラをしたヴィオーラの問題が、今度は大きくのし掛かってくる。
無理に説得してでも彼女達二人を徒党面子に入れようという選択肢は、もう俺の中には無い。
彼女達が俺の元を去る、というのであれば、別に引き止めず笑顔で見送るつもりだ。
ただ……なぁ?
昨夜の彼女達の潤んだ眼差し。正直あれは不味いと思う。多分、俺はやらかした……そんな気がするのだ。
あれでは、彼女達の弱った心の隙に付け込んで、情で縛った様なモンだろう。多分、彼女達は、後日、俺に向かってこう言うだろう。
『仲間に入れてくれ』
……と。これはもう俺の中で確信に近い予測だ。
そこで何が問題になるかというと、昨夜、自分が並べ立てたクッサい台詞の数々を思い返せば解る通り、そう言われた場合、絶対に拒否なんかできる訳が無いという点だ。
そうなったら、俺は優秀な”戦乙女”の一人と、レジーナとクラウディア両名の信頼を、同時に失う羽目になってしまうだろう。
……ああ、何と言うか。本当に、無様。
”身から出た錆”とは、きっとこういう事を言うのだろう。しかし、何とかしないとなぁ……
何時になく嬉しそうに俺の顔を、向かい側の席から眺めるアストリッドのはにかんだ笑顔だけが、俺の今の心の支えだった。
◇◆◇
呪消去術の祈祷は、正直に言えばどの神殿でやって貰っても構わなかった。
ちゃんと金さえ払えば何処でもやってくれるし、神様の間に”御利益”の差は、ほぼない。そこはまぁ、好き好きという奴で良いだろう。
城塞都市に神殿を構えている宗派は……
”秩序と契約の神”。転じて商売の女神でもある。領地を持たぬが故に、商売に主眼を置いた代々のドゥーム家当主が寄進しているのも当然だと言えるか。
”創世神(全能神)”。世界を創世したと伝えられる光の主神。この国の最大宗派であり、”国教”でもある。
”大地母神”。全ての生命、五穀豊穣を司る女神。子宝の神でもある。
”戦と武器の神”。軍神。験を担ぐ狩人や軍人達が主に崇めるのはこの神だ。この宗派に属する僧侶が、冒険者ギルドの中では圧倒的に多い。
”炎と鉄の神”。鍛冶の神。森の人同様、大本は妖精だった癖に、大地の人が何故か崇めている神だ。
”本と知識の神”。学問の女神。医術の神様でもあるそうだ。
他にも何柱の神がこの世に在るが、この城塞都市で主に信仰のある宗派は、この6つだ。
俺にとって一番馴染みがあり、そして融通が利くのは”秩序と契約の神”の神殿だろう。ここ最近すっかりとご無沙汰していたが、ここの司祭とは親父の代からの長い付き合いだ。きっと今回の件も上手く取り計らってくれるだろう。
その為に。という訳では決してないが、それでも毎年多額の寄進をしているのだから、少しくらいは配慮して欲しい……というのが本音だ。
「おお。これはこれは、ドゥーム男爵閣下。こんな朝早くから、当神殿に何用でございますかな?」
「早朝の”お勤め”があるというに、不躾ですまない。すまないついででお願いしたいのだが、アードルフ司祭へのお目通りを……」
”神殿”などとはいうが、そこまで厳かで大規模な建物をしている訳ではない。まぁ、創世神の所はやたら華美に誂えているが。
”秩序と契約の神”は、その名の示す通り、華美に飾るのを嫌い、実務を尊ぶ。その”教え”が神殿……いや、”教会”と表現すべきか、の随所に現れている。
「……おや? 閣下はご存じありませんでしたか」
「うん? 何が、かな?」
何やら急に不安になってくる様な声色で、助祭は俺に告げた言葉は、俺にとって非常に残念なものだった。
「アードルフ司祭は、昨年末に、急に隣国の街へと異動が決まりまして……今はコンラート司祭が、当神殿の祭事一切を取り仕切っております」
「なんと」
俺は半年近くも馴染みの司祭が異動していた事を知らずにいたというのか。それはあまりに不義理だ。
「存じていなかったとはいえ、何という不義理を。すまぬが、ドゥーム家の名でアードルフ司祭に手紙を出したい。あとで詳しい所在をお訊かせ願えるだろうか?」
「ええ、それは勿論。閣下のお手による書であれば、司祭も大変喜ばれる事でしょう」
これで最低限の義理は果たしただろうが、さて。問題はここからだ。このままあの二人を、ここに連れてきても良いものだろうか?
俺は、コンラート司祭のお人柄を全く知らない。
多分アードルフ司祭異動の際に、この城塞都市新たに赴任してきた司祭なのだろう。
色々と察してくださるアードルフ司祭のお人柄であれば、特に何も躊躇う必要など無かったのだが、今回の件は、非常に”特殊”過ぎる。何かしらの要らぬ揉め事に繋がる可能性も、充分に考えられるのだ。
だが、このまま迷っていても仕方が無い。この神殿において”ドゥーム男爵”の名が通っているのもまた事実。下手な事にはきっとならない筈だ。
「では、すまぬが、コンラート司祭へのお目通りを願えないだろうか? 俺の仲間が少しね。”呪消去術”を所望だ」
神殿の見習い達にお願いして、シーツに包まれて未だ魔術の眠りの中に在るアンとシルヴィアの二人を担架で運んもらう。
「”呪消去術”とは、穏やかではありませんな。お初にお目に掛かります、若き男爵閣下。私がコンラートでございます」
「初めまして、コンラート司祭。私はドゥームの当主、レグナードと申します。私の仲間が、呪われてしまいまして。どうにかして解呪してやりたいのです。”秩序と契約の神”の御名において、何卒、奇蹟の御技を……」
呪術への対抗では、人間の扱う神聖魔術こそが最大の手段だ。逆を言えば、神聖魔術で歯が立たなかった場合、もう他に手段が無い。
アンとシルヴィアを包む毛布を捲る。
魔術によって、安らかに眠る彼女達の表情とは裏腹に、その右半分を覆い尽くす禍々しき紋様。
不気味に赤黒く光る不吉な幾何学模様は、嘗てこの国にも在った”奴隷紋”とは、”書式”が全然違う。人を一生涯”支配”し、主の死と共に”殉職”をも強制してくるという、身勝手極わまりない”呪い”だ。
彼女達の紋様を一目見たコンラート司祭の右眉が大きく跳ね上がり、口の端を歪め彼女達を指差し、まるで汚物でも見るかの様に声を荒げた。
「これは……何と、穢らわしい。”秩序と契約の神”の御名において、斯様な醜き”咎人”を、我らは看る訳にいきませんな」
「……はぁ?」
おい。こいつ、今なんっつった?
穢らわしい?
醜い、だぁ?
……ざけんな。
「おおう。”奴隷紋”などと。ああ、なんと穢らわしい。此処は秩序の神殿なりや。”罪人”を当神殿に連れて来るとは、例え閣下であろうとも、その罪咎を我らは問わねばなりませんなっ!」
コンラートが声を張り上げ手を掲げると、それに呼応して、わらわらと見習いや信徒達が俺達を囲む様に集まってきた。
「……やっぱり、直感ってのぁ、信じるべきだったな」
俺は腰に佩いた魔剣をゆっくり抜き、アストリッドは細剣を掲げ、ヴィオーラは黒鉄鋼の突進槍と盾を構えた。
アンとシルヴィアを穢らわしいと、醜いと言った事を、絶対に後悔させてやる。絶対にだ!
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