17.風呂は熱い方がより効く気がするのだが、実際は命がヤバいらしい。
城塞都市に着いた頃には、すでに月が天頂に達していた。
本来ならば、例え住人であっても門限を過ぎれば城塞都市に入る事は許されないのだが、俺達の場合は事情が事情だ。聴取で更に時間は取られるだろうが、それでも我慢さえすれば、その日の内に屋敷へ戻れる筈だ。
これから官憲に引き渡す予定の無頼漢共は、犯罪奴隷として短い一生を過ごす羽目になるだろう。御多分に漏れず、彼らは鉱山で死ぬまで過酷な労働を強いられる筈だ。ヴィオーラの手で、それとは気付く前に事切れていた方が、よっぽど幸せだったろうに。
こいつらの口から、あの馬鹿野郎の名が出る事は最後まで無かった。流石に奴もそこまで馬鹿じゃなかったらしい。”代理人”を間に挟んでいた様で、こちらがいくら尋問してみても、犯人へと辿り着ける有力な情報が得られなかったのだ。
それでも、無頼漢共とあのクズ野郎の間に、所謂”闇ギルド”の介在があったのだろうと推察できたのは僥倖だと言える。少なくとも、俺達の訴えは正当に通ったのだし。
それと、街道脇にそのまま捨て置いた賊達の死体は、後日彼ら官憲の手によって回収される手筈だ。
死体を放置しておいたら何れ屍毒をまき散らすだけでなく、獣の餌にもなるだろう。それは街道を安堵せねばならない国の本意では無いからだ。
その間も、アストリッドの光の精霊による”偽装”の魔法は、とても役に立った。
これが無かったら、きっと俺達は明日の朝日を拝む事無く有無を言わさず牢にブチ込まれていた可能性が大だったのだ。何せ、馬車の中には俺の深層睡眠術によって眠ったままの”奴隷”が、二人もいたのだから。
「……ホント、アンタって貧乏くじを引く天才よね?」
「言うな。マジで俺もそんな気がしてンだからよ……」
しかも、その”貧乏くじ”の出所こそが、あのゴミ野郎からと共通しているというのが、何とも嫌な話だ。
だが、それを”貧乏くじ”だからと切り捨てる選択ができない自分こそが一番の”貧乏神”なのだという嫌な自覚がある訳で。
……いや。”貧乏くじ”等という表現自体、あまりにも彼女達に対し礼を失している話だ。いかん、いかん。反省せねば。
明日になったら、すぐにでもどこかの神殿に訪れて、彼女達にかけられた”呪い”を解いてやらねばなるまい。申し訳ないが、それまではこのまま眠っていて貰おう。
◇◆◇
「はあぁぁぁぁ……」
肉体的にも精神的にも疲れ切った身体を湯船に沈めると、全身をじんわりと包む抗えない快感の前に、どうしても気の緩んだ吐息が自然と漏れ出でてしまう。
俺は少し熱めの湯が好きなのだが、健康の面から言うと、もう少し湯の温度を下げた方が良いと聞く。少し温いくらいの湯に長時間浸かる方が疲労の抜けが良く、深い眠りにも繋がるのだそうだ。
だが、この快感を知ってしまった以上、そんなのはもう今更過ぎる。不経済なのだと解っていても、この贅沢だけはやめられる気がしない。
「私はもう少し温めのお湯の方が好みなのですが……」
「……だから、なんで、君も入ってくるのかなぁ?!」
立ちこめる湯気のせいで肝心な所がよく見えない褐色のすらりとした柔肌が、いつの間にか湯船に浸かる俺の横に立っていた。
よし。ちゃんと髪の毛を上で纏めて、かけ湯ができるなんて、君は本当に偉いぞ。
細い褐色のうなじと、銀色の後れ毛に、どうしても視線が釘付けになってしまうのは、この際仕方がないよね?
……いやいやいやいや。何で俺は、今日もまた、褐色の美女と一緒の湯船に浸かっているのだろうか?
ってーか、アストリッド。何で君、全然隠そうとしないのさ? 見ようと思えば、全部丸見えやんけ。
……いや、なるだけ見ないけどさ。うん、なるだけ。
ツンと上向いた薄いピンクのアレだとか、程よく締まったソレだとか、髪の毛と同じのコレだとか、うん。見てないからさ。全然。
「そもそも、何故隠す必要があると言うのでしょうか? むしろ貴方様には、私の身体の全てをくまなく、じっくりとご覧になってと……そう思っているのですけれど?」
「君は、俺に死ねと?」
”魔法使い予備軍”には、見目麗しきダークエルフの一糸纏わぬ裸体なんて、あまりにも刺激が強過ぎるって。失血死してまうわ。
「どうして、そこで”死”という不穏な単語が出て来るのか、じっくりとお聞かせていただきたいのですけれど……?」
「俺の名誉と自尊心の為にも、聞かないでくれると助かる……で? 何故君は今日も、ここに?」
「それは勿論、来たるべき時に備えて、隅々までしっかりと磨いておかねばなりませんから♡」
「……そ、そうか。良く解らんが、解った事にしておく」
「はい♡」
てーか、彼女にとっての”来たるべき時”とやらを、俺は一生解る訳にはいかない。それだけは、しっかりと理解できた。
「……レグナード」
「うん? なんだい?」
二人の間に暫し訪れた静寂の間を、アストリッドが打ち破った。
「”奴隷紋”……貴方様は、あのお二人を、どうなさるおつもりなのでしょうか? 消せない”呪い”を、その身に刻み込まれてしまった彼女達を……」
「できれば、救いたいと思っている……」
アンとシルヴィアにとって、何が”救い”になるのか?
いや、二人だけではないな。
レジーナだって、クラウディアだってそうだ。彼女達が笑顔で迎えられる未来が何処かに在るというのなら、俺は労力を惜しむつもりなんか一切無い。
神ならぬ身の俺には、それが何なのか全然解らないが、少なくとも、その一助になりたい。そう思っている。
「”里”には”刻印”を持つ者が、何名もいました。人間達の欲望によって、決して消えない”呪い”を、それと見ただけですぐに解る箇所に刻まれた者達が……」
自制を知らぬ人間達の身勝手な欲望は、”外法”という形で一つの頂へと至った。他者を支配し、意のままに操る忌むべき”呪い”として。
その呪いの矛先は、同族達だけではなく亜人達へと移るのにさして時間は掛かりはしなかっただろう。それは人の歴史がすでに証明している。
肌の色に違いがあるが、どちらの森の人も、人間種より遙かに優れた”種”だ。
森の人に対する人間達の拭いきれぬ”劣等感”は、”奴隷紋”という確実な”手段”を得た以上、”支配欲”へと異常な変質を遂げてしまうのは、仕方の無い事だったのかも知れない。
人間にとっては遠い過去……”先祖達の犯した罪”であっても、遙かに長い寿命を持つ犠牲者達は、”未だ生きている”のだ。その屈辱と苦痛の日々を記憶したままに。
「……そうか。そうだよな……本当に、すまない……」
俺如きが幾ら彼女に頭を下げても、何の意味も無い。それくらいは解っている。しかし、どうしても俺は、頭を下げずにはいられなかった。
そうせねば、俺はアストリッドの隣に立つ事すら許されはしないのだと、何故だかそう感じてしまったのだ。
「貴方様のそういう所が、私の眼にはとても好ましく映ります……ああ。やはり”里”を出て、人間の街に来て良かった。私は今、心の底からそう感じています」
褐色のしなやかな細い指達が、湯の中にある俺の指と絡み、そして一つになる。その様子を、俺はただ無言で眺め受け入れた。
「……君達ダークエルフの英知を持ってしても、”刻印”を消す事は出来なかったのか?」
「試みた事は何度かありました。ですが……精霊達の力では……」
彼女の悲しげに伏せられた目が、”犠牲者達”のその後を雄弁に語っていた。何があったのかは、つまりそういう事だったのだろう。
如何に精霊の力が強大であっても、人の欲望が編み出した”外法”とは、理そのものが違う。できない事は、やはりできはしないのだ。
「”奴隷紋”の主が死ねば、支配の制約からは抜けられます。ですが、同時に”死の契約”が発動します。私達エルフが取った最終手段は、”刻印の主”を殺し、仲間を蘇らせるという、とても乱暴な方法でした」
創造主たる神に創り出された人間と違い、精霊と根源を同じとするエルフ達は、元々崇めるべき”神”を最初から持たない種だ。当然、呪消去術に代表される神の御技たる”神聖魔術”を、彼女達が使える訳も無い。
だから彼女達は、”呪い”の契約そのものを完璧に履行する等という強引な手法を採らざるをえなかったのだろう。俺に言わせれば、人間の間で絶対不可能とされてきた”死者の蘇生”ができるだけでも凄い話なのだが。
「……ですので、私の口からは貴方様に何の助言もできない事が、とても口惜しいのです。申し訳ありません、レグナード……」
「いや。ありがとう、アストリッド。君が隣にいてくれて本当に助かっているんだ。だから、そんな悲しい事言わないでくれ」
この言葉は、嘘偽りの無い俺の本当の気持ちだ。
まぁ、彼女のせいで色々と困った面も多々あるのだけれど。今、この場の状況とか。
「……はい……」
湯の中で彼女と繋げられていた指は、何時しか掌、そして腕へと、徐々に一つになっていった。
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