15.おまじないってのは”呪い”の一種だって知ってた? 俺は今まで知らんかった。
奴隷紋。
人類が営んできた長い歴史の中で、最も忌むべき”外法”の到達点の一つがこれだ。
その様な外道など学んでいないので理屈は良く解らんが、人の魂に直接干渉できる”命令式”をその身に刻みつける呪術の一種なのだという。
これを刻まれた者は、契約させられた主の手で”自由”を制限され、その意に逆らえば全身に走る耐え難き激痛によって”調教”を受け、徹底的に尊厳を踏み躙られては次第に諦め、やがて考える事を放棄してしまう……
果たして、それをもう”人”と呼んでも良いのだろうか?
確か、魔導士のアンは、俺が初めて出逢った当時、まだ成人を迎えていなかった筈だ。という事は、今の歳は15、6辺りになるのだろうか? その様な年端もいかぬ未だあどけなさが残る少女の右顔の全側面に、この様な醜い紋様を刻み込むなどとは……今まで馬鹿だ阿呆だと思っていたが、奴はそこまで堕ちていたというのか。
そして、その上更に”支配の首輪”だ。
これを首に嵌められた者は、主の命令に従わない限り、自身の首が絞まり続ける。当然、与えられた命令が遂行出来なかった場合は死ぬ。
「っぐぁ……んっ、くうぅ」
あの馬鹿野郎の事だ。無頼漢共で足止めをしている間に、アンの攻撃魔法で無頼漢諸共俺を焼き尽くそうと考えていたのだろう。目的を果たせばアンは生き残れる、だが、失敗すれば死ぬ……つまりは、そういう事だ。
早い話、俺がこの世に生きている限り、最終的にアンは死ぬ以外の道が存在しないという事だ。
「……っく。こ、殺せ。殺、して、くれ。ボクは、もっ……もう、助から、ない……」
”奴隷紋”に込められた呪いによって、止め処なく全身を走る激痛。”支配の首輪”のせいで首が絞まり、チアノーゼ寸前の状態になった彼女の意志が、ここで遂に折れてしまった。敵である筈の、それも彼女自身が最も嫌う生物である男の俺の手で、今すぐ殺してくれと懇願してきたのだ。
あのクソ野郎の命令を拒んだから、”奴隷紋”の呪いが発動し、俺がまだ生きているとお前が認識してしまったから”支配の首輪”が首を絞めているんだろ?
その”呪い”の苦痛から免れる為の手段は、なるほど。自身の死が一番手っ取り早い。
だが、”奴隷紋”には、自死を阻む”障壁”の暗示が施されている。奴隷は”財産”なのだから、そんなつまらん事で簡単に失う訳にはいかないのだ。何とも胸糞悪い話だが。
だから、『殺してくれ』なのだろう。
「深層睡眠術」
……だが、俺はそんな事、絶対にやってやらん。
お前の意識をこうして摘み取ってしまえば、その間、この”呪い”は作動しなくなるのを、俺は知っているからだ。
それに、そもそも俺は、お前に嫌われているんだからな。だったら、お前の思った通りに絶対に動いてなんかやるものか。これからも徹底的に嫌われてやろうじゃねぇか。
絶対に、お前に架せられた”魔導具”と紋の”呪い”を解いてお前を解放してやるよ。お前の最も嫌いな生物である、男のこの俺の手で……な。
「……待て、レグナード。アンは、置いていけ」
「……ああ。やっぱり君もいたのか、シルヴィア」
アンを抱えようと屈んだ所で、野伏のシルヴィアが、茂みの影から現れた。
◇◆◇
シルヴィアは南国の出身で、ダークエルフのアストリッドよりも、さらに一段肌が黒い。その黒に近い褐色の首筋には、薄く血の筋が垂れていた。
彼女もアン同様、顔の右側面から首元にかけて、醜悪で禍々しい”奴隷紋”が刻まれている。あのクズ野郎めは、そういう所だけ周到にやりやがる。
「君には、”奴隷紋”だけなのか?」
何故か彼女の首下に”支配の首輪”が見当たらなかった。
アレは”遺跡”からボロボロ出て来るありふれた”魔導具”だ。奴に限って、小遣いが足りなかったから買えなかった……という事は無い筈だ。
「いいや。私にもアンと同じ”魔導具”が首に嵌められていた。けれど、貴様達の反撃をまともに食らって壊れたんだ」
「……ああ」
”風の上位精霊”の手痛い”わからせ”によって、俺達に矢を射掛けてきたあちらの弓兵達の大半が死んだと、アストリッドが俺に告げた通りあれから矢は一切飛んで来なかった。
つまりシルヴィアは”魔導具”が首という急所にあったからこそ、逆に命が助かったって訳だ。何とも皮肉な話ではあるのだが。
そして、”風の上位精霊”の反矢の加護の効果は、何の変哲も無い鉄の鏃でも魔導具すらを一撃で破壊し得る攻撃力を付与できるのだという事実に、俺は改めてアストリッドが【暁】の味方である事を神に感謝する気持ちでいっぱいになった。
「もう勝負はついた。君も大人しく降伏してくれ。そうすれば悪い様にはしない」
「……ダメなんだ。オレまであの人を裏切ったら、あの人は独りになっちまう。ギリアム様を、オレは独りに、できないんだ……」
悲しそうにシルヴィアは頭を振って、俺の勧告を拒否する。まだそれは構わない。だって、つい先程まで俺達は(一方的な展開だったが)命の奪い合いをしていたのだから。
……だが、彼女の口にした、その理由が、俺には全然理解できない。
あの馬鹿を、独りにしたくない、から?
……うん、無理。
俺、こいつとは多分一生わかり合えないし、わかり合いたくもない。
だが、アンの身柄を要求してくるこいつを、放っておく訳にもいかないだろう。アンの身の安全を想えば、あのゴミ野郎の元に返すのは絶対にダメだ。もうそうなったら、後はこいつを説き伏せるか、叩き伏せるしかない。
「……シルヴィア、お前、頭おかしいだろ?」
「はぁ? なんでだよっ?!」
うん。やっぱり奴の危険性を、こいつは全く理解できていないらしい。まさか、こいつはまだ奴の”魅了”の支配下に在るというのだろうか?
「お前に”奴隷紋”を刻んだのは誰だ? 誰の命令でだ?」
「……ギリアム、様が……どっ、奴隷、商人に……オレ達、を……」
「そら。そんな所に、お前はアンを連れて戻るというのか? お前をっ! お前の仲間をっ! 奴隷に堕とす様なっ! クズの下にっ!!」
”奴隷紋”だけならば(全身に走る激痛に、ずっと耐える事ができれば、だが)死ぬ様な事はない。だが、”支配の首輪”は訳が違う。入手は容易く、更には安価。そして一度効果が発動したら、対象の末路は確実な死だ。そんな物を取り付ける様な輩が、仲間であろう筈は絶対に無い。
「お前が奴の事をどう想っているのか、それはお前さんの勝手だし、その事に口を挟むつもりなんか更々無い。だが、そこにアンを巻き込むな。解ったならアンは連れて行くぞ? それでも止めるとでも言うのなら、後は命のやりとりだ」
「ぐっ、あ、ああっ、ああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
”奴隷紋”の呪いが発動したのか、シルヴィアは急に両腕を掻き抱き、その場で蹲って絶叫しだした。恐らくは奴の”魅了”が抜けたのだろう。
この”魅了”が”魔眼”によるものなのか、それとも”魔導具”によるものなのか。それはもうこの際どうでもいいか。
問題は、そのせいで4人の女性の二年間に及ぶ人生が、歪められてしまったという事実だ。
「……深層睡眠術」
二人が奴隷身分に堕とされてしまったという事も、後々確実に面倒事の種となるだろう。
この国では、犯罪奴隷以外の存在、その一切を認めていないのだから。
「ギリアム。もう絶対に、テメーを許すことは出来ないぞ。この世に生まれてきた事を、俺に絡んで来やがった事も、全部、死ぬ程後悔させてやる……」
だが、俺はこの件を、国や冒険者ギルドに丸投げするなんて生ぬるい事は絶対にしない。
俺がこの手で、徹底的に奴にけじめを付けさせてやる。官憲に投げるのはその後だ。
怒りの対象がより明確になった事で、俺の中で燻っていた<魔影舞踏士>の代名詞とも言える暗黒闘気が、外にじわりと漏れ出してしまった。
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