12.風呂は命の洗濯だってさ。ついでに身体も洗ってくれよ。
「はあぁぁぁぁぁ……参った」
ゆっくりと湯船に浸かると、じわりと染みる暖かさに身体だけでなく心の疲れも全てが湯の中に流れ出る様な心地よさに、思わず盛大に溜息が漏れてしまった。
結局、俺はあの後話の続きは明日だと強引に打ち切り、二人を風呂に入らせた。
今のコレは、その残り湯のご相伴に与っている訳で。本当は風呂に入りたかったから、俺はこれで良いのだが。
「しかし、”魅了”、ねぇ……?」
何処にも根拠の無い自信とは裏腹の無能者で、更に馬鹿で短慮。良いのは見た目と装備だけで、一度口を開けばその度に一人の敵が増える。凡そ考えられる中でも人に好かれる要素が皆無のアレに、何故クラウディア達みたいな女性が黙って付いていたのかの謎が漸く解けた気がした。
”魅了”。
対象に無意識の内に”好意”を植え付け、意思をねじ曲げてこちらの望む通りに誘導し易くするという、強力な精神操作の”呪い”の一種だと聞いた事がある。
その恐ろしさは、つい先程目の当たりにした通りだ。
精神誘導、支配、操作の類いは、魔法の”発見”とほぼ同時期から研究されてきた分野らしい。その成果は、特殊魔導具として稀に遺跡や迷宮からも見つかっている。
人の精神に直接影響を与える能力を備えた魔導具は、所持する事自体がすでに違法だ。
これはどこの国であろうと同じであり、法の下において特に戒められている。それだけ精神操作系の”呪い”というものは強力であり、人々に恐れられている証拠だとも言えるだろう。
”魅了”の効果を持つ魔導具を、あの馬鹿野郎が所持している……?
あの国の侯爵家の権力ならば、恐らく入手にさほど手間が掛かりはしないだろう。だが、その様な危険物に頼るなんて、奴はそこまで愚かだろうか?
俺の脳裏に、人を見下す様に踏ん反り返って、盛大に高笑いをするクソ野郎の姿が浮かび上がる。
ああ、うん……普通に愚かな気もする所が、本当に嫌過ぎる。
奴が精霊使いだという可能性。これは無いか。
もし奴がそんな能力を持っていたとしたら、奴の性格を考えてみれば、俺にマウントを取る為に絶対に見せびらかしてくる筈だからだ。
この二つ以外だと、あと何があっただろうか……?
ああ、そうだ。”妖精の悪戯”の伝承があった。
生まれつき運命という”妖精”に呪われし”忌み子”達に現れるという身体的特徴の中で、希に同じ様な能力を備えた者が世に出るのだと聞いた。
確か……”魔眼”だったか。
過去にもこの”魔眼”を持って生まれた者は数多く存在する。神に祝福されし聖眼の”未来視”に導かれ、この国を興した賢王セドリックは特に有名な話だ。
後は、石化、麻痺、気絶とかか……そんな能力が自在に扱えるなら、さぞかし戦闘も楽になる事だろう。問題は、逆にそんなのを相手させられた場合か。対処法なんてあるのかね……? ちょっと考えただけでも、かなり厄介な能力だぞ。
”魔眼”を持つ”忌み子”は基本、管理、処分の対象に成り得る。
なんせ、チョイと魔力を込めて睨み付けるだけで、その効果が発揮されるのだ。やられる方はたまったもんじゃない理不尽極まりない厄介な話だ。
ましてや”魅了”みたいに、それと知られずに対象の精神を侵す能力なんてのは、当然”処分対象”だ。
だが、”魔眼”が覚醒するのかどうかは個人差が大きいとも聞くし、端から見ただけでは”魔眼”のそれだとは判り難いのだとも聞く。
そう考えれば、奴は”魅了の魔眼”を持っている。その線で考えていた方が無難なのかも知れない。
そうそう。話は少し逸れるが、そういった恐ろしい”魔眼”を持つモンスターの存在も一部の迷宮で確認されている。今の所、この国内に在る迷宮では確認されていないのは俺達【暁】にとって幸運だったのだろうが、対クズ野郎想定の演習として一度戦るのも検討するべきか?
……流石に、先走り過ぎか。
まぁ、少し考えてみれば、魔導具だろうが魔眼だろうが、奴にそんな強力な”切り札”があったとして、何故俺に使ってこなかったのか?
そして、何故、レジーナ達と同様に、ヴィオーラを仲間に引き込まなかったのか?
この二点の疑問が湧いてくる。
「解ん、ねぇ……」
アレコレ理由を考えてみたとして、所詮憶測でしかないのだ。
下手の考え休むに似たり。先達の言葉は、本当に為になる。
いかんな。逆上せてきた……今日は、もう寝るとしよう。
完全に茹だって真っ赤になった身体を起こし、湯船から足を上げ……
「おや、レグナード。まだ起きていらしたのですか?」
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
ようとした所で、素っ裸の褐色の美女……アストリッドが風呂に入ってきた。
◇◆◇
「……何故、貴方様の方が悲鳴を挙げるのでしょうか、レグナード?」
「……ホント、ナンデデショウネ」
如何に、我がドゥーム家が貴族の中でもそこそこ裕福であろうが。
「……私の身体は、貴方様の眼には悲鳴を挙げてしまうほど醜く穢らわしいものに映ってしまったのでしょうか、レグナード?」
「イイエ、ソンナコトアリマセンヨ、マジキレイデシタ。ホントウニゴチソウサマデス」
如何に、その当主の俺が大の風呂好きなのだといっても……
「でしたら、何故こちらを向いて下さらないのですか、レグナード?」
「人間ノ常識デハ、男女ノ混浴ナンテ普通イタシマセンノデ……」
流石に、大人の男女二人が同時に湯船に浸かったりなんてしたら、あまり隙間が空けられる余裕なんか、普通に無い訳で。
「……そうなのですか。では、せめてその変な口調は改めていただけませんでしょうか、レグナード?」
「てーかさ、俺もう逆上せちまったから、早く出たいんだが、マジで」
ド ウ シ テ コ ウ ナ ッ タ ?
どうして俺は、超絶美人さんのダークエルフと裸のお付き合いしてるんだ?
「不許可、です。だって、このところお時間が全然合わなかったせいで、貴方様とお話できておりませんでしたから……私、寂しかったのですよ? ですので、今すぐその埋め合わせを要求させてただきますわ♡」
「……マジかよ」
俺、彼女に何か特別な事でもしちゃったかなぁ?
何で、知らぬ間に混浴を要求されちゃう位に懐かれてンだ?
ただでさえ茹だってバクバクいってる心臓が、今はもうヤバいくらにハードなビートでアップアップしてやがるぜ。皆、不整脈って知ってる? おいおいおい。俺、死ぬわ。今すぐ。
ふわふわと回る視界に絶対に入れない様に、俺はアストリッドに背を向けた。これが”魔法使い一歩手前”にできるギリギリの抵抗だ。
「……本当に、貴方様は……」
呆れる様な声と共に、両の肩口にひやりとした心地よい感触が。どうやら彼女の手が当たっているらしい。
「彼女達の”魅了”……完全に、解けてしまったみたいですね……」
「ああ。あれは、見ていて辛かったな……俺は、何も、言ってやれなかった……大丈夫なのだろうか、彼女達は?」
嫌悪すべき、忘れたい記憶。仲間を裏切り、自身の心すらをも裏切り……拒絶すら、その否定すらも許されないとなれば、後はもう、壊れてしまうしかない。
「……今は何とも。ですが、もし貴方様の許可がいただけるのでしたら、私の手で彼女達のそれを、消し去る事はできます」
「記憶を消せるというのかい、君は?」
「ダークエルフの間でのみ伝わる、”闇の禁呪”の一つ、ですけれど、ね?」
俺の背中にもうひとつ、ひやりとした感触が。もしかしてこれは、彼女の額だろうか?
肩口にさらと撫でる様に流れた髪の音が、今や限界に近い俺の意識に滑り込む様に入ってきた。
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