11.優しい言葉をかけられない俺は、きっと誰にも優しくなれない。
「そして、わたくしは願ってしまったのです。レジーナにも聞かずに、痛みの無い世界を。永久の眠りを……」
慟哭にも似たクラウディアの独白に、俺は何も言い返す事はできなかった。
世界を否定する。
目を瞑り、耳を塞ぎ、鼻を詰め、口を閉じ、皮膚の感覚は痛みで歪み果てた。
五感を消し、”意識”を闇へと埋没させる。
今までの自らが辿った足跡……その全否定。その先は、完全なる精神の死。漆黒の”無”だ。
”絶望の精霊”という奴は、それを可能にする程に恐ろしい力を持った精霊なのだろう。
そして、それを願うまでに深い絶望を味わった彼女の心の傷が、どれほど根深いものであったのか。正直、俺には想像も付かない。
「えっと、何だっけ? ”絶望の精霊”って奴か。アタシもそれを受け入れちゃったんだから、きっとあの時のアタシもクラウディアと同じ気持ちだったんだろう。だからさ、それを謝る必要なんか無い。そう、言ったんだけれどねぇ……」
震えるクラウディアの肩に手を置いて、レジーナは悲しげに呟く。
術の強度は低かった。
そうアストリッドは言っていた。
恐らくは”絶望の精霊”との交信も、偶然が重なっただけの産物だったのだろう。彼女達は、深い絶望を”共有”してしまったが為に、精霊の影響下に堕ちた。それが今回の真相だと思われる。
何処か思い詰めた様子のクラウディアは、未だ自身に起こった出来事を受け入れてはいないのは、明白だった。
だって、そりゃそうだろう? もし俺が、彼女達と同じ目に遭ったのだとしたら、躊躇無く舌を噛む。
だが、彼女は”僧侶”だ。神に遣える者、”使徒”だけが名乗りを赦された特殊称号職である。
どの神、どの宗派に属する”使徒”であれ、自らを殺める行いこそは最大の禁忌だ。どんなに深き悲しみを背負おうが、どんなに世を儚もうが、自殺による”逃避”は、決して許されない身なのだ。
それこそ、無意識の内に行使してしまった偶然の産物……”絶望の精霊”との交信によってもたらされた深い眠りであっても、彼女に言わせれば”自殺”と何ら変わりはしないのだ。
流石にこれ以上話を続けては、彼女達の心の傷が癒えるどころか、まだ瘡蓋にすらもなっていない傷を、無慈悲に穿ち抉り続ける様なものだ。
だから俺は、何もかも全てを受け入れてやる”大人”の態度で、彼女達に臨めば良い。そう思い込もうとした。
「……君達の気持ちは良く解った。礼を受け入れよう。さぁ、もう遅い時間だ。君達の体力はまだ戻っていないのだろう? 静養も”冒険者”には大事な仕事なんだ。はやく部屋に戻って休むと良い……」
「いいえ、いいえ……まだなのです。わたくしの”罪”は、まだあるのです。レグナードさん、申し訳ありません。もう少しだけ、もう少しだけ。貴方の貴重なお時間を、わたくし共にいただけますでしょうか?」
信じられない光景を見た。
俺の言葉に強く頭を振り、彼女はまるで司教にでも対し懺悔をするかの様に、俺の足に縋り懇願してきたのだ。
「クラウディア。君は、何故そこまで……?」
すでに俺の中では、彼女達に”罪”なんかは何一つ残ってもいない。
だから、俺にとって、ここで話は手打ちなのだ。
……なのに。何故か彼女達はそれを由としない。
「お願い、レグナード。夜遅くに悪いんだけれど、もう少しだけ、アタシ達に付き合って頂戴」
「レジーナまで……」
彼女達は何故、そこまで必死になるのだろう? 彼女達の心の内が、俺には何も解らなかった。
◇◆◇
「なら、今の君達にこれを訊くのは、正直酷な話なのかも知れない。けれど、どうして、あんな事になってしまったんだ?」
空きっ腹に茶の成分は、あまり良くないと聞いた事がある。
なので、俺はホットミルクを人数分用意し、軽く摘まめる菓子を皿に並べてから、話の口火を切る事にした。こうなったら、彼女達が納得するまでとことん付き合おう。それで、少しでも彼女達の心が楽になるのであれば幸いだ。
「そうですね。そのお話をする前に、わたくし達が、貴方の【暁】と接触する様になった当時の事、覚えていらっしゃいますでしょうか?」
「うん? ああ、君達と最初に出会ったのは、もう二年近くも前の話になるか? で。それが、どうしたんだ?」
当時の事を思い出すと、少々どころかかなりイラっとしてしまうのは、どうしても否定できない。
あの馬鹿野郎率いる四人娘達は、俺の後ろをまるで金魚の糞の如く付き纏っては、迷宮の罠に巻き込んできたり、モンスターの大軍を擦り付けてきたり……凡そ思い付く限りの迷惑行為を一通り喰らったのだ。
あの時の俺は、怒り心頭で酷く荒れた。八つ当たりだけで迷宮一つを潰したくらいに。
文句を言ったら開き直りやがるわ、その挙げ句……
『黄金級の貴様ならば、この程度屁でも無かろうて。良い、喜べ。ならば貴様には我達を指導する栄誉を授けてやろう!』
うん、力の限り思いっきり殴り付けてやったね。何処までもお花畑の頭を。
同じく俺の後ろをチョロチョロしていたヴィオーラがあいつらのせいで何度も死にかけたのだから、当然と言えば当然の話だ。
……ああ。だから彼女達の加入が嫌なんだな。うん、普通に考えれば、その線が濃厚だろう。
「えぇっと……あの時は本当にごめん。っていうか、言い訳になってしまうかも知れないけれど、実は言うとアタシ達、あの時よりちょっと前から今の今までの記憶というか、気持ちというか……それが、正直曖昧なんだ……」
「……大体の出来事は、勿論覚えているのです。ですが、思い返せばまるで今までの全てが夢の中での出来事だったかの様な、自分の意思で動いていたのか、そこにわたくし達は、今も確信が持てないでいるのです……」
「うん……うん?」
彼女達の言う事が、俺にはイマイチ理解できなかった。
今までの記憶はある。だが、その記憶の通りに自分の意思でそうと動いたのかが良く解らない?
その様な事が、あり得るのだろうか? 何かの病気? 記憶障害なのだろうか?
だが、それが仮に病気の一種であったとして、何故二人にその症状が共通しているのか、同時期に発症したというのにも引っかかる。
「すまないが、君達の記憶がそうなってしまったのは、大体何時頃なんだい?」
「ギリアムと出会った頃……かな? アタシは元々別の徒党に所属していたのにさ、何で徒党を抜けてまであの人と組んだのか、その理由が今も全然思い出せない」
「わたくしも、ギリアムさんと知り合った辺りからです。そもそもわたくしは当時、冒険者ですらありませんでした……」
二人の共通項は、あのクソ野郎か。
そういえば、アストリッドが醒めない眠りに就いたままの二人を看た時に、言ってた事があったな。確か……
「……”魅了”……か」
ぽつりと口にした言葉に、二人の反応は凄まじいものがあった。
「うっ、ぐっ、うえぇぇぇぇぇ……」
口を抑えるのすらも間に合わず、急に顔を真っ青にして二人は吐き出したのだ。
「どうして、どうしてわたくしは、あの様な男に……」
「ごめん、ごめんね。なんで、アタシは……皆を、裏切ってまで……」
……心の傷が、開いてしまった。
未だ癒着していない瘡蓋が捲れ、心の”血”が噴き出してしまったのだ。
ただ嗚咽と懺悔の言葉を繰り返す彼女達の背を摩りはするが、俺にはどうしても、そんな彼女達にかける言葉が何も見つけられなかった。
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