清彦さんは私が守る
藍子は居酒屋に入るのが初めてだった。掘りごたつの座敷であるにも関わらず藍子は背筋を伸ばして正座している。藍子の隣はボーカルの女だった。夏はまだなのに彼女はもうノースリーブだ。まつ毛は上向きにカールし、亜麻色の髪は強いウェーブがかかっていた。おまけに彼女の全身から薔薇のような匂いがしている。既に成熟した女だ。腰や腕は折れそうに細いのに、胸は豊かで前に突き出している。こんな格好をして男に襲われないのかしらと藍子は心配になる。
「同じ大学なんですか?」
藍子は聞いた。女は
「ううん、音大に行っているんだ。世田谷音大」
「私の従姉も世田谷音大ですよ」
「へー、従姉さんなんて名前?」
「片貝麗華。ピアノ学科の二年生です」
麗華は例の謹慎処分の影響で、浪人をして大学に入ったのだ。ボーカルの女は首を捻りつつ、
「片貝麗華・・・・・どっかで聞いたような」
と記憶を手繰り寄せている顔だ。
「ちょっと派手な人ですよ」
と藍子は言葉を添えた。
「同い年だから敬語じゃなくって良いよ」
と女。
「あ、そうなんですか?」
まだ十代なのにこんなに女として完成されているのかと藍子は驚く。
「私、藍子って言います。みんなからアイアイって呼ばれています」
藍子は自己紹介して頭を下げた。
「私はマリイって言うんだ。よろしく」
マリイはそう言った後、
「ドリンクは?」
と藍子にお代わりを促した。藍子は
「うーん、ウーロン茶にしようかな」
と答える。マリイは聞いた。
「アルコールは駄目なの?」
「駄目っていうか、飲んだ事がない」
二人の女の会話を聞いていたのか、清彦は藍子にドリンクメニューを寄越し、
「せっかくだから飲みなよ」
と酒を勧めた。
「清彦さんは何を飲んでいるんですか?」
藍子は聞いた。
「ジントニック」
「じゃあ私も」
藍子は丁度通りかかった店員ジントニックを頼む。
初めて飲むジントニックは、松の葉を噛み締めたような変な味がした。しかし喉に流し込むと、口の中には清涼感だけが残った。
「あ、美味しい」
藍子は一気にグラス半分を飲んでしまう。この先、ジントニックを飲む度に清彦さんを思い出すのだろうと藍子は思う。
「キヨもすごいよね。早速ファンを三人も連れて来て」
マリイは清彦をからかった。級友は
「私達、星野君と同じ語学クラスで・・・・・」
と、遠回しにファンではないと主張する。しかし藍子は、
「はい、ファンです」
と明言する。
「おおー」
メンバーは冷やかすような声を上げた。
「でも今日のライブを拝見して、このバンドのファンにもなりました」
と藍子。それはあながち社交辞令ではなかった。駿は嬉しそうに、
「君、良い子だねぇ。アイアイちゃんって呼んでいい?俺、工学部なんだ。アイアイちゃんとは別校舎なんだけれど」
「よろしくお願いします」
藍子は頭を下げた。
「ところで君は何で釣竿を持っているの?」
駿は聞き、壁際に置いてある藍子の武器袋を指差した。唐草模様のそれは釣竿ケースに見えなくもない。
「これは武器で」
「武器?」
藍子は自分のそばに武器袋を手繰り寄せ、木剣を引き出した。皆身を乗り出して木剣を見入る。清彦は
「この子、上から降って来たんだよ」
と笑う。
「どう言う事?」
怪訝な顔でマリイは聞いた。駿は
「あ、思い出した!中野で武道やっていた女の子だ」
と叫んだ。
「そうそう、ステージから落ちちゃって驚いたよ」
芸名ジョニーにも記憶が蘇ったらしい。ああ、あの時の。マリイが合点が行った顔をして
「あの武道は何だったの?」
と聞いた。
「合気道です」
「へー、強そうなファンが出来て良かったね」
マリイは清彦の肩を叩いた。藍子はジントニックのグラスを重ねていささか酔っ払っている。藍子は木剣を強く握り締めて、皆を見渡しながら言った。
「清彦さんは私が守ります」
藍子の宣言に場が静まり返った。
「おい、アイアイちゃんがここまで言ってくれているんだから、お前も何か言えよ」
芸名ジョニーが清彦をせっついた。清彦は困惑しつつ、
「よ、よろしくお願いします」
と頭を下げた。