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藍子の武者修行  作者: 山口 にま
第一章 白帯時代
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セイントアガタ学園

「汚い手を使いやがって」

ゴミ捨て場で高等部二年生が藍子に体当たりを試みる。ゴミ箱を抱えた藍子は身をかわすも、その弾みでゴミが地面に落ちてしまった。藍子は内心ムッとしながらゴミを拾い集めた。三人の二年生が藍子を取り囲む。麗華親衛隊の面々だ。

「聞いたわよ、学校に麗華様を売ったのはあんたら姉妹だってね」

「は?」

藍子は上級生の言葉を聞き返した。藍子は彼女等の意図が分からず、三人の顔を交互に見やった。

「才能では麗華様に勝てないからって、有る事無い事先生に吹き込んでさ」

「だいたい麗華様が放課後に私服で何をしようが勝手じゃない」

「万引きとか犯罪をしたわけじゃないんだからね」

どうやら彼等は、麗華の補導を学校に密告したのは藍子と百々子の姉妹だと思っているらしい。

「知りませんよ、私は」

藍子はかつてのように彼等の横をすり抜け焼却炉に向かう。一人の女が藍子の足に自分の足をかけた。藍子はつまずき、危うく転びそうになる。態勢を整えた藍子は、足をかけてきた女の方にゴミ箱を突き付けた。ゴミが飛び出し女の顔に当たる。

「テメェ、何すんだよ!」

女はヤクザのような言葉を使って威嚇した。私立ミッションスクール女子校、セイントアガタ学園はキリスト者としての自重と礼節を校訓としているが、偏差値は大して高くなく、勉強が嫌いな小金持ちの子女が集まるガラの悪い学校だった。ゴミの収集を受け持つ用務員には知的障害があり、生徒達の小競り合いを止めに入る知能はない。生徒達もその事が分かっているので、ゴミ捨て場はイジメや喧嘩の温床だった。

「おい謝んなよ」

一人の女が藍子の頭を掴み、土下座をさせようとする。藍子は女の手を払い、その拘束から逃れた。ゴミ箱を脇に置いて臨戦態勢だ。さて、どいつからやってやろうか、藍子は三人を見比べた。その中の一人が何かを思い出したように、

「ねぇ、もう止めよう、止めようよ」

と気弱な声で仲間に呼びかけるのだ。そして藍子を指差し、

「この子、すっごい凶暴なんだから。スケ番なんだからスケ番!」

スケ番。言われた藍子は瞠目した。こんな言葉は古い漫画でしか見ないと思っていたのに。

「姉も姉ならば妹も妹ね」

「やだやだ、野蛮人」

「ゴロツキはアガタから出て行け!」

三人は捨て台詞を残して去って行った。


百々子は口をへの字に曲げて帰宅すると、居間に置かれたグランドピアノに向かい、乱暴に鍵盤を叩いた。時々演奏が止まるのは袖で涙を拭いているからだ。ピアノ奏者のポジションを奪うために百々子が麗華の補導を学校に密告した、その噂は百々子本人の耳にも届いていた。初子はダイニングで夕飯の配膳をしながら心配そうに百々子を見やる。食卓に着いた敬三が

「落ち着いて飯が食えん。ピアノをやめさせろ」

と初子に命じた。嫁の初子は舅には逆らえない。その場にいる敬三の息子、つまり藍子と百々子の父親でさえ、娘の意向よりも父親の命令が絶対である。

「モモ、そろそろピアノを・・・・」

初子が声をかけると、百々子は母親の言葉を遮るように演奏をやめて立ち上がった。音を立ててピアノの蓋を閉じ、そのまま自室に籠もった。

「ご飯は?」

「いらない」

百々子は短く答えた。


麗華は合唱コンクールの日から自宅謹慎を言い渡され、一ヶ月後に復学した。すでに各大学の推薦入試出願期間は終わっていた。推薦枠を狙っていた麗華は今から一般入試に向けて特訓を始めねばならない。対して百々子は合唱コンクールでの演奏が評価され、第一志望であった有名音大ピアノ科にすんなり推薦入学が決まった。復学した麗華は最初こそ殊勝に三つ編みで登校していていたが、次第にウエーブがかかった髪を解き、挙句の果てには化粧までして学校にやって来るようになった。元々美しい顔立ちの麗華である。薄化粧を施すと神々しいまでの輝きを放った。教師達がまばゆいばかりの美貌に目を細めながらも風紀上の注意を与えると、麗華は大きな目で教師を睨み付け、そのまま下校である。

「麗華様、たった一人で学校と戦って、なんて勇敢なの!」

温室育ちの子女達は益々麗華を信奉するのだった。


麗華は進路が決まらぬまま卒業した。履歴書に空白が出来ぬように間髪おかずイタリア留学である。言うまでもなくその留学は敬三からの多大な援助によってなされた。

帰国後は師事しているピアノ教師の口添えで中堅どころの音大に潜り込む。音大に入学したは良いが、その頃には麗華は既にピアノにもクラッシック音楽にも興味を失っていた。面白半分にロックバンドを結成したり、音大生の肩書きでファッション雑誌の読者モデルになってみたりとやりたい放題である。

敬三は麗華が出ている雑誌は必ず近所の書店で買い求めた。店頭に平積みされていても店員に、

「あーこのシーガールっちゅう女の子が読む雑誌はあるかね」

と聞くのだ。店員が陳列棚に案内すると、

「孫がモデルをしていてね。ほれ、この世田谷音大の片貝麗華っちゅうのがうちの孫で」

でひとしきり自慢してからレジに向かうのだった。

麗華が謹慎処分を受けた当初こそ、麗華の母親の千春は親戚の集まりで小さくなっていたが、最近では堂々としたもので、

「麗華ったらちゃらんぽらんで、お金が欲しい時にモデルの真似事をしてお小遣いを稼ぐようになっちゃって。ピアノに打ち込む百々子ちゃんの爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいよ」

と謙遜しつつ、うちの子はピアノ以外にも能があるんだと言外に仄めかした。百々子の母親の初子は

「だって麗華ちゃんは芸能人だもの。本当にお綺麗で」

と応じた。

「とんでもない。うちの子なんて・・・・。藍子ちゃんもピアノは続けているのよねぇ?」

と千春は藍子に問いかける。

「ピアノはとっくにやめました」

と藍子。千春は

「あら、そうだったの?上手だったのに勿体無い。まあね、他のことにも興味が湧く年頃でしょうしね。でもね、ひいお祖父様があの鵜飼保二でしょ?あなた達は有名な音楽家のひ孫なんだから音楽は細く長くでも良いから続けて欲しいわ」

とこの家系は特別なんだと年を押す。

「機会があったら」

藍子は感情の籠らない声で答えた。

「楓ちゃん、ピアノは?」

千春は今度は妹の楓に話を向けた。

「やっていません」

楓は答える。中学校すらまともに通えぬ末っ子が習い事などできるはずもなかった。


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