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藍子の武者修行  作者: 山口 にま
第一章 白帯時代
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遊び人麗華

鵜飼藍子はステージ袖で音響機器前に座り、アナウンスを務めていた。今日はセイントアガタ学園の合唱コンクールだ。この学園は女子だけの中高一貫校で、藍子は高等部一年生、放送委員である。

高等部三年一組の合唱が終盤に差し掛かり、藍子はスタンドの明かりで式次第を確認する。次に登壇する三年二組のピアノ奏者は片貝麗華、藍子の従姉妹だ。藍子がマイクのスイッチを入れようとしたところで、放送部顧問の男性教師が血相を変えて舞台袖に飛び込んできた。

「三年二組、ピアノ奏者変更だ」

教師はメモを音響機器に置いた。

「ピアノ奏者 片貝麗華→鵜飼百々子に変更」

藍子は声を上げそうになる。百々子は藍子の実姉なのだ。藍子は事情を聞かずにはいられない。

「あの、これって・・・・・」

教師は藍子の質問を手で制した。藍子は舞台袖の覗き窓からステージ下を伺う。担任のシスターに連れられて体育館を出て行く麗華の後ろ姿が見えた。麗華は校則で禁止されているパーマヘアーを隠すために長い髪を三つ編みにしている。既に三年二組は登壇に備えて待機中だ。そして姉の百々子は全身に緊張感をみなぎらせ、楽譜を握り締めていた。

降って湧いた大役だけどももちゃん頑張って。藍子は心の中で姉を応援する。藍子はマイクに向かい

「続きまして三年二組、曲目はレ・ミゼラブルより『オン マイ オウン 』、ピアノ、鵜飼百々子」

と姉の名前を丁寧にアナウンスした。客席の生徒からどよめきが起こり、それは舞台袖の藍子にも分かる程だった。麗華は周辺他校にもその名を轟かす有名な美少女であり、夜の渋谷界隈では遊び人として知られていた。淑女にもあばずれにも見える麗華は学園のセックスシンボルであり、かつ崇拝の対象であったのだ。

百々子は客席の動揺を物ともせずに真っ直ぐにピアノに向かう。ここが自分の居場所だと言わんばかりに。百々子は太り肉だった。ピアノの前に座り、一度ゆっくりと息を吐いた。そしてその肉付きの良い体からは誰もが想像し得ないほど繊細で優しい音色を奏でた。


 代役のピアノ奏者による演奏であったにも拘らず、合唱コンクールで優勝したのは三年二組だった。


「一体どういう事よ」

ステージ脇から出てきた藍子を捕まえたのは、高校二年生で結成された麗華親衛隊の面々だ。

「麗華様に何があったの?」

親衛隊長の問いに藍子は首を捻るばかりだ。

「私も何が何だか・・・・」

「で、あなたのお姉ちゃんがピアノを弾いたんだ?」

「はい、代役は前々から決まっていて」

「ふうん」

親衛隊達は腕を組んで面白くなさそうにしている。

「私、もう行かないと。先生から呼ばれているんで」

藍子は彼女達の脇をすり抜けて場を離れる。教室に戻る途中、和服姿の麗華の母親とすれ違った。母親はは青ざめた表情で副校長について行った。


上機嫌なのは藍子の母親、初子である。麗華と百々子は同い年で学校も同じ、しかも同じく有名音大のピアノ学科を目指している。どうした天の采配か、百々子が麗華から主役の座を引き継ぎ、急な任務にも拘らず麗華以上のピアノの腕前を発揮してクラスを優勝に導いたのだ。

「うふふ、今日はすき焼きにでもしてやろうかね」

初子は冷蔵庫を覗き込みながら言う。百々子は毎日のようにピアノの個人レッスンを受けており、まだ帰宅していなかった。

「ももちゃん上手だったよ」

藍子は母親に告げた。

「そうだってね、あーあお母さんも見に行けば良かったよ」

藍子は声を潜め、

「麗華ちゃん、どうしたの?」

と初子に聞いた。初子は母屋に住まう舅と、家の敷地内にあるアルミ建具工場で働く夫がそばにいない事を確かめてから、

「あの子、補導されたんだって」

と暴露する。

「補導?」

藍子は思わず驚きの声を上げた。母親は自分の唇に指を当てて、静かにの仕草をして、

「何でも二、三日前に遅くまで男の人と一緒にお酒を出すお店で喫煙していたらしいのよ。それで補導されちゃって。多分今日になって警察から学校に連絡があったんだと思う」

「そう、それでピアノがももちゃんに変わったのね」

「大変よね、受験前の時期に」

麗華は素行は悪かったが学校の成績は優秀で、ピアノコンクールでの入賞経験もあった。推薦枠で音大入学を目指していたが、もう推薦は無理だろう。最悪退学処分も十分にあり得た。


夕飯は初子の言葉通りにすき焼きだった。藍子の祖父、敬三の住まいは息子一家の家と渡り廊下で繋がった母屋である。敬三は朝夕息子一家と食事をするのが常だった。

百々子の活躍を労う為の馳走だったが、夕飯の席では誰もピアノの話をする者はいない。敬三の一番のお気に入りの孫は、言うまでもなく美しく才気溢れた麗華である。その麗華が晴れ舞台直前で主役の座から引きずり下ろされ、ピアニストになると言う夢も風前のともしびである。母親は淡々と食事を給仕し、最後に普段は滅多に買わない高価な大粒のぶどうを出した。

「わしゃぶどうはすかん」

敬三はそれだけ言って母屋に引き上げて行った。敬三の姿が見えなくなるが早いか、末っ子の楓がぶどうに手を伸ばし、美味そうに頬張った。楓はセイントアガタ学園の中等部一年生だ。とは言え教室にはほとんど行かず保健室登校が続いていた。

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