あたしの大好きな夕焼け
その場にいたみんなが全員、講堂へ向かった。
助かった。
あたしも、そのまま、みんなの後を追った。
でも、今の声、どこかで?
イスと机が用意されたステージ上の真ん中に、女子生徒がマイクを持って現れた。
あゆみだった。
「これより、臨時ニュースを送りいたします」
あゆみは、メガネをしており、髪の毛をきっちり後ろにまとめて、その姿は、まるで本物のアナウンサーのようだった。
「ます、一つ目です。今日、朝、私たちの学校の掲示板に(スクープ第2段‼ 悪魔の子、再び、今度は児童いじめ)という見出しの記事が貼られていましたが、これは間違いであり、悪質なデマと言うことが分かりました」
「デマ?」
講内は、ざわついた。
「この問題の写真ですが、まるで、この女子生徒が男の子を転ばして笑っているようにも見えますが、実際はサッカーをしており、濡れた地面に足を滑らせて、泥んこまみれになった所を、おかしく笑っただけの話なのです」
「ウソだ。証拠出せよ」
どこからか野次が飛んできた。
「実際に、サッカーを一緒にやっていたわたしや、河野ゆうきさんが、承認になっていただけるそうです」
「河野先輩?」
「はいっ」
河野先輩が、一番後ろの席に座っていた。
放送部の先輩が、マイクを持って、河野先輩に駆け寄った。
「うそ。どうしてここに?」
突然の河野先輩の登場に女の子たちは、悲鳴を上げている。
「静かに。静かに」
先輩は、人差し指を口に寄せて女子生徒たちを黙らせた。
「確かに、ぼくは、彼女たちと一緒にサッカーをしていました。だけど、いじめなんて一切なかったし、この男の子は、彼女を実の姉の様に親い、仲良く一緒に遊んでいました」
「だったら、あのあざは?」
小川先輩が、立ち上がった。
放送部の先輩が、マイクを持って小川先輩に駆け寄った。
「あたしの弟は、たしかにいじめられていました。証拠にあの子のお腹にはいくつものあざがあったんだから、それがなによりも証拠じゃない」
小川先輩は、どうしてもあたしを犯人に仕立て上げたいらしい。
「その殴られた、とのことですが、そのことに関しても、お伝えすることがあります」
あゆみは冷静に話を進め、頭上から大きなスクリーンが降り、動画が映し出された。
「ああ、イライラするなっ」
音声が流れてくる。
体格の良い女性が、トオル? と思わしき少年につめ寄っている。
場所は、たぶん、いつも夕食を買うときに通うスーパーの路地裏だ。
「いつになったら、あたしを芸能事務所に紹介してくれるんだよ。なあ、なにか聞いてない?」
トオルに強い口調で攻めると同時に、おなかに数回パンチをしているようにも見える。
昨日、あゆみが先輩から送られてきた特大スクープ映像ってこの動画のこと?
そして、この女性をあたしはきっと知っている。
「ウソだー」
誰かがイスから、飛び上がるように絶叫している。
クラスのリーダー的存在の前田かおり。
あたしの顔面にバレーボールを思いっきり、ぶつけてきた奴だ。
「あ、あんたが、トオルにあざを?」
小川先輩は、鬼の様な形相で、前田さんをにらみつける。
「うっ」
前田さんは、言葉に詰まる。
この動画を前にして、もう言い逃れはできない。
「だって、だって……。あたしを芸能事務所に紹介してくれるって言ったのに。なのに、いつまでたっても、なにもしてくれないから」
前田さんは、ぽろぽろと涙を流し始める。
「あたしは、あなたの言いつけ通り、西野さんを苦しめるために掲示板にウソのスクープ写真も張り付けたし、今回のスクープだってあなたに誉めてもらおうと頑張って雨の中とったのに。西野さんをいじめの犯人に仕立て上げたのに」
講内は、どよめきが起きた。
ちょっと待って。
あたしを苦しめるため?
どういうこと?
「な、何言ってるの? あたしがいつそんなこと頼んだの? ねえ?」
小川先輩は、急に早口になり、動揺している。
「ウソなんかじゃない、掲示板にスクープ写真を載せたのも全部、このひとの命令だったし、河野先輩の実家に嫌がらせの手紙を書いて送らせたのも全部このひとなんだから」
手紙?
河野先輩のお父さんのラーメン屋を侮辱したあの手紙のこと?
「おい、何だよそれ」
一目散に、河野先輩が反応した。
すみれさんには、内緒にするように言われたけど、もう黙っておけない。
「河野先輩、すみれさんからは黙っているように言われていたんですが、おじさんあてに何枚か手紙が送られていたそうです。その紙は、おじさんがラーメン屋を止めるように仕向ける内容で、おじさんは、そのことでずっと悩んでいたようなんです」
あたしは事情を説明した。
「うそだろ? ふざけんなよ」
河野先輩は、小川先輩に向かって歩き出した。
「来ないで。みんな、あたしはなにも悪くない。あたしはなにも知らない」
小川先輩は、絶対に認めようとしない。
確かに、小川先輩が命令したという証拠はない。
小川先輩が手紙を書いたという証拠もない。
その時だった。
講堂のドアが、勢いよく開いた。
そこに立っているのは、トオルとクマおじさんと大型犬のトラだった。
どうして二人が一緒に? ついでにトラまで……。
「だれ、あの人?」
「汚い格好だな。ドロドロじゃない?」
「道路工事の作業員じゃない?」
在校生たちが、ひそひそ話している。
クマおじさんは、大声で叫ぶ。
「いいかげんにしろ、光子」
光子?
小川先輩は、ビクッとして、動けないでいる。
小川先輩を呼び捨てで呼ぶなんて。
「おれは、小川光子の父親だ」
そこにいた全校生徒が悲鳴をあげた。
「うそだろー?」
「小川先輩のイメージがあああ」
売れっ子芸能人の小川先輩と泥だらけの作業着を着たクマおじさんとのギャップに、男子生徒たちは、ショックを受けているようだ。
「違う。こんなおじさん、あたしは知らない」
小川先輩は、大声でなにもかも否定する。
「お姉ちゃん、ぼく見たんだ。おねえちゃんが、夜、手紙を書ていたのを。それからぼくをいじめていた人とのメールのやり取りも。お姉ちゃんがお風呂に入っている間にぼく、こっそり読んじゃったんだ。ごめんなさい」
トオルは謝りながらも、強い口調とまっすぐな目で話しを続けた。
あの雨の中で泣きじゃくっていたトオルとはまるで別人だ。
「お姉ちゃんが犯人だ。だけど、僕一人じゃ、ここに来る勇気がなくて……、だから、お父さんに頼んだんだ」
「知らない。こんな小汚いおじさん。あたしの父さんじゃない」
トラが、小川先輩に向かって走ってきた。
「なによ、来ないで」
飛び込んでくるトラの勢いに負けて小川先輩は、倒れこんでしまった。
小川先輩の胸ポケットからサインペンが転がり落ちた。
それを、トオルは、さっと拾いあげる。
「このボールペンに間違いない。甘い香り付きのサインペン。まだ、日本では発売されていないけど、お姉ちゃんが、CMで出演するから特別に貰ったって喜んでたよね?」
「返しなさいっ。トオル」
だけど、トオルは渡さない。
「ぼくはともこお姉ちゃんが、大っ嫌いだった。ぼくの父さんを奪う(ドロボウ)だと思った。だけど、一緒に遊んでくれて、料理も作ってくれて、着替えるのも手伝ってくれて、本当のおねえちゃんよりずっとお姉ちゃんだった」
トオルは、ボールペンを持って、あたしに渡してくれた。
「きっと、手紙も同じ甘い香りがしていたはずだよ」
確かに、あの手紙からは甘い香りがしていた。
「やっぱり、小川先輩がやったことなんですね」
あたしは、やっと確信した。
「ふ、ふふ」
小川先輩は、うっすら笑っている。
「そうよ、全部、あたしが命令してやらせたこと。手紙を書いたのも、間違いなくあたしよ」
まるでわびる様子もなく、強気な表情だ。
「そして、それは誰の為でもない、河野、いや、ゆうきのためにやったことなの」
小川先輩は、河野先輩を見つめながら、全校生徒の前で主張していく。
「汚らわしいラーメン屋や小娘のケーキ屋なんて、ゆうきにふさわしくない。そうでしょ? だから、ふたつのお店をつぶしてやろうと思ったの。 あんな小汚いケーキ屋にいく暇があったら、さっさと芸能界に復帰して、延期になってた映画の撮影に入らなきゃ。 日本で一番のアイドルになってもらわなきゃ」
そのまま河野先輩を見つめ続け、
「あたしたち、きっとみんながうらやましがるカップルになれる。人生がもっと輝くはずよ」
小川先輩は、河野先輩に手を差し伸べた。
きっと、この手をつかんでくれると自信があるように。
すると、河野先輩は、鼻で笑って答えた。
「悪いけど、他を当たってくれる?」
「え?」
河野先輩の足元に、トラがトコトコとやってきた。
「好きでもない奴と一緒にいるぐらいなら、犬と一緒に遊んでいる方がずっと楽しいよ」
そっとトラの頭を優しくなでた。
その瞬間、小川先輩は、魂が抜けたように、倒れこんでしまった。
犬にも負けた芸能人の小川先輩のプライドはズタズタになったと思う。
そのままクマおじさんに抱え上げられ、学校を出て行った。
先生にひきずられるように前田さんも。
それから、誤解が完全に解けたあたしは、学校へ再び通えるようになった。
同時に、前田さんと小川先輩は、学校に来なくなった。
小川先輩は、そのまま芸能活動も停止するというニュースが流れた。
1週間後、お店の手伝いをしている時に、前田さんがやってきた。
前田さんは、すごく痩せこけていた。
「あたしの顔なんて見たくもないと思うけど。本当にごめんなさい」
今にも消えてしまいそうなか細い声で話し始めた。
「あたし自分がブスで男みたいだからさ、小川先輩があこがれだったの」
衝撃の発言だった。
「きれいで華のあるあの人が、大好きだった。だから、事務所に誘われた時は同じ立場で、一緒に肩を並べて友達になれると思ったの。ただ、利用されていただけなのにね」
……そうだったんだ。
てっきり前田さんは、河野先輩のことが好きだと思っていたけど、前田さんが好きな先輩って、小川先輩のことだったのか。
「河野先輩と付き合ってるって聞いた時は、小川先輩をとられると思って耐えられなかった。だからただの噂話にも敏感になっちゃって……」
「だから、お弁当を作ったりして河野先輩をあたしに惚れさせようとしたけど、だめだった。芸能人になって、あたしに惚れさせようとまで考えたけど、論外よね。わらっちゃうわ」
そこまで、小川先輩に憧れていたなんて。
「全部、あたしが悪いの。いくらあこがれの人の頼みでもちゃんと、断っていればこんなことにはならなかったのに」
前田さんは、深々と頭を下げた。
「もう、いいの。それに、あたしだって、ずっと学校から逃げ回ってただけだから」
そうだ。
あたしも戦おうとせずに、ずっと逃げ続けていた。
だけどその経験は無駄なんかじゃない。
「正直、学校に行けなかったのはすごくつらかった。だけど、そのおかげで、今は、今まで以上に、毎日が楽しいの。学校に行ける喜び。友達と一緒に勉強ができて、一緒に遊べる喜び。ずっと抱え込んでいた悩みを苦労して解決できた時の喜び。結果、オーライって感じ」
「だから……」
「また学校においでよ。 今度こそ、仲良くしよう。 男子とも対等に張り合える前田さんをあたしはずっとカッコいいと思ってたんだ」
「……」
前田さんは、すすり泣きながら、無言で何度も何度もうなづいた。
「カラン」
また、お客さんが入ってきた。
この人まさか?
「小川先輩……」
あたしも前田さんも目を疑った。
「おひさしぶり、前田さん。西野さん」
小川先輩は、まるで、男の子の様にばっさり髪を切っている。
あの長くて美しい髪をばっさりと。
あたしと同じ、いやそれ以上。
パーカー姿で、ネックレスも指輪もなにもつけてない。
甘い香水のにおいも。なにもないただの女の子。
「二人とも、このたびは、本当に申し訳ありませんでした」
小川先輩は、どこか吹っ切れたような爽やかな笑顔だ。
以前の様な、どこか人を小バカにするような様子は一切なくなっている。
「生まれ変わろうと思うの。もうおしゃれもきれいな髪もいらない。一からやり直したい」
どこか嬉しそうに話を続ける。
「両親が、また一緒に住むことになったの。お父さんが、正社員で不動産会社に就職が決まったんだ。やっとちゃんとした仕事が決まったの」
小川先輩は声を弾ませる。
クマおじさん、就職が決まったんだ。
あたしもすごく嬉しい。
「最初は、お母さんや弟が不自由しないために始めた芸能界だったけど、いつの間にか自分のことしか考えられなくなっちゃった。だから今は、弟に頼られる立派なお姉ちゃんになりたいの」
先輩は、リュックから、料理本を取り出した。
(だれでも簡単にできる鍋の作り方 初心者編)
「弟が、どうしても食べたいっていうから…」
恥ずかしそうにあたしと前田さんに見せた。
そして、先輩は、宣言した。
「明日から、学校に行きます」
正直、小川先輩の今の評判は、最悪だ。
今、学校に行ったりしたら……、
「あたし、きっとみんなにすごく笑われると思う。男みたいだって。指を差して笑われると思う」
照れ臭そうに、髪をかきあげた。
「そんな奴がいたら、あたしがぶっ飛ばしますよ」
前田さんが、とっさに名乗りを上げた。
まだ、小川先輩に憧れているのがよく分かる。
「ありがとう。でもいいの。あたし、みんなに笑われたいの。それだけバカなことをしてしまったんだから。これが、あたしなりのけじめのつもり」
小川先輩は、あたしの目をまっすぐ見つめて、ニコッと笑った。
次の日、案の上、小川先輩が登校すると、あちこちから指を差され、悪口が聞こえてきた。
昼食時は、お昼ごはんを外のベンチで一人で食べている所をたまたま廊下から見かけた。
すると同級生の複数人の不良男女グループが小川先輩に近づいていき、ちょっかいを出しているようだ。
一緒に見ていた前田さんが、助けに走った。
あたしも、前田さんに続いて駆け出す。
もう、誰も傷つく姿を見たくない。
だけど、現場につくと、あたしや前田さんの助けはもう必要なかった。
河野先輩が、小川先輩のとなりにやって来て一緒にご飯を食べ始めている。
「なんだ? お前ら」
不良グループたちを鋭い眼光でにらみつける。
「いえ、あ、あの、す、すみません」
グループの男女たちは、走って逃げだしていった。
「言っとくけど、まだ、完全に許してないんだからな」
河野先輩は、豪快にパンをかじりながら言った。
「ごめんなさい。……ありがとう」
小川先輩は、顔をくしゃくしゃにして泣き続けた。
やっぱり、河野先輩は、あたしたちみんなの救世主だ。
学校が終わると、あたしは全力で走った。
途中で立ち止まり、空を見上げると、あたしの大好きな夕焼けが空一面に広がっている。
苦しいことがあっても、きっと、それを乗り越えられる日が来るはず。
そう、願わずにはいられなかった。
すると、大きくてさわやかな風が、ふわりとあたしの体をすり抜けていった。
この風が、この願いを夕焼け色の空高くまで届けてくれますように。