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第7回 繊細な武藤


今回はパン屋ではなく、バイト仲間の武藤の話です。



 季節は6月の初夏に突入し、私が『ベーカリー ル・シエル』で働き始めて3ヶ月になる。作業もいろいろと覚えて、自分でも少しずつ効率よくできるようになったと思い始めた頃だった。



「―――?携帯?」

 それはバイトが終了し、いざ帰ろうとしていたときだ。着替えの部屋で黒い携帯電話を発見した。普段なら気にするものでもないのだが、これはたぶん武藤のものだとわかっていたのでどうするべきか迷った。だって彼はついさっき帰ったばかりなのだ。

「それって猛君の携帯じゃない?」

 同じく仕事を終えた由良が傍に寄ってきた。

「たぶん。忘れたみたいですね・・・」

「へー、じゃあ届けてあげなよ」

「ええぇぇぇ・・・私がですかー?」

 正直気が進まなかった。武藤が携帯を忘れたことに気づいて取りに戻ったら入れ違いになるかもしれないし、なにより相手が武藤だ。

「私こういう設定大好きだし」

 一体なにが言いたいのかわからなかったが、由良から住所を聞いてしまったので、仕方なく足を向けることにした。


            ◇


 着いた家は一軒家だった。てっきり1人暮らしだと思っていたのだが、どうやら実家らしい。つまり、バイトも大学も家からかなり近い所に位置しているということだ。

(どうしよう。勢いで来ちゃったけど、本人いるかどうかもわからんし・・・)

 武藤という表札を睨み、本気で帰りたくなったが、突然玄関のドアが開いたので、心臓が飛び上がって動けなくなってしまった。中からは若い男が出てくる。武藤本人ではないらしい。痩せた体に坊主。まるで野球少年のようだ。



「あれ・・・お客さん?」

 私に気づいて、野球少年(?)が呟く。そして私の前までやって来た。

「ウチになにか用ですか」

「あ・・・えっと、武藤猛くんのバイト先の者ですけど、携帯を忘れていったようなので―――・・・」

「そうなんですか。わざわざありがとうございます」

 少年は私から携帯を受け取ると、丁寧にお礼を言う。後藤のような口調に私はどきどきしてしまった。

「兄はまだ帰ってないんです。あがって待ってますか?」

「いえ!届けに来ただけなんで!帰ります」

 慌てて頭を下げ、私は(きびす)を返す。本人がいないことになんとなくほっとしたのに、あがって待つなんて言語道断だ。

(そういえば、さっき兄って言ったよね・・・弟がいたんだ)

 初めて知った事実に私はなぜか興味を持った。



 そのとき、キキッいうブレーキ音と共に自転車が現れた。思わず振り返ると、自転車から降りた人物と目が合う。

「は・・・?なんで?」

 困惑したような顔で武藤が自転車を家の中へと引いていく。私がなにも答えないので、代わりに弟が携帯のことを説明すると、「ああ」とうなるように呟いた。その苦々しい表情を私は見逃さなかった。

「あ、そうだ。父さん今日遅いからごはんいらねぇってさ。よろしく」

「わかった」

 武藤は用件を言うと、自分の自転車に飛び乗り猛スピードで去ってしまう。後には私たちだけが残されて、気まずい雰囲気が流れた。

「携帯、どうも」

「いや・・・家も近かったし。じゃあまたね――」

 そそくさと立ち去ろうとすると、「あのさ」と呼び止められる。

「お前って―――」



 数分後、私は武藤家にあがっていて、なぜかDVDプレーヤーを取り付ける。「お前って電化製品に強い?」という武藤の問いにはじめはなにを言われているのかわからなかったが、どうやら買ったプレーヤーの配線がややこしくて家族の誰も取り付けようとしないらしい。

「これって強い弱いの問題じゃなくて、やるかやらないかの問題なんじゃ・・・」

 ぶつぶつと文句を言うが、武藤は別の部屋に行ったっきり戻ってこない。言いように使われているような気がしてきた。



 それにしても綺麗に片付いた部屋だ。男兄弟がいるのだからもっと散らかっているような印象を持ったが、私の部屋よりも片付いているのかもしれない。お母さんが大変だと思ったとき、棚の上に飾ってあるいくつかの写真立てが目に入った。

(へぇ・・・写真だ)

 悪いと思ったが見させてもらうことにした。それらはずいぶん小さいときの写真のようで、家族4人が笑顔で写っている。今は毒舌男なのに、昔はこんなにかわいかったんだと思うと面白かった。その反面、なにかが気になってしまった。



「あ、終わった?」

 手に白い皿を持った武藤が戻ってきた。彼は皿をテーブルの上に置き、私に食べるように促す。

「なにこれ?」

「りんご。田舎のばーちゃんから送られてきた」

「誰が()いたの?」

「――?おれ?」

(武藤君がりんご?似合わない!)

 そう思ったのが伝わったのか、不機嫌な表情で皿を引っ込めようとするので、私は慌ててフォークを手に取っていただく。みずみずしくてとても甘い。すごくおいしかった。



「武藤君ってなんでもできそうだよね。もしかして料理とかも得意?」

「別に・・・基本的なもんしか作んないし」

 この言い方だと少なくとも基本的な料理はできるらしい。ひょっとしたら1人暮らしをしている私よりもできるかもしれない。

「器用なんだねー。バイトでもしっかりしてるし、私も見習わないとなぁ」

 サクッとりんごをかじり、なにかを考えた。なにを考えていたのかはわからない。ただ、さっきからずっと引っかかっていたことがあるような気がしたのだ。そう―――さっきの兄弟の会話で・・・・・・


『父さん今日遅いからごはんいらねぇってさ。よろしく』


 別におかしな点はない。ただ――弟の言い方だと、まるで武藤がごはんを作っているように聞こえる。

「―――武藤君のお母さんって・・・・」

 思わず口に出してから私は後悔した。しかし、武藤はりんごをかじりながら、なんでもないことのように、

「いないよ」

 そう答えた。

「父親も仕事があるし、おれがしっかりしようって思って―――ってなに言ってんだ・・おれ」

 ぐしゃぐしゃと前髪をかき、空になった皿を持って武藤は立ち上がる。足早に出て行こうとする背中に私は声をかけた。

「りんご、すごくおいしかった!ごちそうさま!」

 気の利いた言葉なんて浮かばなかったので、素直な感想を言った。立ち止まった武藤は首だけで振り返っていたが、やがてほんの少し笑って軽く頷いた。たぶん営業スマイルでもおばさまキラーの笑顔でもなく、武藤自身のちゃんとした笑顔だったと思う。



 今まで武藤のことは苦手だったが、今日ここへ来て、少し彼のことを知ることができてよかった。誤解されやすいあの態度は、きっと必然的に身につけた武藤の繊細な心のように私は思えた。

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