第5回 要領よく
先日の食事から1週間たった土曜日の朝。たまたまいつもより早くバイト先に行くと、着替えの部屋で由良に会った。
「雪乃ちゃーん・・・おっはよー」
いつものような明るい言い方ではなく、なにか悪いことでも企んでいそうな挨拶だった。
「お・・・おはようございます。どうしたんですか、由良さん」
「へっへっへー。雪乃ちゃんは店長が好きなんだね」
「―――!?」
単刀直入にそう言われてなにも言い返せなくなってしまった。それが結果的に肯定となり、由良は満足そうに頷いた。なんていうか頭から2本の触覚が見えるような気がする。ものすごく悪いことを考えているような気がするのは気のせいだろうか。
「うっ・・・・・・誰にも言わないでくださいよ?」
「言わないって。ただかわいいなぁって思ってさ」
「かわいくなんかないですよ。脈がないのわかりきってます」
「うーん、どうだろー・・・もてそうだけど、実際そういう話聞いたことないからなー」
ということは、彼女はいないのかもしれない。そう思えただけでも嬉しかった。
そういえば、由良はどんな恋をしてきたのだろう。豪快で後輩思いの優しい性格。子供がいるらしいが、一緒に暮らしてないと以前聞いたことがある。詳しい事情は知らないが、いつか聞くことができるだろうか。
◇
エプロンをつけてから厨房の前を通ると、後藤の姿が見えた。ちょうど焼きたての食ぱんをオーブンから出しているときで、型に入った生地にショックを与えながら出す。
(わぁ・・・いい匂い)
パン屋で働き始めてまだ短いが、1番焼きあがったときにいい匂いだと感じるのは、やっぱり食ぱんだと思う。これを嗅ぐと本当に幸せな気分になる。
「あ・・・雪乃さん、おはようございます」
いつのまにかこっちに気づいた後藤が優しい笑みを浮かべていた。私はアホ面で匂いを嗅いでいたので、急に恥ずかしくなった。
「おはようございます!」
同じく厨房にいた由良がにこにこと笑ってこっちを見たので、ますます恥ずかしくなる。
「ちょうどよかった。雪乃さん、スライサーって使ったことありますか?」
「スライサー?」
「簡単に言うと、食ぱんを切る機械ね」
そうぶっきらぼうに教えてくれるのは武藤だ。私はてっきり後藤に教えてもらえるのかと思っていたが、「猛君に教えてもらってください」とにこやかに言われてしまったので仕方がない。そのときちょうど厨房に現れた武藤が、とても嫌そうな表情をしたのを私は見逃さなかった。
「これで幅を合わせて――5枚とか6枚切りとか言われるだろうけど、一応目安の幅あるから。ここに貼っとくけど」
つまり、切る枚数によって、何センチの幅にするのか違うということである。私は手袋をはめ、試食用の食ぱんで試しに切ってみることにした。
スライサーのスイッチをつけると、ぶーんと音が鳴る。それと同時に円形の刃物が勢いよく回り始めた。おそるおそるパンを近づけると、サーっと音がしてパンが切れた。
「・・・・・切れた!」
「当たり前だろ。いいから早くやれって」
「は、はい」
とりあえず6枚全部切り終えたが、斜めに切れている。試食用でなければとても店に出せるものではない。こういうときに、自分の不器用さが嫌になる。
「あと、スライサーで指切る人いるから気をつけて」
「・・・そういうのってもっと前に言うんじゃないの・・・普通」
しかし、こんな不器用な私がまたすぐにスライサーを使うはめになる。
それは開店してお客さんが何人か入ってきたとき、武藤が別のお客さんの対応でレジにいないときだった。すでに私はレジを打つことはできるようになっていたが、
「このパン切ってもらえる?」
恰幅のいいおばあさんにそう言われて、一瞬ぎくっとした。
(どうしよう・・・武藤君いないし、私がやったって上手にできないよー・・・)
それでも奥にいる後藤や由良を呼びに行くわけにはいかない。2人ともまだ忙しくしている。スライサーで切るパンは焼きたてでないことが条件だが、お客さんが持ってきたのは朝焼いたもので、すでに冷めてしまっている。つまり・・・断る理由がない。
「はい。何枚切りがよろしいですか」
「そうねぇ・・・5枚でいいかな」
「5枚ですね。少々お待ちください」
やるしかない。手袋をはめ、パンを袋から出してスライサーに乗せる。なるべくまっすぐ切れるように頭の中で予行してから、スイッチを入れた。
(まっすぐ・・・まっすぐ・・・・・・できた!)
我ながらかなり上手くできた。まだ2回目のスライサーだとは思えないほどの出来ばえに一瞬うっとりとしたのも束の間、肝心なことに思い当たった。
(しまった!5枚切りにしてない!)
朝の試食用に切ったまま、スライサーの幅は6枚切り用になっていた。今さっき5枚切りだと言われたのに失敗してしまったのだ。
「す・・・すみません!間違えて6枚切りにしてしまいました!」
慌てて頭を下げたが、私の頭の中では、この後どう対応するべきか考えていた。新しいパンを用意するべきか、それともお詫びになにか別のパンをサービスするべきか・・・・・・おばさんは困ったような顔をしていたが、すぐに笑顔になった。
「いいですよ、6枚でも」
「すみません・・・・ありがとうございます」
◇
「そうですか・・・・・」
1度ミスをしてしまうと、後まで引きずってしまうのが私の悪いクセだ。あの後一体どうやって接客をしていたかはわからない。それを見抜いた後藤が、バイト終了後に私に訳を聞いてきた。事情を聞くと、彼は怒ることもなく頷いただけだった。
「――すみません」
「いえ。大事なのは、その失敗を繰り返さないように心がけることです。今後は気をつけてください」
「・・・・・はい」
失敗とはっきり言われたことにショックを受けたが、自分が悪いのだから仕方がない。もっと要領のいい人間になりたいと私は心からそう思った。
今さらですが、『パン屋へ行こう!』っていう題名ですが、行けば?って感じですよね。
そこは温かく見守ってください。