最終回
「・・・・・遅いって言おうとしたんだけど」
「う・・・だからごめんって言ってるじゃん」
「それ自分で着たんだ」
「まさか!美咲さんが昔習ったことがあるみたいで、着せてもらったの」
私は今自分の着ている紺色の浴衣を見て言う。浴衣を着るのは2年ぶりになる。
今日は近所のお祭りの日。私は約束どおり、武藤と一緒にお祭りに来ていた。去年のときもそうだが、やっぱり人の多さは半端ではない。
(っていうか、浴衣の感想はないのかなぁ)
せっかく普段着ない浴衣だ。それなりの感想を期待していたのだが、武藤はそれに対してなにも言おうとはしなかった。浴衣を着るのに手間取っていたせいで、遅くなったことを怒っているのかもしれない・・・と思っていたら、
「馬子にも衣装」
以前と同じことを言われた。
武藤が留学から帰ってきてから4ヶ月以上がたつ。私たちの関係は相変わらずバイト仲間だった。少しぐらいなにかあるかもと考えていたのだが、あろうことか武藤は私に「え?店長のことが好きなんじゃないの?」とか言われた。
(まだ店長のことが好きだと思ってたんだ・・・どんだけ未練たらたらなんだよ)
なにより武藤にそう思われていたことが悲しかった。
「やっぱすごい人だね」
「毎年すごいよ。ここは」
地元の人だからか、武藤は慣れたように歩く。私は人に飲み込まれそうで、歩くのもやっとなのに。しかし、そんな私に武藤は歩調を合わせてくれた。
「いいよ。ゆっくりで」
「うん・・・ありがとう」
私は神山のことを思い出していた。彼も優しくて、優しすぎて、なぜか泣きたくなってきた。
多くの出店があった。焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、射的、ヨーヨー、金魚すくい・・・・・私は生まれて初めて射的をやってみることにした。
「うーん・・・当たらないなぁ・・・」
それが思っていた以上に難しい。的を狙って撃つだけなのに、いつも微妙に違うところに弾は行く。見かねた武藤が懐から財布を取り出した。
「おじさん、おれもやる」
「はいよ」
私が隣で武藤が的を狙う様子を観察していると、
「あのひよこでいーい?」
たぶん当てる的のことを言っているのだろう。しかし、ひよこは小さくて当てることは難しいだろう。
「無理でしょ」
「おれはやればできる男です」
数秒後、ひよこが吹っ飛んだ。
◇
「ありがとう!」
私は念願だったチョコバナナを買ってもらい、もったいないのでちょっとずつ食べていく。ようやく約束を果たせた武藤はほっとしたように財布をポケットにしまった。
「これで約束は果たしたからなー」
そう言われると思わず感じてしまう。これで終わりなんだと。このチョコバナナを食べ終わった瞬間、もう二度と私は武藤と一緒にお祭りに行くことはないかもしれない。
(来年も一緒に行こうって言ってみようか・・・でも向こうに好きな人がいたら迷惑だろうし)
しかし、誘うだけならいいかもしれないと思い立ったとき、「あ」と武藤がなにかに反応して立ち止まった。
「な、なに?」
思わず身構える。
「神山だ」
「え・・・どこ?」
「あっち」
本当だ。見ると、人ごみの中神山が歩いているのが見えた。しかも、その隣には『太陽のレストラン』で一緒にバイトしていた女の子がいる。それがわかった瞬間、私は自分のことのように嬉しく思えてきた。
(神山君・・・よかった、本当によかった)
心からそう思った。
「神山君ならいつかきっと立派な放射線技師になれるよね」
「・・・あいつは言ったことは必ずやる男だから」
「うん。私もいつか病院関係で働いて、それでどこかの病院で偶然ばったり神山君に会うのが夢なんだ」
叶うかどうかはわからない。だけど、もし偶然会うことができたなら、そのときは以前とはまた違ったふうに話すことができるだろう。そのときがとても楽しみだった。
今日で1番大きな花火が夜空に咲いた。
◇
帰り道、武藤に送ってもらったが、なんとなく武藤は無口だった。いや、普段からそんなにべらべらと喋る人ではなかったが、それにも増して今日は変だ。電灯に照らされた道を、私たちはひたすら無言で歩いていく。
それでもさすがに空気が重たくなり、私は留学中のことを話題にしてみた。
「え?帰国したとき?」
「そう。店長が言ってたんだけど、女の人と帰ってきたんだよね?それって日本人?」
ずっと気になっていたことをそれとなく話題にする。武藤はしばらく考え、やがて思い当たったらしく「あー」と言って首を振った。
「ううん。韓国人のコンさん。日本に興味があっておれの帰国と合わせて来日したんだ。すぐ帰ったけどね」
「そっかー」
どういう関係なのかはわからなかった。
それにしても緊張する。普段はバイト先でしか話すことがないため、いざ2人きりになるとどうすればいいのかわからない。だけど、私の家までの道のりがまだ続くようにと心の中で願い続けた。
(もうちょっと一緒にいたい・・・)
だけど、現実はそうはいかない。あっというまにアパートが見えてきた。
「着いた」
「そうだね」
私の心の中にモヤモヤが広がっていく。なにか言われる前に私は浮かんだ言葉をそのまま伝えてしまおうと思った・・・そのときだった。
「つーか・・・」
武藤が怒ったような口調で顔を上げる。
「おれとつきあうとか・・・どう?」
一瞬、なにを言われているのかわからなかった。私が目をぱちくりとさせていると、武藤は居心地悪そうに顔をしかめている。
(え・・・え?今・・・・)
「や、おれは店長とか神山みたいに人間できてないけど・・・・・その・・・」
もごもごと言う武藤に対し、私は遅れて顔が赤くなった。今武藤に告白されてるんだ。それがわかったとき、どうしようもなく体の力が抜けていくのを感じた。
(嘘みたい――)
緊張して言葉が出ない。本当は言うべきことがあるはずなのに言葉にならない。だから、私は両手を伸ばして武藤の右手を握った。それが精一杯だった。
やがて彼の手が握り返されたとき、2人はなにも言わずに照れたように笑った。
◇
もうすぐパン屋の開店時間になる頃、私はある人と着替えの部屋で電話をしていた。
『で?猛君とはもうチューしたの?』
いきなりの質問に、私はかーっと顔が赤くなってしまった。
「なんてこと言うんですか!キスなんてしてませんよ!もう開店なんで切りますよ!」
『うん。今日遊びに行くからねー』
気がつくと、部屋に武藤が立っていた。なんだかタイミングの悪いときに来たと後悔している顔だ。私もまだ頬が紅潮している。
気まずい時間が流れた。
「あ、あの・・・今の聞いてた――?」
「ああ、うん。いや・・・・・」
とんでもなく恥ずかしくなり、沈黙が流れる。空気も重くなる。
「えっと、じゃぁ開店だし。行こっか」
その私の言葉と同時に、腕を掴まれた。驚く間もなかった。気づいたときには唇が触れていて、それを認識したときには武藤によって髪をぐしゃぐしゃとなでられていた。
一拍遅れて、顔がぼんっと赤くなってしまった。
「顔真っ赤」
「だっ・・・いきなり・・・びっくり・・・・・」
「なに言ってるかわかんないよ。ほら、そろそろ開店だから行くよ」
何事もなかったかのように部屋を出て行く武藤。私も火照る顔を押さえて後を追っていく。
「そろそろ開けましょうか」
後藤の一言で店のドアが開け放たれた。外にはお客さんが待っている。
今日も元気にパン屋は開店する。
無事に最終回を迎えることができました。とりあえずほっとしています。
私の中では割と長い話だったかなと考えています。
登場人物のその後は一応考えてあります。良くも悪くもなりますが・・・
ここまで読んでくださったことに感謝します。ありがとうございました。