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第35回 好き




 神山が辞めるのは2月の終わり。ちょうど武藤が帰ってくる予定よりも少し前だそうだ。全く知らなかった私は困惑してしまった。

(神山君も由良さんも辞めちゃうなんて・・・)

 由良は藤田の店でまたパンを作るそうだからまだいい。だけど、神山とはこれでもう会えなくなってしまう。武藤がいなくなることと同じくらい寂しいと感じる。

「おはよ」

 土曜日の朝、着替えの部屋に行くと、先に来ていた神山に挨拶をされた。私は一瞬遅れて、

「・・・おはよう」

「どうした?ちょっと顔色悪くない?」

 どうしてわかるのだろうか。昨日の夜からずっと熱っぽくて、頭が痛いのだ。熱は計っていないが、もしかしたら風邪かもしれない。

「ううん。大丈夫」

「ならいいんだけど」

 今になって小塚の言っていたことがわかる。神山は自分よりも他人を優先するタイプの人間だ。時に優しくて、時に危なっかしくなる――



 しかし、バイト中の私の体調は最悪だった。頭痛の度を超すと気持ち悪くなることなんてあるのだろうか。とにかくパンの匂いで吐き気を覚えた。

(ひょっとして・・・つわり!?)

 なんてありえないことを考えて、バイト終了時間まで乗り切ろうとした・・・・が、

「ゆきちゃん、体調悪いでしょ」

 由良が私の顔を覗き込むように訊ねる。

「・・・・・つわりです」

「誰の子よ」

 私の冗談を笑いながら返すと、由良はレジに立っていた神山に「よろしくね」と声をかけると、私を着替えの部屋へと連れて行く。

「神山君が教えてくれなかったら、私も店長も気づかなかったよ?無理せずにちゃんと言ってよ」

「神山君が・・・」

 私の体調を気遣ってくれたらしい。なんだか申し訳なく思えてきた。

「今の時間は忙しくないだろうし、ちょっと休んでなよ」

「すみません、ご迷惑をかけて」

「大丈夫大丈夫。今毛布持ってくるからちょっと待っててね」

 その後、私の体調を気遣って後藤も部屋に来てくれた。みんなの優しさが嬉しくて、私は心から感謝した。



 ソファに寝転んでいると、気持ち悪かった体調もだいぶよくなってきた。しかし、頭はまだ痛い。心臓が脈打つ度に痛みがズキズキという。

 どのくらいたったのだろうか。何時なのか時計を見るために起き上がろうとしたら、店のほうから声が聞こえてきた。大きな声や笑い声が聞こえてきて盛り上がっていることがわかる。

(誰が来てるんだろ)

 気になって耳を()ます。


「そうなんです。最初はどうしようって焦ったんですけど、彼が探してくれて・・・見つかったときは本当に嬉しかったなー」

「よかったですね。それくらい大事なものだったんですね」

「はい。今でも宝物です」


 後藤の声が聞こえてくるが、もう1人は女性の声だ。どこかで聞いたことがあるような気がするが・・・


「あと1週間で結婚式ですね。楽しみにしています」

「スピーチよろしくな」

「力不足ですけど、精一杯やらせていただきます」


(神山君のお兄さんとまゆさんだ・・・!)

 2人が今この店を訪れていると知ったとき、部屋の扉が開いた。さらによく声が聞こえるようになったが、すぐにドアを閉められてしまったので、また聞こえづらくなってしまった。

「神山君・・・」

「どう?調子は。よくなった?」

「うん。さっきよりだいぶまし・・・途中で抜けちゃってごめんね」

「いいよ。そんなに忙しくなかった」

 時計を見ると、3時を過ぎていた。どうやらずいぶん長い間眠っていたらしい。すでにバイト終了時刻になっていた。

「ねぇ、今お兄さんたち来てるんじゃない?」

「ああ、うん。店長たちに挨拶してるみたい。まゆが宮崎さんに会いたがってたよ」

「ほんと?じゃぁ行ってこようかな」

 私が立ち上がると、

「でも風邪だったらうつしちゃうかもしんないよ?」

 それもそうかと思い直し、私は素直にまた横になる。ちらりと神山を見ると、彼は脱いだエプロンをたたんでいる最中だった。横顔がなんだかかっこよく見えた。



「神山君、バイト辞めたらどうするの」

 自分でも意味のわからない質問だった。だけど、神山はちゃんと答えてくれた。

「3年になると実習とかで忙しくなるから、短期でバイトしてやってくと思う。元々そういう条件でバイト探してたし、武藤が1年で帰ってくるからちょうどいいやって思ったんだ。武藤には帰ってもパン屋やれって言ってあるから」

(その言い方って――)

 まるで私が神山と一緒に働くよりも、武藤と一緒がいいみたいな言い方だ。そんなこと思ってもないのに。私はなにか言い返そうとしたが、結局言葉が浮かんでこなかった。

(・・・どうして)

 私は基本的に自分が大事だ。もちろん相手も大事だが、最終的には自分が楽なほうへと進んでいってしまうような気がする。だけど、神山は違う。自分のことよりも先に相手のことを考えてしまうのだ。そして、選ぶのは――・・・・・・



「――神山君」

「ん?」

 携帯を見ながら神山が返事をする。

「私、神山君のこと―――好き」

 紛れもない本当の気持ちだ。だけど、それを恋愛感情かと聞かれたら・・・わからない。

 神山もそれはわかっているようだった。

「ありがとう。おれも宮崎さんのこと好きだよ」

「―――っ!」

「でも、あんまりこういうこと言わないほうがいいよ。嬉しいけど、たとえそうじゃないとしても武藤が悲しむよ」

 やっぱりどんなときも相手のことを考える。神山らしい。だけど、らしすぎて悲しくなった。

「今日は帰るね。お疲れ様」

「お疲れ」

 私は泣きたくなるのをこらえて、部屋を後にした。


            ◇


 それは私の知らない会話。

「不器用だよね。猛君もだけどさ」

 着替えの部屋で由良が1人ごとのように呟く。彼女はエプロンをたたみ、バッグの中にしまった。

「おれは別に・・・」

「嘘ばっかり。好きだったんでしょ」

 神山はただ俯く。由良は誰を好きなのか名前を言わないが、大体わかる。

 どうしてこうなってしまうのだろう。ただ一緒にいたいだけなのに、神山にはそれが許されない。望みがないってわかっているが・・・どうして。

 考え始めたら、気分がダークになってきた。神山は深く息を吸い込もうとしたが、吸いすぎて逆に咳き込んでしまった。

 手のひらに赤い染みがついた。そろそろ来たのかもしれない。

「いつか神山君のこと、心から想ってくれる人が来るよ」

 由良が部屋を出て行く。

「そうだといいんですけど・・・」

 神山の目に、窓から差し込むにじんだ陽の光が見えた。

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