第29回 夏祭り
夏!といえば、海とか山とかいろいろな意見が出るだろうが、夏と言われて私が考えるのはお祭りだった。去年は近所で行われていたお祭りには行かず、8月の半ばに兵庫で開かれたお祭りに行った。
(今年は誰と行こう・・・)
大学の友達を誘ってみたが、みんな大学近くに住んでいるわけではなく、地元のお祭りに行くそうだ。ちなみに、菜月は彼氏と行くというので、結局私は行く人が見つからなかった。1人で行くお祭りほど寂しいものはない。
「神山君、今年お祭り行きませんか」
なぜか敬語で訊ねた。考えてみれば、男の人をお祭りに誘うなんて初めてのことで、後で思ったら結構恥ずかしかった。
「え、いいよ。行く?」
意外にも神山の返事はあっさりとしたものだった。そのことを意外に思って私は目をぱちくりとさせる。
「・・・?なに?」
「や。そんなあっさり一緒に行ってくれると思わなかったから・・・」
神山には好きな人がいることはわかっている。その人と一緒に行くと思っていた。しかし、
「宮崎さんと一緒に行ったら楽しそうだし」
時々見せる神山の笑顔に、不覚にも私はどきっとしてしまった。
◇
そして、お祭りの日の当日。浴衣を持っていない私は、普段着のまま出かけた。去年は後藤のおばあさんが着せてくれたが、今年はそういうわけにはいかない。
待ち合わせ場所は、パン屋の前だ。時間よりも少し早めに来たつもりだったが、もうすでに神山がそこで待っていた。手にはパンを持っている。
「ごめん。お待たせしました」
「ううん。おれが早く来すぎただけだから」
「なに食べてんの?」
「ドーナツ。宮崎さんが帰った後、由良さんが渡すの忘れてたってくれたよ」
今日は午後までバイトだった。私はすぐに帰ってしまったが、ドーナツをもらえるのだったらもう少し残ってればよかったと本気で思った。
「ん。これ」
見覚えのある箱ごと渡されたのは、どうやら例のドーナツらしい。由良から預かってきたようだ。
「ありがとう」
その中からドーナツを取り出し、私たちは食べながらお祭りの会場へと向かった。
(結構ゆっくり歩くなぁ)
歩調を合わせてくれているのかはわからなかったが、私のペースをほとんど同じだ。武藤は逆に速く歩いたので、なんだか不思議に思えた。
ちらっと隣を歩く神山を観察したが、顔の表情が見えない。いや、見えたところでたぶん表情がないだろうが。
空には花火が上がっている。ひゅーっという音の後、夜空に大輪の花が咲く。
「うわー・・・おっきな花火だったねー」
「ふえっ―――」
くしゃみを途中で止めたらしい神山が口元を押さえて俯いている。
「出せばいいのに。くしゃみ」
「おれ、くしゃみ出すと豪快に出るんだよね。今の失敗だ」
それなら私だってそうだ。女の子でたまに「くしゅん」とかってくしゃみする人がいるが、私には信じられない。もっと豪快にしないとくしゃみをした気がしない。
「私もだよ。ぶえーくしょんって感じだもん。色気全くなし」
「宮崎さんらしいね」
「そこもっとフォローしてよ」
ふと、チョコバナナを売る屋台を見つけた。すごく大好きだったが、どうしてもお祭りで食べる気がしなかった。
「どうしたの?」
神山に問われ、私はぶんぶんと首を降る。
「なんでもない」
「チョコバナナ?買ってあげようか?」
なんて魅力的な言葉なんだろう。だけど、私はやっぱり首を縦に振ることはしなかった。
(武藤君と約束したから・・・来年のお楽しみにしよう)
それまでは食べないことにしよう。
◇
たくさんの屋台。大きくて派手な仕掛け花火。これでもかというほどの人。東京はお祭りのスケールも違った。慣れない人の多さに、さすがに私は酔ってしまった。
「ちょっと抜けようか」
気を遣ってくれたらしく、神山は私を人の少ない通りに連れて行ってくれた。
「ありがとう。やっぱり思ってたよりすごい人だね」
「はは。お祭りだからね」
神山は苦笑し、私の傍でしゃがみ込む。上から彼を見下ろすと、なんとなくどきっとした。
「神山君ってどうして放射線技師になろうと思ったの?」
「うんと・・・高1のときに肺の病気になって」
「肺?」
「うん。でも早期にCT撮ったらすぐにわかって治ってさ。それから医療に興味持つようになったんだ」
CTというのは、体を切ることなく体内の輪切りの画像を撮ることができる機械だ。MRIよりも撮影時間が少なくて済むと聞いたことがある。
それにしてもすごい。私が高校1年生のときなんて、友達を遊ぶことしか考えていなかった気がする。
「すごいなぁ・・・私なんか毎日ぼーっと過ごしてるだけなのに」
だからちょっと羨ましい。そんなふうにまっすぐ夢を追いかけていけるような武藤や神山が。
そのとき、神山が不思議そうな表情で私を見上げてきた。
「宮崎さんは?なにか興味あることとかないの?」
「私は―――ないや。ほんと普通の大学生だもん」
「じゃあ一緒に働かない?」
驚いた。まさかいきなりそんなことを言われるとは思っていなかったが、すぐに冗談だとわかった。
「無理だよ。私、英米学部だし」
そう答えたが、本当は少しだけ緊張してしまった。それを悟られないように、私は花火を見上げた。
「ん」
しゃがんだ神山が突然私になにかを渡してくる。よく見ると、線香花火だとわかった。
「ここ人少ないから平気でしょ」
ライターを手に取り、ばちっと火をつける。静かに線香花火がぱちぱちと音を立てて咲いた。
静かな時間が流れた。このときだけお祭りのざわめきが遠く聞こえ、最後の火の玉が落ちるまでずっと見つめ続けていた。
神山の語尾は少し柔らかく書いています。