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第24回 また

 『ベーカリー ル・シエル』では、パンの材料が余っていたり、業者さんから特別にもらったりした材料で試しに作ってみたパンが並ぶことがある。今回、後藤が作ったのは、近所のおばさんにもらったバナナを使って作った、チョコバナナというパンだった。

「チョコバナナ・・・」

 なんともおいしそうな組合せだ。私はじーっとそれを見つめていると、ぽんと頭を叩かれる。振り返ると、武藤が山積みのトレーを持っている。

「はい。仕事しようね」

「だっておいしそうなんだもん」

「好きだねぇ・・・チョコバナナ」

 武藤のの言葉に、私は固まってしまった。意識しちゃだめだってわかっている。だけど、どうしても考えてしまう。

 ―――今日で武藤と一緒にバイトができるのは最後だ。



 今日もいつもと変わらない忙しさが待っていた。ヒマなときは本当にヒマだが、お客さんの波があるのか、来るときは一気に来店する。そうなると、レジに追われてしまい、他のことができなくなってしまう。

「ごめんなさい。これ切ってもらってもいいですか」

 大きなロールぱん。すでに冷めているが、これはなぜかスライサーで切らない。

「はい。どのくらいに切りましょうか」

「大体2センチくらいで」

 私が奥へ行って切りに行こうとしたとき、すぐ傍にいた武藤が軍手をはめていた。厨房へ行って、私の代わりに専用の包丁でパンを切ってきてくれるらしい。

「貸して。やってくる」

 小声でそう言うので、私は武藤にロールぱんを渡す。

「お願いします」

「ん」

 何気ない日常の会話。いつもはなにも考えていなかったけれど、もうそれさえもできなくなる。それがなんとも言えない寂しいことに思えた。

(武藤君が辞めたら、話すこともできなくなる――)

 今まではバイトが一緒ということもあって、大学で会っても気楽に話すことができた。だけそ、それさえもできなくなったら、つながりがなくなってしまう。もうこのまま話すことができなくなってしまう・・・・・

「あの・・・」

 お客さんに声をかけられ、私ははっとしてレジに打ち込む。

(今はバイトに専念しよう)

 無理にでもそう思うことにした。



 昼を過ぎると、新たにパンが焼きあがる。そのため、この時間になるとまた忙しくなるのだが、それまでは一旦お客さんの入りが少なくなる。

「レーズンぱん焼けたよー」

 オーブンから鉄板を取り出す由良。中からは熱々のレーズンぱんが出てきた。私が傍でその様子を見ていると、「宮崎」と武藤に呼ばれた。

「この予約の山田さんっていう人、チェック入れてないけどもう準備できてる?」

「え?見せて」

 予約されたパンの書かれたメモを武藤から受け取ろうとしたとき、ふいに手が触れ合ってしまった。

(わっ―――)

 思わず手を引っ込めた――が、その拍子に後ろにあったレーズンぱんの乗った鉄板に手をぶつけてしまった。

「あっつ!」

 オーブンから取り出したばかりの鉄板は半端なく熱い。ビリビリと独特の痛みが手首を襲う。武藤が駆け寄る。

「あたったのか?早く冷したほうが」

「あー・・・山田さんチェック入れ忘れたみたい。もう準備できてるよ」

「んなこといいから!早く水で冷せって」

 最後の最後まで私は迷惑をかけてばかりいた。



(なにやってるんだろう・・・私――)

 男の子と手が触れ合って緊張してしまうなんてまるで小学生のようだ。ベタな展開に、私は後悔するほど情けなくなった。しかも、その拍子に鉄板に手をぶつけるなんて、かっこわるいにも程がある。水ぶくれになった手首を見て、私は深いため息をついた。(さいわ)い、傷は小さい。

(どうしてもっと上手くできないんだろう)

 最後くらい、しっかりしたかった。武藤の前でこんなに情けない姿を見せるつもりはなかったんだ。

 なにもかも遅すぎた。好きだと自覚したことも、今さらなにかをすることも・・・・・・

 ふられるのが怖くて、告白なんてできない。帰ってきたらまた話せるかもしれない。今失恋するよりも、1年後にかけたほうがよかった。



「大丈夫か?」

 背後から声が聞こえ、振り返ると武藤が立っていた。私は今考えていたことを取っ払って笑顔を作る。

「たいしたことないんだよ。ごめんねー、すぐに戻るから」

 きゅっと蛇口を閉めて、傍にあったタオルで手を拭く。無駄に笑顔で私は武藤の横を通り過ぎた。


            ◇


 4時頃、ようやくバイトを終えて着替えの部屋へ行くと、先にあがっていた武藤が部屋で雑誌を読んでいた。私が入ってくることに気がつくと、ぱたんと雑誌を閉じた。

「お疲れ」

「お疲れー。もう帰ったのかと思ってた」

「家帰ってもやることないから」

「留学の準備は?できたの?」

「明日やる」

 出発日はあさってだ。バイトがあるため見送りには行けないので、今日で会うのが最後になる。



 私はなんでもないことのようにエプロンを脱ぎ、バッグにしまう。その間、武藤は無言だった。最後になにか話したくて、私は一生懸命話題を探した。

「え・・・っと、楽しみだね、留学。でも弟さんとか寂しがるかもね」

「ないよ。あいつプロ入りしたから、自分のことで精一杯みたいだし」

「え!プロになったの?」

「言わんかったっけ?」

 言ってない。甲子園ベスト4に入り、準決勝で敗れたのは知っているが、まさかプロになったとは思わなかった。次元の違う話に、私は感心するしかなかった。

「すごいなぁ・・・すごい。みんなどんどん先に行っちゃうんだもん」

 私なんて追いつけない。こんなふうに毎日のほほんと過ごしているだけだから。

 そんな考えを振り払い、私はちゃんと武藤に向き直った。

「えっと・・・いっぱい迷惑かけちゃったけど、お店のほうは大丈夫。私も今まで以上に頑張るし、神山君も入ってくれたから、ちゃんとやっていけそう。武藤君は向こうでも・・・・・・元気で・・・ね」

 本当は向こうでも頑張ってと言おうとしたのだが、途中でやめた。自分よりも頑張っている人に頑張ってなんて言えない。



 しばらく武藤からの反応はなかったが、やがてバッグを持って私の傍を通り過ぎようとした。

(怒らせた・・・?)

 不安になって振り返ると、ちょうど武藤がドアの前で立ち止まったときだった。

「なにそれ?最後みたいな言い方」

「え・・・だって」

「おれ最後にするつもりなんてないよ・・・・・今年は無理だけど、来年のお祭りの日、予定空けといてよ」

「・・・・・・覚えててくれたんだ」

 去年、兵庫に後藤と3人で行ったとき、私が買ったチョコバナナを不注意で落としてしまったことがあった。「来年買ってやる」と交わした約束。まさか武藤が覚えているなんて思ってもみなかった。

「忘れるかよ」

 武藤が振り返った。その笑顔が、私の中で嬉しさと寂しさに変わる。言いたいことはいっぱいあるのに、それを言葉にすることができなかった。そして、たぶん武藤も。顔は笑っているが、たぶん―――・・・・・・


「じゃぁ――」

「うん。また」

 まるでまた明日会うかのようなあっさりとした別れ。部屋のドアがぱたんと閉まった。

これで第1部は終了です。

これからは第2部として始まっていきます。そんなに長くはなく、人間関係がテーマです。

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