第22回 バレンタイン
2月になっても寒さは続いた。この頃になると大学の試験も終了し、最近はバイトでしか外に出ない。それでも寒いものは寒い。吐く息も白く、耳まで痛くなるほど冷たい空気の中、温かさを求めて近所の本屋へ入った。
(あったかー)
まるで温かいオアシスのようだと冗談でなく思ったとき、平積みにされている雑誌に目がいった。それはバレンタイン特集だった。
(バレンタイン・・・)
正直、今までは女友達にしかあげたことがない。俗に言う、友チョコというものだろうか。だから、バレンタインと言われても、いまいち緊張感がわかない。むしろチョコがもらえるかもしれないと喜んでしまう。
(今年は作ってみようかな・・・バイト先のみんなに)
後藤や由良、香織、それから武藤に食べてもらいたい。普段なにもできない分ここで恩返しをしたかった。
「よし!作ってみよう!」
私は決心して雑誌を1冊手に取った。
バレンタインにあげる物はなにもチョコだとは限らない。去年、私は友達にパウンドケーキをもらったし、クッキーをもらったこともある。いろいろと考えた結果、気楽に食べられそうなチョコクッキーを作ることにした。もし甘いものが苦手でも、これなら食べられるかもしれない。
(・・・食べてくれるかな)
ふと後藤の顔が浮かんだ。きっと好きな人からもらったものが1番嬉しいだろうが、後藤は優しいからきっと食べてくれる。由良と香織は甘いお菓子が大好きだ。きっと喜んでくれるはず。
最後に考えたのは武藤だった。最も考えたくなかった人物だ。なぜかわからない。最近どうもおかしい。それに、武藤の態度も最近変だと感じるようになった。
例えばこの間の雪が降った日、私は武藤に送ってもらったときがあった。そのとき彼は私になにかを言おうとしたのだ。とても言いにくそうなことを・・・
◇
「おはようございまーす!」
元気よく挨拶をすると、厨房で誰かが話している声が聞こえた。珍しく早く武藤が来ているらしい。後藤と話しているのがわかった。
「ゆきちゃん、おはよー」
由良が挨拶を返してくれる。
「由良さん、これ!よかったら食べてください!」
私は昨日作ったチョコクッキーを差し出す。ココア生地の丸いクッキーに粉砂糖をかけてみた。我ながら自信作だ。
一拍遅れて、由良が思い出したような顔をする。
「そっか!今日バレンタインか!」
「そうですよー。クッキーは大丈夫ですよね?」
「もっちろん!おいしそー!いっただっきまーす」
ぱくっと食べると由良は笑顔になる。その反応が嬉しくて、作った甲斐を感じた。由良にあげたのは余ったクッキーだったが、個別に分けておいたものを渡す。
「ありがとう。すごくおいしいよ!ってか、もっと食べていい?食べながらやっちゃお」
由良が厨房に戻ると、入れ違いに後藤が出てきた。私はいまだに緊張してしまう。
「雪乃さん、おはようございます」
「おはようございます。あの店長、これ・・・焼いてみたんです。よかったら――」
「わぁ、クッキーですか。いただきます」
余った分のクッキーと袋に分けられたクッキーをもらってくれた。もっと自分が意識するかと思ったが、そうでもなかった。割と自分の中では整理がついているのかもしれない。
「とてもおいしいです!僕、クッキー大好きなんですよ!こんなにおいしいクッキーは初めてかもしれません」
「それはオーバーです!」
後藤に褒められると、本当に照れくさい。私は赤くなった顔をぱたぱたと手で仰いでそれをごまかす。
そんなことをしている間に、バイトの始まる時間になってしまった。武藤にクッキーを渡したかったが、バイトを終えてからでいいかとそのときは思った。
◇
今日は特に忙しかった。最近は失敗することも少なくなったが、それでも周りのみんなにサポートしてもらっていることがわかる。だから、私はせめて自分のできることを精一杯やって、少しずつみんなの役に立てたらいいと思う。
「おつかれさま!今日も忙しかったね!」
先にあがった私はクッキーをあげるために、武藤を待っていた。しかし、ただ声をかけただけなのに、武藤にはかなり驚かれてしまった。
「・・・?どうした?」
「や。もう帰ったのかと思ってた」
「待ってたんだよ。はい。クッキー作ったんだ。食べてね」
普通に言えただろうか。クッキーをあげるのは武藤で3人目だが、なんだか1番緊張した。同い年ということもあって意識してしまうのだろうか。だから、武藤が「サンキュー」と言って受け取ってくれたときはほっとした。
「ああ、そっか・・・今日バレンタインか。店長にはあげたの?」
「あげたよ。由良さんにもあげた。みんなにお世話になったし、これからもよろしくお願いしますっていうワイロ?」
少し冗談っぽく言ったのだが、武藤は笑わなかった。黙ってクッキーの入った袋を見つめている。
(なんか違う・・・いつもの武藤君じゃない・・・?)
気になる。どうしてなにも言わないんだろう。私には言いにくいことなのだろうか。
ふと、先月の雪が降った日のことを思い出した。あのときなにかを言おうとしたが、結局言わなかった。
「宮崎」
いきなり名前を呼ばれて驚いた。物思いにふけっていた私ははっとして顔を上げる。
「え、あ、なに?」
「おれバイトやめるわ」
一瞬なにを言われているのかわからなかった。だけど、言うべき言葉は出てきた。
「なんで・・・?」
「留学するんだ。1年。もうずっと前から行きたいって思ってた」
「そ、そっか・・・そうなんだ」
「うん。ごめん。こんなときに抜けちゃって」
「ううん。よかったじゃん!留学できることになって」
精一杯明るく振舞う。それ以外の反応ができなかった。いや、してはいけない気がした。
武藤は頭だけで頷いた。そして、すぐに「お疲れ」と言って私の横を通り過ぎる。ぱたんと閉じられたドアの音が静かな部屋に響いた。
また久しぶりの更新です。
実は15話くらい先まで書かれているのですが、パソコンを開かない日が
あるので更新しない日もあります・・・