第21回 由良さんの心(2)
2日ぶりの更新ですが、前回の続きです。
雪はまだ降っている。まるで由良の心の内を表すかのように静かに、ゆっくりと。
「お久しぶりです」
それが由良の第一声だった。決心がついたのか、立ち上がり藤田と目線を合わせる。
「一応こないだ本屋で会ったと思うが」
「でもこうやってちゃんと向き合って話すのは6年ぶりくらいです」
「そうかもな」
同期・・・らしいが、どうも由良のほうが下手に出ているような気がする。私は会話を聞かないようにレジに戻ったが、そこからでも2人の会話が聞こえてきた。
「最後に会ったときは、もうホテルを辞めた後だったよな。家庭に入ると思っていたが、またパン屋をやるとは思わなかった。それに、ゴッチの店で」
「たまたま入ったこの店が、たまたま後輩の店だったんです」
今さらにして思うが、後藤は由良の後輩なのだ。つまり、今まで聞いた話や由良の年齢から考えると、由良が辞めた後に後藤が入社し、2人は直接的な面識はないということになる。しかし、藤田は辞めなかったので、後藤は藤田とは知り合いだ。
「今日は話があってここに来たんだ。ゴッチの前でちょうどいい」
「話・・・?」
思わず私も聞き入ってしまう。
「一緒に店をやらないか」
どのくらい時間がたっただろうか。由良はたっぷりと時間をかけて返事をした。その間、藤田は一切喋ることはなく、後藤も由良の返事を待った。
(大丈夫。あんだけ嫌ってたんなら、受けるわけないよ)
私は由良が断ることになんの疑問も抱いていなかった。だが、
「考えさせてください」
意外にも、彼女の出した答えはそれだった。
「返事はいつでも構わない」
「いえ。今日中に出します。電話番号を聞いてもいいですか」
「直接聞きたいから、ここで待っててもいいか?閉店時間過ぎても構わないから」
その言葉の通り、どっぷり日が暮れる時間になっても厨房に用意されたイスに座って待っている。私も由良の返事が気になってしまい、帰るに帰れなくなってしまった。着替えの部屋で意味もなく寝そべっていた。
「帰んないの?」
武藤が訊ねる。私は顔も上げずに返事をする。
「もうちょっと・・・今結構雪降ってるし」
「ふーん」
それだけ呟く武藤。帰るのかと思いきや、雑誌を広げて読み始める。よく見ると英文だ。
(人ってなに考えてるかわかんないね)
その10分後、後藤が部屋に入ってきた。私たちが2人でいるところから「邪魔しましたか」などとすっとんきょうなことを言っている。
「店長!由良さんのこととめないんですか!?」
「でもこれは由良さんの問題なので」
控えめに後藤は笑う。
「店の問題でもあるじゃないですか。由良さんがいなくなったら困るし・・・・・寂しい―――」
「そうですね。確かにそのとおりです」
まるで諭すように後藤は語る。
「僕もよく知りませんが、あの2人はただの同期ではないようです。いろいろ考えるところもあるのでしょう」
「え――」
「由良さんがいなくなったら寂しいですが、それが彼女にとってきっと最善の選択です。僕はそれに従うだけです」
それだけ言うと、後藤は部屋を出て行く。
(私・・・自分のことしか考えてなかったな)
由良にとってなにが1番いいのか。それを決めるのは本人だ。私が口を出す権利はない。
このとき、私は初めて誰かがいなくなることへの恐怖を覚えるようになった。
◇
厨房で誰かがパンを焼いている。この時間にパンを焼くことはない。不思議に思って覘いてみると、由良がオーブンの前に立っていた。
「由良さん・・・?」
「あ、ゆきちゃん。まだ残ってたんだね」
「・・・パン作ってるんですか」
「そう。ちょっと明日の分の生地使わせてもらった。そろそろ焼けるぞ」
しばらくたつと音がして、由良がオーブンのふたを開ける。黒い鉄板を取り出すと、中からは熱々のクロワッサンが2つ出てきた。
同じ厨房には藤田の姿もある。私が入ってくる前は知らないが、さっきから2人が会話した様子はない。しかし、パンが焼けたことで、ようやく藤田が腰を上げた。
「クロワッサンか」
「ええ。こっちが普通のクロワッサン。こっちにさ塩を入れてみました。もしよかったら食べてみてください」
無言で藤田はクロワッサンを手に持つ。熱くないのだろうか。しばらく表面を眺めた後、サクッと音を立ててかじる。なんだか緊張した空気が広がる。そして、もう1つの塩の入ったクロワッサンも同じようにして食べる。
「・・・おいしいよ。文句のつけようがない」
それが藤田の感想だった。しかし、それに対しての由良の反応は、
「いいえ。まだまだです」
(えっ!なんで?褒められてるのに)
「藤田さんはいつも言ってましたよね。パンは心で作るんだって。そのパンには心がこもっていません」
きっぱりと彼女は言い放つ。私は自分がこの場にいていいのかわからなくなっていたが、なぜか由良に袖を引っ張られて動けなくなってしまった。
「藤田さんと一緒に仕事をしたら、きっと心をこめることができない。それじゃあダメなんです。私はちゃんと心をこめて作りたい」
「・・・おれと一緒だと心をこめることはできない・・・か?」
由良は静かに首を縦に振る。
「中途半端は嫌です。やるならとことんです」
はっきりとした明確な意思。由良のその言葉を聞いて、ふっと藤田は笑った。
「由良らしいな。おまえのそういうところ、尊敬してる。おれも初心を思い出したよ」
マフラーを巻き始める藤田を見て、もう帰るつもりなんだと私は悟る。
「そろそろ帰るよ。突然来て悪かったな。ゴッチによろしく言っていてくれ」
「うん。幸一も元気で――」
「店を持つことになったら連絡する。そのときはみんなで来てほしい」
それが最後の言葉だった。たぶん、藤田がここに来ることはもうないだろうと私には思えた。
◇
結局、帰りは8時近くになってしまった。歩いてバイトへ来た私は、自転車で来た武藤に送ってもらうことにした。今まで1度もやったことないが、自転車2人乗り。正直こんなに怖いものだと思わなかった。
「ねぇ!もっと安全運転してよ!」
「ちょっ・・・後ろで暴れるなよ!わ!どこ引っ張ってんだ!」
よろよろと蛇行運転をする自転車。雪解けの道で、傍から見ればどんなにか危なっかしかっただろう。
「・・・・・・・・・・」
しばらくして押し黙った私を不審に思ったのか、武藤は、
「ほっとしてる?」
そんなことを聞いてきた。もちろんなにについて言われているのか私はすぐに理解した。
「ちょっとね・・・やっぱりこのメンバーが好きだから、いなくなったら寂しいな。でも、今でもどっちがよかったのかわかんない。私が由良さんだったら、きっと藤田さんのとこ行っちゃうかもしんない」
「人それぞれだよな。そのときになってみないとわかんないけど」
「そうだね。あーぁ・・・大人の恋愛って難しいんだね」
私は空を仰ぐ。どんよりとした雲のせいで、星は見えない。
「ずっとこのままでいれたらなぁ」
そのとき、自転車が停まった。信号かと思いきや、どうやらただ単純に武藤がこぐことをやめたらしい。
「武藤君?」
「あのさ―――」
冷たい風が頬をくすぐった。