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第2回 バイト初日


前回の続きで、店が開店するところから始まります。



 10時の開店と同時に、店の前に並んでいたお客さんが一斉に入ってくる。店内はすぐに人でいっぱいになった。

「いらっしゃいませー」

 さっきまでのとげとげしい態度はどこへいったのか、顔にはおばさまキラーのような営業スマイルを貼り付け、武藤は笑顔でレジに立つ。店長の後藤からは『パンの値段を覚えるまでは(たける)君(武藤の名前らしい)の補佐をしてください』と言われたので、少し離れて私も隣に並んだ。

 最初のお客さんはトレーに山盛りのパンを持ってやって来た。一瞬気圧されそうになったが、武藤が手馴れた手つきでレジを打っていくので、私も負けじとパンをビニール袋に詰めていく。

 しかし、まだ慣れていないからなのか、ついモタモタしてしまう。結局レジを打っていた武藤も手伝ってくれて、しかも彼のほうが袋に詰めた数が多いという結果になった。

(トングって使いにくい!)

 私は自分の不器用さを呪った。



 レジに並ぶ行列はなかなか減っていかなかった。ル・シエールにはレジが1つしかない。だから、どうしても混んでしまうことは避けられない。いかにスピーディに効率よく行えるかが大事なのだ。

 しかし、レジだけに没頭しているわけにはいかない。厨房が忙しい場合、焼きあがったパンを店に出さなければならない。それと同時に、予約をされた人のためのパンも準備しなければならない。結構大変だ。

「あのー、予約した鈴木ですけど」

「はい。鈴木さんですね」

 背後にあるボードを見て、私はすぐに鈴木と書かれたメモを見つける。それをレジをしている武藤に渡すと、彼はしばらくメモを眺めた後、

「すいません。お電話番号よろしいですか」

 なにをしているのだろうかと思っていたら、なんとメモに書いてあった電話番号と、今目の前に立っている鈴木さんの番号が違っていることに気づいた。慌ててボードを見ると、他にも鈴木という苗字が2人もいることに私はようやく気づいた。

 ――危うく予約ミスをするところだった。



「ご・・・ごめんなさい」

 落ち着いた頃、私は武藤に謝った。彼は手を動かすのをやめずに一言、

「そう思うんなら、もっと要領よくやってね」

 ただでさえ責任を感じるときに、これは痛かった。泣きそうになるのをこらえながら、私は使用済みのトングを持って厨房まで行く。

(あーぁ・・・・・1日目からこんなんでやってけるのかなぁ)

 落ち込みながら歩いていると、ちょうど厨房からいい匂いがしてきた。どうやら、コンロに火をかけて後藤がなにかを作っているらしい。その横顔がとても優しそうで、見ていて胸がきゅーんとしめつけられた。

「あれ・・・どうかされましたか?」

 ずっと見ていたらしい。気がつくと、不思議そうな表情でこっちを見ている後藤と目が合った。

「あっいえ!えっと、なにを作ってるんですか?」

「明日の分のカスタードです」

 クリームパンやコルネ、シュークリームなどに使われるカスタードクリーム。まだ食べたことはないが、お客さんからたくさん注文があったので、おいしいのだろう。鍋の中においしそうな黄色いクリームが見えた。

「おいしそう・・・!食べてみたいです!」

「じゃあ食べてみますか?」

 そう言って後藤は冷蔵庫から小さなコルネを1つ出してきた。それを私に差し出すので、どうやら食べろと言っているらしい。

「そんな!もったいないです!」

「今日忙しかったから―――ご褒美です」

 にっこりと微笑む後藤。だが数秒遅れて、

「―――ご褒美なんて・・・恥ずかしいですね」

 自分の言った言葉に自分で恥ずかしがってまるで子供みたいだ。そんな些細なことがかわいくて、私は思わず笑ってしまった。さっきまで泣きそうだったのが嘘みたいになくなっていった。

 ――たぶんこのときだった。私が後藤を好きになったのは・・・・・・


           ◇


 午後3時過ぎ。ル・シエルでの初バイトが終了した。

「お先に失礼します」

 まだ厨房にいて仕事をしている後藤と由良(ゆら)に声をかける。2人とも声に気づくとにこやかに笑い、

「お疲れー!」

「お疲れ様です」

 同じ時間にあがった武藤はもういない。お疲れと言うべきだっただろうかと思ったが、なんとなく話したくなかったので放っておくことにした。



 それにしても忙しかった。パン屋はゆったりとした時間が流れていると思っていたのだが、こんなにハードだとは思わなかった。午後になると比較的すいてきたが、午前中はお客さんの波が激しかった。

 まだ春の寒い季節。頬にあたる風は冷たかった。だけど、妙に心地よく感じる。

(明日もきっとこのくらい忙しいんだろうな)

 午前中までの自分だったら、明日バイトを不安に思っていただろう。だけど今は違う。もったいなくて食べられなかったバッグの中のコルネを思い出した。今思えば、カスタードだから早めに食べたほうがいいのかもしれない。

 試しに1口かじってみた。クリームの甘さと、さっぱりとした味が口の中に広がっていく。

「おいしー・・・!」

 こんなにおいしいコルネを食べたことがなかった。

(うん!明日もがんばろう!)

 少しだけ元気が出てきたような気がした。

『ベーカリー ル・シエル』は英語とフランス語が合体した名前です。

あんまりない組合せだから現実に存在しないかなぁと思ってこの名前にしました。

ちなみに、ル・シエルとは空という意味です。

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