第19回 実家
正月前に私は実家に帰った。東京から三重へ新幹線を乗り継ぐ。夏休みぶりに帰った実家は懐かしくて、私の心を落ち着かせた。家もなにも変わっていない、逆に変わっていたらびっくりだが。
(そういえば、今日帰るって言わなかったよなぁ)
近いうちに帰ると電話で話したが、今日とは言わなかった。もしかしたら家に誰もいないことも覚悟していたが、意外にも玄関のドアはあっさりと開いた。
「・・・ただいまー」
おそるおそる声をかけると、家の奥からおいしそうな匂いがした。これは、私の大好きなからあげの匂いだ・・・と考えたとき、台所からひょっこり顔を出した母と目が合った。
「あ、おかえりー」
何気ないその一言が嬉しかった。私は自然と笑顔になる。
「ただいま。これからあげの匂いだね」
「そう。ゆきの大好物でしょ。今日帰ってくると思って作ったの」
「今日帰ってこなかったらどうするつもりだったの」
「帰ってくるまでひたすらからあげ」
その言葉に私は笑えてしまった。
◇
実家に帰ったらやりたいことが3つあった。1つ目は、ひたすら眠ることだ。やっぱり自分の部屋が1番落ち着く。ここで大の字になって寝たかった。
2つ目は、母と買い物へ行くこと。その日、私たちは近所の大型ショッピングセンターへ行き、ひたすら服や靴を見て回った。
「あっ、このコートかわいくない?」
私は黒いコートを手に取る。形といい、デザインといい、もろに私のタイプだ。安ければ買ってしまおうと考えたが、値札を見て迷ってしまった。2万円だ・・・予算オーバーだ。
(うっ・・・高い!)
そんな私の様子を見て、母がくすくすと笑う。
「いいよ。ちょっとならお金出そうか」
「ほんと?いいの?」
「このご恩は物で返してね」
あながち冗談じゃないかもしれないが、素直にその厚意を受け取った。
「大学はどう?ちゃんとやれてる?」
昼ごはんのために入ったイタリア料理店。母が頬杖をついて訊ねる。私は素直にこくんと頷いた。
「やれてるよ。授業にだってついていけてるし。毎日結構楽しいよ」
「楽しいんならいいんだけど」
大学は楽しい。その言葉に偽りはなかった。ただ、バイト先の店長への恋が終わった傷はまた癒えていなかった。あれから1週間がたとうとしている。
(だけど前よりは平気・・・)
それは時間が解決したのもではない。たぶんあのとき武藤が傍にいてくれたからだ。普段は毒舌家だが、あのときはとてもいい人に思えた。
結局自分の気持ちを伝えることはなかった。武藤に言ったとおり、確かに振り向いてくれないとわかっていたぶんずるずると後に引きずることはない。だから、悲しくないと言えば嘘になる。だけど、今の関係を崩すほうがもっと怖かった。
「お待たせいたしました」
愛想のあまりよくない店員がパスタを運んでくる。私は考えていたことを中断させて、湯気のたつパスタを堪能することにした。
◇
実家に帰ってやりたいことの3つ目は、地元の友達と一緒に遊びに行くことだった。早速メールを送り、友達4人で初詣に行くことになった。
「雪乃!久しぶり!」
夏休みに会ったきり顔を合わせていない友人たち。久しぶりに会うとテンションが上がった。
「寒いー!やっぱりこっちも寒いんだね」
「うわっ!都会人の発言だぁ」
首に手を回され絞められる。もちろん力は入っていないが。
寒いのも忘れ、私たちは騒ぎまくった。友達の家で気のすむまでゲームで遊び、カウントダウンが近くなったら出かける。神社で配っていた甘酒をもらい、とにかく笑い合った。
「あっ!もうすぐカウントダウンが始まるよ!」
友達の一声で。急に周囲からカウントダウンが始まる。
「どうしよー!なにかするべき!?」
「私、なにか変わったことしたい!」
「逆立ちとか!地球を持ち上げるイメージで!」
「なにそれ!意味わかんない!」
口々に言いたいことを言い合いながらも緊張感が高まっていく。
「5、4、3、2、1――」
私の脳裏に浮かんだのは、『ベーカリー ル・シエル』だった。
「ゼロ!」
周囲がざわめく。その瞬間、新しい年を迎えた。私たちは互いに見合って同時にこう言った。
「あけましておめでとう!」
初詣といったら、これを引かなきゃ始まらない。私たちは行列のできているおみくじを引いてみた。新年最初のおみくじ。今年1年の運勢を占う大事なものだから、どきどきして引いたら、結果―――凶!
「雪乃、凶引いちゃったかー」
その友人は吉を引いたらしい。
それにしても書いてある内容にもへこんだ。
―――失物出ず 病人おぼつかなし 待ち人来たらず 旅行悪し―――
(すごく悪くない!?ってか待ち人来ないんかい!)
軽くショックだった。例えば大学でかっこいい人に出会うとか、バイト先のお客さんに声をかけられるとか・・・考えていたわけではないが、せめておみくじだけでも期待を抱かせてほしかった。こんなに悪し悪しと繰り返さなくてもいいのにと思う。
最後に、初詣の最大の目的である参拝をした。なんだか順番が違うような気もしたが、そんなことは気にしない。
賽銭を投げ、静かに合掌した。
―――どうか今年もよい年でありますように―――
失恋もしたけれど、あんなに優しい人に出会えたことに感謝している。あの2人には幸せになってほしいし、私も新しい恋がしたい。バイトも頑張りたいし、大学の単位も落としたくない。いっぱいやりたいこともある。全部ひっくるめてのお願いだった。
「雪乃」
気がつくと、私以外の3人の友人はすでに合掌を終えていた。
「ごめん。もう終わったよ」
「凶だったもんね。いっぱいお願いしなきゃね」
「しといた。完璧」
私はイタズラっぽくにっと笑った。
◇
私が東京へ帰る日、家族全員が見送りに駅まで来てくれた。まるで旅立ちのときのようで、私は照れくさかった。
「じゃあね。元気にやるんだよ。ゆきのことだから心配はいらないだろうけど、頑張りすぎないように」
「大丈夫。思ってるほど頑張ってないから」
冗談に半分冗談で返したとき、電車がホームへと滑り込んでくる。私は荷物を持ち上げた。
「また春休みに帰ってくるね」
「おう。気ぃつけてな」
祖父がカタカタと独特の笑い方をする。私は頷いて電車に乗った。1年くらい前の旅立ちを思い出し、ほんの少しだけ寂しくなった。軽く手を振ると、みんなが振り返してくれる。
そして、電車は走り出した―――
おみくじは地方によって違うようです。
甘いものもあれば、容赦のないものまで・・・
私もひいてみたら小吉でしたね。