第17回 店長の秘密(1)
この話でちょっとだけ動きます。
大学生にとって冬休みは短い。それなのに、外国語の授業でどっさりと宿題が出され、毎日ぎりぎりの生活を送っている私にとってはとても痛かった。こういうときに頼りになるのが、武藤だ。
「おれを頼んなよ」
「だって武藤君って英語できるから頼りになるんだもん」
同じ英語のクラスで知ったことだが、武藤は高校生のときに短期留学をしたことがあるらしい。そのためか積極的に英語の教師と話すし、英文もまるで本場の人のように読む。英語が苦手な私にとっては信じられない光景だった。
宿題のわからないところを教えてもらうために、バイトが休みの今日、私は許可を強引にとって武藤の家に訪問した。
「お礼に今からごはんごちそうするから!」
と言ってこれまた強引に武藤を外へ連れ出した。本人は最後まで寒いから嫌だとごねていたが、どうしても『太陽のレストラン』へ連れて行きたかった。あそこは年末前にもう閉店してしまう。その前にもう1度食べに行きたかったのだ。
「すごくおいしいお店なんだよーってあれ?」
見たことがある人影を見つけて私は立ち止まる。黒いコートにマフラー。あの細身のスタイルは見たことがあった。
「――店長?」
私が先に言う前に武藤が呟いた。私たちの視線に気づいたのか、後藤が柔らかい微笑を浮かべる。私たちは小走りで駆け寄った。
「店長!」
「こんにちは、猛君、雪乃さん。お2人でお出かけですか」
「あー・・・いえ、あの、店長も一緒にどうですか?私たち今からごはん食べに行くんですよ」
すぐさま提案したが、後藤は困ったように笑った。
「せっかくですけど、遠慮しますね。これから行く所があるんです」
そういば、今後藤が立っているのは花屋の前だ。よく見ると、花屋の店員が奥でラッピングをしていることがわかった。後藤が頼んだものだろうか。
「知人の誕生日なんです。花が好きなので・・・」
私の視線に気づいたのか、後藤が話す。しかし、その言葉で私の心臓が高鳴る。
(花が好きってことは・・・きっと女の人の誕生日――だよね)
考えなかったわけじゃない。考えないようにはしていたが・・・・・
やがて店員が奥から出てきて、後藤に小さな花束を渡す。後藤が丁寧にお礼を言って頭を下げた。そして、くるりと私たちのほうを見た。
「僕はこれで・・・またバイトのときに会いましょう」
私は黙って後藤の去った方向を見ていた。車で来たわけではないらしく、徒歩でどこかへ行くらしい。彼女のところだろか・・・・・
「ごはんは?」
武藤の声にはっと気づいて私は顔を上げる。
「早くしないと混むよ?」
「あ、うん。行こっか」
後で思えば気を遣われたような気もしたが、このときの私は気づかなかった。
しかし、立ち去ろうとする私たちを花屋の店員が呼び止めた。
「すみません!さっきのお客様のお知り合いの方ですよね?」
「・・・はい」
「この携帯をお忘れになったみたいなんです――」
それは、後藤の携帯だ。会計を済ませたときにでも忘れたのかもしれない。携帯を受け取ると、店員は申し訳なさそうな顔で、
「渡してもらってもいいですか?」
「あ、はい!」
後藤の黒い携帯を握り締め、私は彼の去っていった方向を見つめた。
「じゃぁ、急いで追いかけないと見失っちゃうね!」
私が駆け出そうとすると、なぜかがしっと腕を掴まれた。振り返ると武藤が私の顔を真正面から見つめている。その顔には、どこか焦りのような表情がうかがえる。
「・・・今度でもいいんじゃね?もうどこに行ったのかわかんないし」
「や、でも、携帯がないと困るだろうし」
「ないってわかったら自分でこの携帯にかけてくるだろ」
私の腕を放し、武藤は携帯を取ろうとした。しかし、紙一重のところで私は携帯を持っていた手を振り上げてそれを阻止した。
「ご、ごめん・・・ごはん今度でもいい?」
「はっ―――」
「ちょっと行ってくるね!」
武藤がなにか言っていたような気もしたが、私は聞いていなかった。振り返ることなく、冷たくて寒い道を駆け出していった。
(花屋から歩いて行ける範囲だよね・・・・どこ行ったんだろう)
白い息を吐きながら、私は周囲を見渡す。ひょっとしたらバスに乗ったかもしれないと考えたが、バス停は見つからない。代わりにそこに堂々と建っていたのは―――
「病院・・・・・・」
都内でも有数の大学病院だということは私でもわかる。ただ、後藤がここに通っている素振りは見たことがない。
一瞬迷ったが、私は足を踏み入れることにした。
中に入ってみると、温かい空気が私の冷えた体を温めた。そんな些細なことにほっとしながら周囲を見渡す。一通り見ただけでは後藤の姿はない。
(ほんとにここなのかな。思わず入っちゃったけど・・・)
知らない場所はなんとなく居心地が悪い。入院患者はもちろん、見舞いに来た人や外来患者の中を私は歩く。
玄関を入るとすぐに案内板があるので、なにがあるのか確かめる。どうやら1階に売店があるようなのでそこへ行ってみることにした。
30分後がたち、どうしても後藤を見つけることができなくて、とうとう私はあきらめた。
(武藤君の言うとおり、別に今度のバイトのときでもよかったかもしれない。たぶんなくしたことに気づいたら店長もこの携帯にかけてくるだろうし)
だけど、本当は違う。確かめたかっただけだ。さっきから嫌な予感が脳裏をかすめる。
(だめだ・・・考えるな!)
頭をぶんぶんと振りはらい、正面玄関へと向かう―――そのときだった。
「あれっ・・・雪乃さん?」
それは心底驚いたような声。この声を聞くと、いつも私の心は弾んだ。だけど、なんでだろう・・・・今はちっとも心が弾まない。
振り返るとそこにいたのは、黒いコート姿の後藤と、それから車椅子に乗った綺麗な女性だった―――
続きます。