第13回 買い物
1人暮らしというものは、実は結構大変だ。毎日の食事や洗濯も自分でやらなければならないし、気を抜くと一気に部屋は汚くなる。きっちりとして綺麗好きな性格ではないが、後々困るのでなるべくやるべきことをやらなければならない。
今日も私は近所のスーパーへ買い物に出かける。今日は火曜日。夕方特売の日だから要チェック―――って考えている時点ですでに主婦かもしれない。
(今日は――うん。冷凍食品が半額だ)
節約のために買うものだけを考える。カゴを片手にあまり周囲を見ずに歩くと、ふと見知った服装の背中を見つけた。
(あれって・・・・)
その人物がくるっと振り返ったとき、私の心臓が一気に跳ね上がった。
「店長!」
「あれ・・・雪乃さんじゃないですか。お買い物ですか」
「はい。店長も?」
「はい。広告が入ってて・・・今日は安いですね」
まさかこんな所で会うとは思わなかった。会うとわかっていたならもっといい格好をしたのに、今日は油断して部屋着で来てしまった。しまったと思ったが時すでに遅し。せめてジャージではなかっただけましだと思うことにした。
「じゃあ僕はこれで・・・」
「えっ!」
これであっさりバイバイは寂しい。せっかくここで会ったのだから、
「一緒に買い物しませんか?」
困った顔をされるかと思ったが、意外にも後藤はすんなりと承諾してくれた。
一緒に買い物をするということは、一緒にバイトをすることとは違う。買い物カゴを片手に食材を歩くことは、まるで――
「新鮮ですね」
「え、あ、野菜がですか?」
「いえ。こうして一緒に買い物をしてることがです」
後藤も同じように考えていたらしい。っていうか、私はまるで新婚さんのようだと考えていたのだが、恥ずかしくて言えるはずもない。
「でも店長も買い物するんですね」
「お店の定休日の火曜日と水曜日にはよく行きます。1人暮らしですから、料理もするんですよ」
「え?1人暮らしだったんですか?」
「言いませんでした?」
初耳だ。そういえば、後藤についてなにも知らない。どこに住んでいるかということも、どの学校を卒業したとかいうことも。以前ごはんを食べに行ったときに少し聞いたことがあるだけだ。ひょっとしたら彼女の1人くらいいるのかもしれない・・・・・
「店長は休みの日はどうやって過ごしてるんですか?」
試しに訊いてみると、後藤は少しだけ間をあけた。
「―――そうですね・・・・・いろいろですよ。今日のように買い物をするときもあれば、なにもせずに家でごろごろするときもあります。そういえば、9月のはじめに栗を拾いに山へ行ったときもありました」
「へー・・・栗拾いですかー」
「先日、季節限定で『マロンパイ』っていうパンを出したじゃないですか。それに使う栗を拾いに行ったんです」
「え!?マロンパイの栗って店長が毎回拾ってるものなんですか!?」
衝撃の事実に驚くが、彼は苦笑して首を振る。
「いいえ。そうしようかなと思ったんですが、栗は痛いです。やめました」
そういう問題じゃないだろう。確かに栗のとげは痛いが・・・・・どうも後藤は考えていることが違う。そういうところがかわいいと感じてしまうのだが。
後藤の買い物は1週間分一気に買い込むらしい。おかげで一緒にいる時間が長くなって私は嬉しかった。買い物カゴに入れた具財から、後藤がどこかでカレーライスを作るつもりだということがわかった。
私は広告に載っていたものしか買うつもりがなかったが、見ているうちにいろいろと安いものを発見した。カゴに入れるものも自然と増えていく。
「僕はもう済みましたが、雪乃さんはどうですか」
一瞬答えに迷ったが、素直に済んだと答えた。もうすぐお別れになってしまう。
ふと、後藤を見上げると、あるものが目に映った。それは後藤の着ているシャツの胸ポケット。ボタンが取れかかっているのだ。
「店長・・・ここ」
「え――?あ、ボタンが取れかかってますね・・・」
少し恥ずかしそうにボタンをいじる後藤。
「――ボタンをつけてくれる人はいないんですか?」
それはずっと聞いてみたかったこと。後藤に彼女がいるかどうか・・・・・・
「残念ながら」
困ったように言う後藤を見て、私は目の前がぱぁっと明るくなったのを感じた。これはチャンスかもしれない。
「わ、私でよかったら、ボタンつけますよ!」
「でも悪いですよ。ボタンなら僕もつけることができますし」
やんわりと断られた。たぶん後藤はその意味をわかっていないだろうが、少し私はショックを受けた。
「じゃあ帰りましょうか」
「あ、はい・・・」
私たちはスーパーを出た。
◇
帰宅して、私は今日買ったばかりの食材で料理を作っていく。メニューは簡単なカレーライス。後藤と一緒のルーを買った。
じゃがいもを切りながらふと思う。
(あの店長を振り向かせるのってとてもすごいことなんじゃ・・・)
誰に対しても優しくて、丁寧な言葉遣い。分け隔てがなさすぎる。彼女はいないらしいが、特別に想う人もいないのかもしれない。
(待てよ。もしかしたら由良さんが好きとかってこともありえるよな)
由良には子供がいるが、もう夫とは離婚している。話によると、向こうにはすでに新しい奥さんもいるようだ。由良と一緒になったって全然問題ない。もしそうなら私は潔く身を引こうと考えていた。まさかそれはないだろうと思うからなのだが。
―――なにかが違う。
以前から感じていたなにか。私はそれに気づくことができなかった。ただ、知らないうちに私の中でなにかが変わっていくことだけははっきりと感じていた。しかし、それを無意識のうちに私が考えないようにしていることには気づけなかった。
たぶんあのときから――
もう1人のパートさんの香織さんがあまり出ていないことに気づきました。
うーん・・・あんまり重要じゃないから出るかどうか・・・