【五章】受容
「ニケ、ミール!あっち行こう」
俺が呼びかけると木々の間をぬって二羽が舞い降りる。
ニケとミールは、気が付いたら俺の傍に居る。野生の動物、大切なペットと言うより友人に近しい存在にある種の安心感を抱いて二羽の頬を撫ぜた。
「カァーッ」
ニケがダルそうに嘴を木々へ向ける。そこに何かがあるのだと言わんばかりに指し示した。
つられて視線を注ぐと・・・・・・ーー樹幹に隠れきれない程の恰幅の良い男が此方の様子を窺っていた。
「あ゛わ゛、あわわわわわわわわわ」
驚きのあまり、俺は尻もちを着いた。歯の根の合わない口からは、情けない悲鳴とも、恐怖ともいえる声が漏れ出る。
ぶっちゃけ、恐怖だ。
男は木に密着し、荒い息を抑えもせずに「ふすー、ふすー」という鼻息が数mの距離さえも超えて俺の耳に届いた。俺のかっぴらいた両の眼にタンクトップから抑えきれぬ程の贅肉を纏った男の姿が焼き付く。
衝撃的だった。
「あわ・・・、あわわわ・・・」
俺、知ってる・・・!!
これ、知ってるぅ・・・・・・っっ!
男が樹幹からその身を離し、のっそりとその巨躯を揺らしながら俺を目掛けて歩き出す。
勘違いであればどれだけましだったか。男の視線は完全に俺をロックしていた。
試しに尻をつかって後ずさるとその距離を埋めるように相手も距離を詰める。
完全にロックオン、おぅカムオン!
ニケとミールに助けを求めるが、知らん顔で土から出てきたミミズをつついている。
ええい、この役立たず共めぇ!!
お前らはペット以下だ!!ぺっ!!!
いくら視界に入る範囲にウル爺が居ようと、可愛らしい子供がこの異様な状況に対処出来るはずがない。
「へ・・・、へん・・・・・・っっ、変態だーーーーーっっ!!!!!」
俺は叫んだ。
力の限り叫んだ。
今迄こんなに叫んだことは無いだろうという程に叫んだ。
そして、俺のSOSは確かに届いた。
「変態!?大丈夫か、キミィ!?」
俺を庇うように男が背を向け、周囲を警戒する。
機敏な動きに俺は言葉をなくしてただ逞しい背中に釘付けとなった。
というか、デカ過ぎて本当に視界一面が汗ばんだ背中だった。何が悲しくておっさんの背中をデフォルト画面にしたいというのだろうか・・・。
暫く視線を走らせ、問題無いと判じたのか男が振り返り、やたらと湿った手で俺の肩を撫でた。
鳥肌ものだ。
「もう大丈夫、不審人物はいないようだ。安心しなさい」
ニタリと微笑まれるが、俺を見下ろす形となれば、顔に影が差して不気味さがいっそう増す。
「ーー〜〜いやっ、あんただよ!!!」
思わず突っ込むと相手は心外だと言わんばかりに肩を竦める。自分以外に誰か居るのかと態とらしく見回す動作も含めて腹立たしさが増す。キョトンとした顔には、「何を戯れを・・・」と書いているようだ。
なんにせよ、腹の立つ顔だ。
腹の立つ、顔なんだ。
「突然馬鹿なことを・・・。この私が変態なわけ、ないだろう?」
腕を組み、無実を言い張る男の鼻息で俺の前髪が揺れた。
いや鼻息!!凄いなこの人、全身から不審者臭を漂わせているのに、この堂々たるや・・・・・・ーー本物の不審者だ。
俺が乱れた髪を直していると絶叫を聞いて「何だ何だ」と面白半分、野次馬根性を駆り立てて訓練していた大人達が揃う。
心配してくれる人が居無さすぎない?
「アルレルト、どうしたんだ!大丈夫かい?」
ラヴィーナが少し遅れて杖をつきつつ現れた。ソレイユが俺への道上に障害が無いよう、器用に野次馬達を捌いていく。
「ラヴィーナさん・・・っ!!不審者が居るよぅ!!!」
ラヴィーナの身体に縋り付き、男を指さした。しかし、ソレイユが俺の頭をはたいて無理やり縋り付く先を彼の足にさせられる。
わあ、とても硬い御御足ですこと。うふふ、あてくしが抱きつくには柔らかさが足りませんことよ。あと汗臭くて不潔ですことよ・・・ーーーじゃくて!
「なんで!?」
行動の意味を問うと、苦い顔をしたソレイユがそっぽを向く。
「何でもだ、なんでも!」
じっと無言で見続ければ、上から頭を押さえつけられる。
エネミーがこんなにも身近にいたとは。首がもげるわ、この馬鹿ちん!
「不審者?・・・不審者・・・・・・って」
俺達の虚しいやり取りを軽く無視してラヴィーナはさっと視線を鋭くし、眼前の男を捉えて俺を庇うように前に出た。
キャッ///!ヤダも〜☆ラヴィーナ、カッコよすぎ!!好き!!!
俺が無意味に胸をときめかせたのもつかの間、彼女から困惑した声がもれる。
ラヴィーナの異変を察して様子をうかがおうとした瞬間ーー・・・
「「「パーヴィッド隊長!!何してんスか!!??」」」
複数の大音声に耳を押えるはめになった。
野次馬達に紛れていた幾人かが群れから抜け出て、俺が不審者と称した男性ーーパーヴィッドに駆け寄った。
「む、バレてしまったか・・・、そうだ!!私だ!!!」
パーヴィッドは気まずそうに視線をさ迷わせた後、潔く胸を張り言い放った。
「隊長ぉぉぉおぉぉぉおおお!!」
「待ってました、隊長!!」
「隊長、見てくださいよ!!この鍛え抜かれた俺の筋肉美!!!」
ある隊員は泣き崩れ、またある隊員はパーヴィッドの手を取り、見間違いでなければ、一人は己の筋肉を褒めて貰おうと色々なポージングをし始める。
「え、何これ・・・怖。ラヴィーナ、これどゆこと??怖い・・・」
あまりの恐怖に本気でソレイユのひっつき虫となった俺に、思案しながら引きつった笑みを浮かべてラヴィーナが言葉を紡ぐ。
「う、うーん・・・。彼は・・・、パーヴィッドは憲兵隊の隊長なんだ。だから、君が危惧するような不審者という存在、ではないと・・・、思うんだが・・・」
言葉尻を濁し、助けを求めるようにソレイユに視線を送る。しかし、ソレイユも彼女の言いたいことを理解した上で敢えて視線を外した。そこに彼らの無言の攻防を見た。
ーー成程、理解した。
「そっか憲兵隊って・・・・・・変態の集まりだったんだ」
「違うと否定したいんだが・・・、この状況では難しいな」
俺の解釈にラヴィーナは片手で顔を覆い、諦めて溜め息を零した。
「にしても、何で隠れて俺を見てたんだ??」
部下に囲まれていたパーヴィッドが耳ざとく俺に顔を向ける。
「なに、以前の騒動に私も参加していたからな。君が元気そうにしていて良かったと思っていただけだ!!子供の成長は、早いな!!!」
全力の笑顔を浮かべるパーヴィッドに俺は身構えて思わず後ろに後ずさった。「ニカッ」という擬音語が聞こえるくらいの良い笑顔である。
要するに顔の圧が凄い。
「・・・・・・ど、どうも、その節はありがとうございました」
笑顔に圧倒された俺の肩にラヴィーナの手が置かれる。
「分かったかい?根は良い人なんだ。部下には寒かろうと夜なべをして手袋を編み、また腹が減ったらば手料理を振舞ったりしているようだ。隊長のスープは絶品だった」
「食べてるじゃん!?」
「母性溢れる方なんだ」
「母さんじゃん!!」
「ちゃんと父性もある」
「父さんじゃ・・・・・・って、いやもう良いよ。分かったから、ホント良い人なのは分かったから」
終いには懐から手袋を取り出してきそうなラヴィーナの手を肩から外して、若干の心の距離を置いた。
懐柔されとるやないか!!
「それにしても、どうしてまた此処までやって来たんだ?部下に混じって鍛練っていうなら大分遅れた登場だと思うが?」
ラヴィーナと茶番劇を繰り広げている横でソレイユが胡乱な顔でパーヴィッドを見つめる。露骨な様にパーヴィッドの部下達が色めき立ち、彼を擁護せんとソレイユに対立する。
「テメェ、こらソレイユ!!誰に対してモノを言ってんだ?あぁ!!??」
何時手が出るかという、一触即発の状況に両者の間で皆の視線が行き来する。誰か止める者はいないのかと見回すが、関係の無い冒険者や国境防衛軍人らが入り交じり「やれ!やっちまえ!!」と面白可笑しく囃し立て収拾がつかない有様だ。
この場にいる面子でまともな大人はいないらしい。
血気盛んなろくでなし共め・・・っ!
だが、緊張状態は呆気なく終わりを迎えた。
「ふははっ!!いい、いい!ソレイユと言ったか?その遅れた登場だな!!!己を鍛えんがため、やって来た!!!!」
パーヴィッドが部下達を抑え、表情を和ませた。ストレートな返答に流石のソレイユも面食らい、「あぁ・・・」と短い相槌を打つ。
「恥ずかしい話しだ!!先の魔物狩りで私は使い物にならなくなったのだ!」
言って、彼は恥じたように俯く。しかし、直ぐに顔を上げて森の奥を睥睨した。会敵したと思わせる程の鋭い目つき、一変した雰囲気に誰かの生唾を飲む音が聞こえた。
彼は語ることを止めない。
恥じたとしてもその声は決して怯まず、徐々に大きくなっていく。
「私は恐怖したのだよ、あの魔物の存在に!夢に出て、魘され、外に出るのも恐ろしかった!!昼夜問わず私の心を蝕んだ!!!強くなりたいと、更に鍛練をつまねばと、漸く時間をかけこの腑甲斐無い身体で立ち上がれたのだ!!!だから遅れた!!」
言い放ち、パーヴィッドが部下の肩を軽い調子で叩く。
「ーーーすまんな、お前達・・・気苦労をかけた」
その言葉に彼らの顔から一斉に涙が零れ落ちる。
男泣きとはこういうことを言うのだろう。涙と鼻水で汚れたオッサン集団は、傍目からしても気が触れているようにしか映らなかった。
本当に気が触れているんだろう・・・、関わり合いになりたくない。
「そんな・・・、苦労なんて、いいんスよ・・・・・・」
「俺達、隊長が来るって信じてましたからっっ」
「これから一緒に鍛えていきましょう!」
「ーー~~お前達・・・っっ!!」
ヒシィッと抱き合う彼らに、皆良いものを見させてもらったと拍手を送り出す。ある者は感動で涙ぐみ、ある者は「うんうん」と深く頷き感動を噛み締め、ラヴィーナでさえ鼻を啜っている。
「ーー何この茶番・・・」
俺の呟きは、盛大な拍手に踏み潰された。
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晴れ渡る空を背後に鍬を振るう。土を掘り起こし、慣らし、空気をはらんだそれは柔らかく鍬から元いた場所へと舞い落ちる。
一平米の広さと言えど、他の畑仕事を終えた後の身体には堪える。一頻り作業を終えて額から流れ落ちる汗を拭った。
太陽はとうに真上を過ぎていた。いくら過ごしやすい気候と言えど、光に照らされジリジリと焼かれれば暑いものは暑い。
農夫は休憩がてら踏み鳴らした道ーーーと言うのも馬鹿らしい荒れた地面に顔を出している石に腰掛けた。家族から持たされた昼餉を無造作に広げて口にほうばる。
用意された食事は作業の合間、気楽に食べられるようにとパンに切れ込みを入れ新鮮な野菜がふんだんに挟まっているーー言うなれば質素なサンドだ。本来ならスープに浸しながらでなければ食べられぬパンも野菜の水気が移ってそれなりに噛みやすい。
だが、ヤギのチーズにベーコンが挟まれた一方は硬いままで、農夫は何度か齧り付き、結局は噛み難いそれを膝に置いた。
畑にしては小さな、先程まで耕していた農地を見るとはなしに見て深く息を吐いた。
収穫祭までまだ半年もある。これから畝作りから種を撒き、雑草や害虫の駆除にーー・・・、とやることは山積している。出来ることなら猫の手も借りたい状況なのだが、頼ることはできまい。
女神に捧げる神饌は、心を込めたものでなければ届かぬ。
そう言って曽祖父の、そのまた祖父の代から神饌のみは、その代の家長が一人で手間暇かけて育ててきた。
心を込めるーー・・・なんでも良い。日頃からの感謝や家内安全、豊作への願い、家長がその時その時に必要な想いを込めるのだ。
守る必要も無い遥昔からの風習だ。
実際、数キロ離れた隣家は一家総出で収穫祭に向けて取り組んでいる。効率を考えるなら隣家が賢く現実的だ。
農夫がこうして汗をかきかき家長としての務めを果たしているのも、自分の代で止める意気地が無いだけに過ぎない。
しかしーーー・・・・・・
美味いものが出来たならいい。それで子らが喜ぶなら悪くない。
神饌は供えられた後に女神からの恵として人々の口に入る。隣人にも、それこそ愛しい我が子にも。
だからこそ、農夫はこうして一人、鍬をふるっているのだ。健やかなれ、美味しくなれ、愛しい人々の笑顔が見たいと深い慈しみを込めて。
祖先もまた農夫と同じ気持ちだったのかもしれない。その証拠に風習は廃れることなく、今、農夫は石に腰掛けている。
「ーーなら、仕方の無いことだなぁ・・・」
誰に聞かせるでもない言葉ののちに農夫の口元に皺が刻まれる。
ざっと乾いた風に草木が揺れるのを眺め、囀りに天空を駆け巡る鳥を視線で追う。
青、水よりも更に澄んだ空の海に目を細め、眩しさに目を閉じーーー・・・・・・
世界が闇に包まれた。
「え・・・、は・・・・・・?」
白昼夢でも視ているのか、農夫が瞬きを繰り返し何度か目を擦る。しかし、視界は暗いまま、突然夜が訪れたようだ。
立ち上がり、鍬を持ち上げ周囲を警戒する。
さて、これは何か天の怒りか女神の悪戯か、はたまた悪魔の災いか。
農夫はごくりと唾を飲み込む。
瞬間、夜空から白い線が幾線も差した。耳を劈く霹靂が大地を振動させる。雷だと気付いた時には、焔が空を翔けた。
「グギョオォォォォォォオオオッッ!!」
焔に照らされた大空にサンダーバードが浮遊する。ゆうに数メートルはあろう巨躯、一見して鷲に酷似している。神々しさを感じさせる金翼が月光の如く煌めき、空に軌跡を描いていく。サンダーバードの鳴き声に呼応して稲妻が走った。
「あ・・・あぁぁぁぁ・・・・・・」
神の遣いとも、神の怒りとも呼ばれる魔物の登場に農夫は鍬を放り投げその場にへたりこむ。
「神様、お許しください・・・っ、お許しください!!」
地面に額を擦り付け神への許しを乞う。神饌の準備を蔑ろにするような思考が神を激怒させ、魔物を呼び起こしたのだ。心胆寒からしめる事象に立ち向かう術なぞ一介の農夫にあろうはずが無い。
無力な彼を嘲笑うように、否、嘲りの言葉が頭上から降った。
『ただの鳥風情が、神の遣いだと?笑わせる』
サンダーバードの鳴き声よりもはっきりと天から低い声が響く。
農夫は咄嗟に顔を上げたことを後悔した。血の気が引く感覚に全身が支配される。ろくに呼吸も儘ならぬというのに、その目から視線を逸らせなかった。
愚かな思い違いをしていた。
太陽を遮る形でこの世に闇を落とした怪物の赤い目が天空から農夫を見下ろす。
「ぁ・・・・・・」
既に意思と本能が乖離して、がたがたと慄える身体が農夫の「死」を宣告する。
雷光が走り、怪物の全貌が顕になる。
竜ーー・・・それもサンダーバードよりも長大な体躯の黒竜が空を支配していた。
『雷を落とすしか能の無い鵯ではないか』
黒竜は喉奥で笑いを滲ませる。
愚弄されたサンダーバードが怒りの声を上げ、放たれた雷が黒竜を襲う。
だが、黒竜の身体には焼跡一つ付かなかった。表面を覆う鱗が雷への盾になったか、厚い鱗を前脚で撫で摩り獰猛に笑った。
『ーーーそれに、雷とはこう落とすものよ!!』
光の柱がサンダーバードの全身を焼いた。
あまりの眩しさに農夫は目を覆う。黒竜の攻撃に天地が揺れ、亀裂が走った。落雷の風圧に身体が浮く。農夫はすんでのところで腰掛けていた石にしがみついてその場をやり過ごした。
『まあしかし、鵯とて、腹の足しにはなろうよなぁ』
肉を裂き、骨を砕く音が砂煙で視界が曇った周囲から響く。
「はぁ・・・はあ、はぁ・・・・・・」
肩で息をする農夫の脳裏に、殺したサンダーバードを黒竜が貪る姿が浮かぶ。
殺される。
圧倒的存在を前にした時、己の命のちっぽけさに気づく。
開口する度に洩れる炎に焼かれるか、鋭利な爪で切り裂かれるか、今にも砂煙の向こうから黒竜がその牙を向けてくる妄想に支配された。
神の遣いとして恐れられる魔物さえ、まるで赤子の手をひねるように一瞬で殺された。
であれば、黒竜にとって自身の命は虫けらも同然だ。相手に殺す気がなくとも、死ぬ。火を見るより明らかな事実は、ストンと農夫の心に落ちた。
農民は土に潜るミミズを避けて鍬など振らない。それと一緒だ。鍬がミミズの身体を突き刺し、殺したとしても、「あぁ死んだか」としか思わない。最悪、感慨すらなく畑仕事を続けるだろう。
それだけ、生物としての格が違うのだ。
ごめんな、ごめんなぁ・・・キンド、アンバー、ジーナ・・・。父ちゃん、ここまでみたいだ。
農夫は静かに目を閉じ、己の死を受けいれた。




