【四章】居場所
冷風がここそこに吹き荒れ、男はあまりの寒さに首を竦めた。寒さに悴む手は、骨と皮だけのみすぼらしい形をしている。
土塊が剥き出しとなった建物と表現するにもはばかられるボロ小屋で藁に包まり、両手に息を吹きかける。何度吹きかけても、まやかしの熱は男の指先から滑り落ち霧散していく。無駄なことと知りながら、男は自慰的な行為を繰り返した。ボロ小屋でも無いよりマシとは言え、外と差異のない室温は男の痩せ衰えた身体に十分こたえるものだ。
藁の隙間から視線を巡らせる。骸骨に見紛うだろう身体に反し、目だけは爛々と光り手負いの獣のように鋭い。
男の胃がしくしくと痛み、空腹が過ぎると誤魔化す為に何度も唾を飲み込んだ。時に唾液の出が悪くなれば藁を口に含み、噛み続けることで意識を保つ。
一度眠りにつけば、それが永遠になるだろうことを男は長年の経験で確信していた。
死にたいわけではない。
ただ、生きることも簡単ではない。
走馬灯が駆け巡り、顔に弱々しい笑みが刻まれる。
何も無い人生だった。
腹が減れば残飯を漁り、働こうとしても浮浪者に与える仕事は無いと門前払いされる。
自分の居場所が欲しいと願えば願う程、周囲は男を嫌悪し距離を置いた。物心ついた頃からそうだったのだから、こればかりはそういう運命だったと受け入れるしかないのだろうと嘆息する。
日課の残飯漁りをしていると近所の人間に殴打され、這う這うの体で逃げだし、このボロ小屋に辿り着いた。
貧民街の者ですら近寄らない森のすぐ側、過去には姥捨として利用していたらしい小屋には人っ子一人いない。
代わりに隅の方では、人間だったモノが寝そべっているだけだ。肉も腐り果て、半壊した天井の隙間から骨だけが月光の波に輝き呼応する。人の骸として完成された存在に、男は畏怖と恭敬に近い念を抱いた。
彼、或いは彼女と己は同一なのだ。互いに世の中から切捨てられた不要物に違いない。
男は既に棺桶へと半分以上その身を沈めてしまっている。あともう暫くしたら、夢幻の世界へと魂が解き放たれるのだろう。
ーー骸と同様に・・・
男は歯を食いしばった。
一度でも、と思う。
誰かに必要とされる人間でありたかった。
殴打され、腫れと疼痛を訴える頬に雫が落ちる。濡れた頬を掌で拭い、あぁ、勿体ないと塩辛いそれを舐める。一連の行動に一層惨めさが増し、男は無言で藁に縋った。
「・・・・・・・・・?」
暫くして、埋めていた藁から顔を上げる。不思議そうに周囲へと耳を澄ます。小屋の外からサクサクと草を踏む軽い音が聞こえた。聞き間違いでなければ、人の話し声も一緒だ。
昼間、男を殴った人間がここまで追いかけてきたのだろうか。緊張で身を固め、男は出来るだけ息を潜めた。
「さて、ここまで来たら問題ないでしょう。ほら、あすこの獣に・・・・・・」
低くも高くもあり、声の主が男か女か判別出来ない。
話しぶりと気配からして数人が小屋を隔てたすぐ側にいる。
手近かな場所に獣でも居たのだろう、暫くしてから低い唸り声が辺りに響く。
揶揄するように口笛を吹く音、息を呑む者、反応はそれぞれに獣が地を駆けた。
「ギャンッッ!!」
獣の悲鳴に男は身を震わせた。
外で一体何が起こっているのか、悲鳴に人々の熱が高まったのだろう空気が伝わってきた。喧騒にも似た活気に、男は藁から顔を上げる。
月が顔を覗かせているとは言え、夜半に行動する集団の不気味さが心に根を張る。
男を追ってきた訳でも無いなら、酒の勢いにのって力試しで獣を倒しに来た酔っ払いの集団だろうか。それなら、尚のこと見つかってしまえば、自分がどうなることかと藁を掴む。
人間は何時だって非情になれる生物だ。排他的で、微笑みを浮かべたその裏で侮蔑する。何度となく味わった苦い経験は、どれだけ年月が過ぎようとも色褪せることはない。
咥内に鉄の味が広がる。無意識に食いしばっていたらしく、男は誤魔化すように頬を撫で、情けなさに緩く息を吐いた。
「おや?獣だけではなく骸骨も居たみたいですね」
「ーーー・・・ッッ!!」
月光のカーテンを遮り、男が室内へと押し入る。床板は侵入者の歩と共に、ギシギシと醜く泣き喚いた。
月明かりを背に侵入者のローブが男の足元で揺れる。影となって顔の見えぬ相手は、ふと床に横たわる骸骨へと足を向けた。
「これは、君の仲間ですか?」
穏やかな物腰で問われ、男は頭の中が真白になった。
「あ・・・、え・・・・・・」
ろくに言葉も紡げず、赤子のように声を漏らす。
情なさに男はこれ以上の恥は晒せないと口を噤んだ。
男の意を察して相手は小さく笑むと傍らに膝を着いた。夜目にも、ほつれも汚れもないローブの裾が波紋の如く床へと広がる様に目を奪われた。
まるで劇中の演者を相手にしているようだ。向けられたことの無い柔らかな態度、丁寧な言葉遣い全てに困惑を隠せず、視線をさ迷わせる。
要するに現実味が無いのだ。男には、他者から感情を持ち合わせた同じ人間として扱われたことがなかった。
だからこそ、適した“会話”を知らぬ無知故、返答に窮した。
「・・・・・・話せないのでしょうか?」
「念の為の確認」と前置いた問い掛けに、男は何度も首を横に振る。振りすぎて首を痛め、思わず顔をしかめると相手は笑いを零した。
男は「良かった」と心から思った。煤汚れ、垢まみれの肌が赤く染まる。灯りが月光のみとなれば、夜目がきいたとしても男の羞恥に染まる様子など分かるものか、と。
「何をしてるの?こんなボロ小屋で」
もう一人の珍客が小屋の入口から中をぐるりと見渡し、目の前の人間から最後に男へと視線を留めた。
声からして外で話していた人間だ。この者もフードを深くかぶり顔が見えない。ゆったりとした衣服ながらに胸元が膨らんでいるのを見咎める。
「人の気配がしたのでまさかと思いましたが、そのまさかでした。恐らく、色々と聞こえたでしょうし、見られたでしょうね」
「ーーー・・・・・・っ!」
やはり、目の前の人物は良からぬ事を企んでいるのだ。友好的な雰囲気に誤魔化されていたが、こそこそと夜半の森近く集う人間を信用してはいけない。
不穏な空気に男は身体を縮こまらせたが、何時まで経っても沙汰は下されない。
不意に男の頬に人の手が添えられる。男は驚き、後ずさろうとして藁に身体を取られる。バランスを崩して倒れかけた所を目の前の人間が支えた。
「おっと、大丈夫ですか?すみません、驚かせてしまいましたね」
「あ、あぁ・・・」
口を開いた瞬間に先程まで含んでいた藁がパラパラと零れ落ちた。
唾液でベタベタになったそれは、男を支えていた相手のローブに付着した。
今度こそ、口封じに殺されると身構えてーー・・・・・・
男は目を瞬かせた。
堪えきれないとばかりにローブの人間とその背後で様子を窺っていた女性が笑いだしたのだ。
汚い小屋に不釣り合いな明るい声が男をより惨めにさせた。しかし、今までに向けられてきた"嘲笑"とは異なり、裏の無い純粋な"笑い" であると感じ取った男は面食らう。
「そりゃそうよねぇ、その身形じゃ腹もすかしてたっておかしくないわ」
フードの奥では笑みを浮かべているのだろう、女性は言うなり近寄ってきて懐から革袋を取り出して男に寄越した。
「藁を口に入れるくらいなら、それでも飲みなさいな」
なめされた皮袋を受け取るとちゃぷんと水の音がした。躊躇したのは一瞬で、男は袋から栓を外して口に含んだ。
咥内に広がる程よく温められたそれは、男が今まで口にした何よりも甘かった。
気づけば、中身は全て男の胃袋に収められていた。惜しむように舌を袋の中まで伸ばし、甘露が無いと知ると諦めて引っ込めた。
男から鬼気迫るものを感じたらしい二人は、呆気に取られてその様子を見守っている。
「ーーどうやら、話しをする前に食事をしてもらった方が良いかもしれませんね」
飲み物も貰ったのだし、「もう今更だ」と開き直り、相手の提案に惹かれた男は一も二もなく彼らに連いて小屋を出た。
小屋を出てすぐ側、大木の前で十人近くが火を囲んでいる。小屋の様子を警戒していたらしい数人から鋭い視線を向けられ男は固まった。先程の女性が固まる男の肩を押して円に加われるよう場所を作り、男は示されるまま素直にその場へと座した。
ちくちくと刺さる視線の数々に目のやり場に困った男は、焚火を熱心に見つめることで漸く落ち着くことができた。
ローブを着た人間はさっさと鍋に水を汲み、スープを作り始める。焚火に照らされた顔には、薄らと笑みが残されていた。
思ったよりも若いらしいことを見てとり、髭も丁寧に処理された肌と比べて思わず自身の顎を擦る。身を清めることなど滅多にしない身体からフケがポロポロと落ち、気ままに生えた髭は毛先が絡まってゴワゴワとしている。
「せっかくなんだから、そこの魔獣の肉でも入れたらどう?」
そこと女性が顎でしゃくる。示された場所には、銀狼の死体が転がっていた。
久しぶりのまともな食事に男は銀狼を凝視した。期待がむくむくと膨れ上がる。
「入れるのは良いですけど、捌くのも手間ですし、何よりこんなにやせ細った人にいきなり固形物を入れると体が処理しきれないので、結局は具なしスープでいくしかないんですよね」
男の期待は見事に萎みながら宙へと飛んで行った。
「へぇ、詳しいのねぇ」
「はは、沢山そういう人を見てきましたから。経験則と言うやつですよ。さ、どうぞ」
湯気の上がるカップを手渡され、男は飛び付く勢いで受け取った。トロリと蜜色に輝く液体、牛乳のまろやかさと芋類の素朴な味わいが舌の上に広がる。
腹の中がじんわりと温もり、男は気付けば泣きながらそれを飲み干していた。
こんなにも人からよくされたことは無かった。つらい苦しいと悲嘆に昏れ、己の存在意義を探し求め、死が迫る恐怖に焦燥を抱く日々の空漠たるや、どんな言葉でさえも表現しつくせないニガサがあった。
空になったカップを持ったまま、男は嗚咽を漏らした。
「あーあぁ、ほら泣かない。泣かない!こんなスープくらいで感極まってちゃダメよ」
ボロきれ越しに隣に座る女性から背中を擦られ、彼女の手の優しさに、より涙が誘われた。
泣き続ける男の扱いに困った女性がローブを着た人間に助けを求める。
「ーーさて、君の名前を教えてもらえますか?」
彼の問い掛けに男は静かに首を振った。
名前なんて無かった。
呼ばれ方なら「浮浪者」、「溝鼠」、「死に損ない」、「乞食」と幾つかあったが、“名前”なんて贅沢なもの無かった。
無言の返答に相手は小さく頷いて他の仲間に視線を流した。向けられた者も同様に頷いて返す。
「・・・・・・?」
涙と鼻水で汚れた顔を拭い顔を上げた。
炎に照らされ、ローブの人間の顔がハッキリと闇夜に現れる。
「今まで独りで辛かったでしょう。よく、頑張りましたね。もう大丈夫ですから」
瞳には男の醜い姿が映し出されている。だと言うのに、彼は、彼らは男を排除することなく気遣うように語りかけた。
我慢できなかった。
男は言葉を詰まらせながら、気付けば自身のみっともない半生を話していた。
まるで自らの罪を懺悔する信者の如く、男は話した。話慣れぬ辿々しい姿は、間抜けそのものだっただろう。
男が漸く口を閉じるのを見計らって、傍らにいた女性から二杯目のスープを受け取った。
物慣れぬことをしたせいか息が荒れ、何度か乾咳をした後に、カップへと口をつける。
「もし、嫌でなければ私達の手伝いをしてもらえませんか?勿論、タダでというわけじゃないです。貴方に満足の行く生活と・・・・・・ーー居場所を提供します。どうでしょうか?」
落ち着いたのを待って提案された内容に男は耳を疑った。
ーー居場所ーー
今夜初めて会った自分に、彼は居場所を与えるという。
喉から手が出る程欲したものを。
「て、てつ・・・手伝いってどんな・・・?」
甘い囁きを耳にした時、人はどうするだろう。
彼に縋りつく。
ローブを汚すという恐れよりも、叶わぬ夢を取り逃がす恐れが勝る。
男は自分の居場所が欲しかった。
気がはやる男の肩をやんわりと押して彼は微笑んだ。
「ーー聖女に、この舞台から退場してもらう。貴方には、その手伝いを」




