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【四章】それでも日常は続く




息せき切って駆ける姉弟、夕闇が彼等を飲み込む前、自宅の玄関に小さな弟の手が触れる。

頬を赤らめ額にうっすらと汗を流して、弟が玄関の扉を押した。弟の満面に広がる楽しげな表情が目に入り、後を追う少女も髪を(なび)かせ、風の心地良さに顔をほころばせた。

家を中心に香る、甘い匂いに胸をいっぱいにさせ、幸福の小波(さざなみ)を味わう。紙袋の中身が擦れ合い、腕にかかる重みが少女をより笑顔にさせた。

家に帰れば、母がパンケーキを作って少女達の帰りを待っていることだろう。父は、今日の為に狩ってきた猪を捌いてスープの具材にすると言っていた。大きな肉塊が浮かぶスープを想像して、少女の胃が小さな声を上げる。

慌ててお腹を押さえ、一人照れ笑いを浮かべながら、期待に満ちた目で家を眺めてーー・・・違和感をおぼえた。思わず歩みを止め、自宅の数メートル手前で立ち尽くす。

弟の手によってゆっくりと開かれる扉の奥は闇に覆われていた。

少女の体にゾッと怖気が走る。

ねっとりとした重みのある闇、奥には見慣れたはずの室内があるはずだった。しかし、見通すことがかなわない。

夜、月明かりのないそれとも異なる黒、見覚えのあるそれはまるで獣が眠り込んでいる洞穴の暗さに類似していた。

何が潜んでいるかも分からない恐怖に、少女はたじろいだ。

頭の中で危険信号が明滅し、少女の体は地面に縫い止められたように動かなかった。拍動する心臓に急かされ、思考が上手くまとまらない。同時に、気を抜くなと生きる術を説く両親の声がよみがえる。

その声に意識が現実に還り、弟が扉を開けきった姿をとらえた。

不思議そうに自宅内を見回そうとして、あまりの暗さに怪訝な表情を浮かべる。そして、意を決したように一歩、室内へ足を踏み入れた。


「ーーっっ、待って!入らな・・・」


少女が待ったをかける前に、弟の体は中からぬっと伸びた太い手に引き寄せられる。

「ねぇちゃ・・・!」

瞬時に、何本もの手がかかり、乱暴に弟の口を塞ぐ。振り返った彼は、小さな手を精一杯伸ばして少女に助けを求め、ーー求めきれずに室内へと姿を消した。

少女はその場にへたりこんだ。

パタンと乾いた音を立てて閉じた扉を穴が空くほどに凝視する。再び扉から弟が姿を現すのではないかと期待して、その期待をありえないと打ち砕く己に絶望した。

だが、木製の簡素な扉から視線を逸らすことさえも出来ない。雨風に打たれ、時に乱暴に扱われ傷付き色褪せたそれは少女にとって見慣れた物だった。しかし、中に居る化物を封じる術がこの薄い扉一枚しかないことにただ恐怖した。

力の抜けた腕から紙袋が落ちる。紙袋の口から果物が吐き出され、少女を中心に周囲へと散らばって行った。

コロコロと勢いよく玄関の扉にオレンジがぶつかり、跳ね返ったそれは草地で静止した。

思いの外大きな音がたったことにはっと我に返り、少女は立ち上がった。先程まで胸中を支配していた恐怖も波が引くように薄れ、ただ純粋に弟のことを心配して立ち上がった。


弟が、中に居る。


周囲があれこれ言っても、言うことを聞かない我儘で、甘えん坊で、ダメな弟だ。自分のやりたいことにひたむきで、融通もきかない泣き虫で、弱虫な弟だ。

そんな弟がいきなり、家の中へと引きずり込まれた。外からは一切人の息遣い、弟の声すら聞こえない。

声を押し殺して泣いているかもしれない。

ーーあるいは、殺されているかもしれないと思い至り、少女はなりふり構わず扉へと飛び付いた。

姉として弟を心配するのは、朝日が世界を照らすように当たり前で、それこそ、無垢な弟は守るべき存在だった。

鍵なんてかからない粗末な扉は、ひび割れた音を立てて簡単に開いた。

粘度の高い闇から伸びる手を少女は受け入れた。







⿴⿻⿸⿴⿻⿸⿴⿻⿸⿴⿻⿸⿴⿻⿸




服から香る太陽の澄んだ匂い、それとは別の背筋がゾクゾクするような甘い香りに俺はなんだか気まずくなって視線をキョロキョロと周囲に走らせた。

少し離れた場所で、俺の不埒な気持ちを察知したウル爺が凄い形相で睨んでいる。

お陰様で息が止まるほど肝が冷えた。不埒な感情から抜け出して、ラヴィーナを支えている手を持ち直す。さり気なく彼女を観察すると真面目な表情で足を前へと繰り出していた。ゆっくりとした歩みだが、額には玉のような汗が浮かび疲労が滲んでいる。

院長から紹介された鍛冶師が彼女の新しい脚を作り出した。

腰と足にベルトで固定された鉄脚は、脹ら脛の部分から革靴に覆われている。ズボンを履いてしまえば、一見して義足とは判別できない。

ソケット部分にはスライムを乾かしたモノを使用して摩擦を軽減し、吸着力を高めているとか、膝関節の動きを滑らかにする為に屈曲角度に合わせて回転軸が変化する構造にしているだとか、なんだか難しいことをフォルブロがごにゃごにゃ言っていた代物だ。

要するに歩いたり、走ったりするのに困らない義肢にしているらしい。


「ーーっっ、もう限界だ!!」


ラヴィーナが息を荒らげて地面に転がる。

「はぁ・・・・・・っ、はぁ・・・!まさか・・・、歩くのに、これだけ体力をもっていかれるとは思わなかったよ」

悔し気に語られるが、その顔は明るい。頬を上気させ、深呼吸を繰り返す姿は、歩ける喜びに溢れていた。

澄み渡る青空を眺め、静かに瞼を閉じる。同時に、透明な雫が彼女のこめかみを滑り落ちた。

俺は見なかったふりをしてラヴィーナの横に座り込んだ。

一陣の風が草を揺らし、俺たちの髪も悪戯になびく。空高く飛ぶ鳥の鳴き声が辺りに響き、その声に聴き入った。

空気の重くなるような居心地の悪いものとは異なり、信頼で結ばれた安心感がここにはあった。


「・・・・・・ラヴィーナ、分かったな?」


俺達の空気を割いて言葉が投げかけられる。牧場の柵を乗り越え、ウル爺が歩み寄った。言葉少なに問いかけるが、その内容は相も変わらず、何を問いたいのか意図が分からない。

うへ、この爺さんまーた、言葉数少なく済まそうとしてやがる。

過去の事件が脳裏を過り、辟易した俺が指摘してやろうと口を開きかけるよりも先に、ラヴィーナが上体を起こして答えた。

「はい、先生。やはり歩くには早かったようです。どうしても足のある方に体重が偏りますし、それに応じて義足に力を入れ過ぎないようにするので全身が強ばってしまい、結果として歩きにくくなっていました。それになにより、筋肉が、体力が落ちすぎていて・・・・・・、先ずはそれらを取り戻すことから始めたいと思います」

ラヴィーナが自身の足を擦りながら「まだまだ足りない」とボヤいた。

俺は短時間の歩行でそれだけの課題と解決案を提示した彼女に脱帽した。ウル爺の意図を察して瞬時に応える能力は流石、冒険者として数々の実績を積んできただけある。


だが、言わせて欲しい。


「どうだ、義足の具合は」

フォルブロが横合いから口を挟む。

義足をもらった初日で、ラヴィーナは歩こうとしたのだ。事実、俺の手を借りてではあるが数歩歩いてみせた。

ウル爺の所まで車椅子で遠出していた俺達を追って、フォルブロが完成したばかりのそれを手渡しに来たのが全ての始まりだ。

喜ぶラヴィーナはそのまま義足を着けるなり、「試してみよう」と言い出し、今に至る。

「問題ありません。ソケット部分も違和感ないですし、全体的に・・・この義足、軽いですね。恐らく、あとは慣れる時間さえもらえたら、なんとかなると思います」

「ならいい。だけどな、おめぇの足になるもんだ、無理はさせんなや。これからもっと動くようになる。どんどん調整が必要になるだろうよ。ちぃとでも異常があれば言え、見ちゃる」

フォルブロが髭を撫でながらラヴィーナでは無く義足を眺め、問題なく作動していることに満足して頷いた。

「分かりました、ありがとうございます。ーー・・・そう言えば、お会いした時にお話するのを忘れていたのですが、お代の方はおいくらですか?貯えはあるので、支払えないということはないと思いますが・・・」

ラヴィーナが思い出したように話し出し、確認するのが遅くなったと頭を下げた。

しかし、フォルブロは太い眉を片方器用に上げ、直後、眉間に深い皺を刻ませた。怒っているともとれる険しい表情に、戸惑いも露わに俺達は硬直する。

「へん!そんなつまんねぇ話しゃあ、俺はすかん!!帰る!!」

彼は俺達を一瞥すると鼻を鳴らして背中を向けた。

「え、フォルブロさん!!待って下さい!!」

機嫌を害したと焦ったラヴィーナが引き止めるも、彼は濃い髭を一撫でしただけで聞く耳を持たなかった。

遠ざかる背中が不意に歩みを止める。

「・・・・・・その足で少しでも多くの奴を助けてくれりゃあ、十分だわ!!」

腕を上げて犬を追い払うような粗野な仕草がフォルブロにとって別れの挨拶だった。


「ーー・・・ありがとうございますっ!!」


ラヴィーナの声はしっかりと彼に届いたのだろう。見間違えでなければ、髪の隙間から見える耳が赤らんでいた。

俺達のやりとりを少し離れた場所から見守っていたウル爺がポリポリと頭をかいて漸く口を開いた。

「ーー・・・ああ言ってはいるがラヴィーナ、お前を急かしたい訳では無いからな。そこは履き違えるな」

ラヴィーナは義肢に触れ、瞼を閉じた。ウル爺の言葉を反芻し、自身に言い聞かせているようにも見えた。

「・・・はい。少し、年甲斐もなくはしゃぎすぎたようです」

彼女は照れた笑みを浮かべ、ウル爺の言葉を受け入れた。

ウル爺の口端が若干上に向いたことに気付いた俺は、心の内で合掌する。

やったね!ラヴィーナさん、気に入られちゃったぞ、この鬼畜爺に!!

第二の犠牲者が生まれた瞬間に立ち会った感慨に浸りつつ、俺は空遠くに視線を移した(現実逃避した)

「先程の続きだが、確かに健側も筋力が落ちている。何よりバランスの取り方を忘れている所も大きいだろう。そいつでもテーブルでも、なんでも使ってバランスよく立つ訓練から始めたらいい。ーー・・・直ぐに出来るようになるものでもない。それこそ、焦ってお前も、それも、壊れては意味が無いだろう。訓練するにしても様子を見ながら、最長一日二時間まで。慣れたら時間を増やしていけばいい」

そいつ、と俺を顎で示してラヴィーナへ訓練の方法を説明する。

「はい、分かりました。ご教授ありがとうございます」

素直に頷く彼女としゃがみこんで近い距離でやりとりするウル爺を視界におさめて、自分よりも遥かに師弟らしい関係に居心地の悪さをおぼえる。

けど多分、そういう気持ちも全部気のせいだろう。そういうことにしておこう。


ーーだってそうじゃないと、俺の居場所が一つ減ったような気がするじゃんか。


胸に灯ったモヤモヤする感情がこれ以上燃え広がらないように、俺はそっと吹き消した(見ないふりをした)


「おーい!!『紅蓮』よーい!!そろそろ俺の相手してくれよ!!!」


牧場に出ていた馬達が批難の嘶きを上げ、けたたましい大声に一同は耳を押えた。声の主ーー全身を筋肉の鎧に包まれた厳つい男がウル爺の元へと駆け寄る。

ドタバタと落ち着きの無い足音を立て近づいたのは、ユーリス・ディカーティオだ。こめかみから顎へと伝い落ちる汗を乱暴に拭う様は漢らしく、別の言葉で表現するなら雄々しすぎて臭い。

俺は静かにウル爺の背後に隠れて鼻をつまんだ。

頼む、爺ウォール!!この臭いを吹き消して!!

思いを込めて熱い視線を送ってみたものの爺ウォールは、俺のことさえも「鬱陶しい、ひっつくな」と跳ね除けた。


酷い!!


静かに泣き真似をしてみせた所で相手にもされず、ラヴィーナの憐憫を帯びた眼差しが俺の心をブロークンなハートにした。

やめて!そんなに優しく俺の肩を叩かないで!!ポンってしないで!!優しさに飢えてるから好きになっちゃう!!

ウル爺はそんな俺とユーリスを見比べ、辟易とした様子で溜息をついた。

「うるさい、喚かなくとも貴様の声は否が応でも耳に届くわ。吠えるな」

骨ばった手の甲を向けてユーリスから距離を取る。

邪険にされてもユーリスは気にすることなく、持っていた短剣の先をウル爺へと向けた。

「『紅蓮』を越える人間にならにゃあ、何時までも俺達ゃ自立の出来ねぇガキのまんまだかんな!それに、領主様(ヤツ)に言われっぱなしも性にあわねぇからよ!!頼むぜ、先生!」

ユーリスは獰猛に笑った。犬歯がのぞき見えるその笑顔は、子供心にいたく恐ろしく映った。

言っている意味は分からないが、ユーリスはウル爺直々に訓練をつけて欲しいようだ。

少し離れた広い場所で、ユーリス以外の冒険者達が模擬戦に励んでいる。仕方ないと言わんばかりの仏頂面を浮かべ、ウル爺はユーリスと共に俺達から離れて行った。

赤髪が小指ほどの小ささになるまで見送って、俺は手持ち無沙汰で地面に座り込んだ。



孤児院でウル爺と話をして以来、顔を合わせる機会が無かった。俺自身、ラヴィーナの手助けに夢中で、そこまで気が回らなかったというのもあるし、本音を言えば、彼に会うのが怖かった。


『お前は魔物と人、どちらの味方なんだ』


ウル爺の問に、俺は未だ明確な回答を得られないでいた。

坊の存在が、魔物としての姿が明瞭に浮かび上がる。友人としての彼を信じたいと思ったからこそ、坊の悪行に目を逸らしてはいけないと感じている。

けれど、坊の存在を否定出来ないからと言って、魔物をすべて受け入れられるわけでもない。今でも、黒狗(ブラックドック)のことを思い出すと心臓が嫌な音をたてる。

そして、魔物以上に坊を殺したウル爺()を畏れる気持ちも生まれていた。

その感情が俺の思考にブレーキをかけ、『人』を選ぶべきと理解していながら、あと一歩を踏み出せずにいた。

無意識に距離を置いて、顔色を窺って、理由をつけて(ラヴィーナを利用して)、ようやく最近ウル爺に会うことができた。

きっと、何時までもうじうじと気にしていたのは、俺だけだったのだろう。久しぶりに会ったウル爺は普段通りで、それどころか大勢へと戦闘の指導にあたっていた。

「先生」、「師匠」時々「紅蓮」と呼ばれるウル爺は、筋肉達磨達の相手を渋々引き受けているようだった。

その光景を最初見た時は目を疑った。あのコミュ障のウル爺が、必要最低限しか話さないあの爺が、囲まれたとしても動物ぐらいの爺さんが筋肉に囲まれているのだ。

信じられなかった(なんて可哀想なんだ)

正直に言うと、幾ら訓練つける為とはいえ、モサイおっさん達に囲まれるなんて何の罰なんだろうか。俺なら御免こうむる。ラヴィーナの手伝いをしている方が遥かに有意義、幸せだね。


「ーー私達もあちらに行くかい?」


ラヴィーナが指先を筋肉達に向ける。置いていかれて不貞腐れていると勘違いしているのかもしれない。俺は気遣いは無用と丁寧に断った。

態々あんな地獄に行きとうない。

俺が本心から拒否していることを察したラヴィーナが苦笑を携えて立ち上がる。

「なら、私は私で早速、訓練をしようと思う。付き合ってくれるだろ?」

形だけの確認に俺は頬を弛めて隣に並んだ。

「もちろん!」

慣れない義足にゆらゆらと不安定に立つ彼女の手を取った。



牧場を囲う柵に両手を添えて立位訓練に励む傍ら、暫く雑談に興じる。

「へぇ、アルレルトは先生から魔法の使い方を学んでいたのか・・・じゃあ、私の兄弟子になるんだね」

冗談めかしてラヴィーナがウィンクした。

ラヴィーナもここに来てウル爺から細かく体の鍛え方を教わってから「先生」と呼ぶようになっていた。確かに教わった順番からみて、筋肉達を含んだとしても俺が一番最初の弟子と言えるだろう。

チョロい俺は直ぐに良い気分になって、ラヴィーナへ自分の魔法を見せようと手を構えた。

「まあね!!最近は色々あって教わってないけど、よくやってるのは水鞭でーー・・・」


おいでませ、ドM製造機!!


魔力を練って放出した途端、それは俺の中で鳴りを潜めた。

「・・・・・・あれ?」

おかしい、何時もならドM製造機が手に現れているはずなのに一向に出てこない。それどころか、魔力を出そうとすると、まるで砂のように手から零れ落ちてしまう。

「・・・・・・どうしたんだい?」

顔色を悪くした俺を心配したラヴィーナが覗き込む。

口の中がやけに渇いて、俺は無理やり唾を飲み込んだ。


「魔法が・・・使えない・・・・・・」




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