【四章】既に救われた命
ラヴィーナは困惑していた。
「ふん、若い娘っ子だな。ほれとっとと脚ぃ見せてみろい」
髭を大胆に生やした男は、小さな火傷が幾つも刻まれた逞しい腕をラヴィーナに向けた。黒々とした髭は、顎の部分から三つ編みで纏められ胸に垂れている。黒々とした頭髪のわりに些か年老いて見える男の隣には恰幅の良い女性が付き添い、男に食ってかかった。
「あんた!!女の子に対して無神経過ぎるんじゃないかい!!」
男のくたびれた作業着の襟を掴んで目を三角にして吼える女性に圧倒され、ラヴィーナが口を挟む隙もない。
「いや、それは別に良いのですが貴方達はーー・・・」
声を掛けてみるも、二人の掛け合いはヒートアップして最後には盛大な音を立てて女性の拳骨が男に振り落ち、思わず首を竦めた。かなり痛い一発が決まったものだと痛みで悶える男を不憫に感じながら、男女の背後で聖女とアルレルトの姿を目で追う。この二人をどうにかこうにか抑えて欲しいと視線で訴えかけてみる。
だが、聞こえてきた会話にラヴィーナはさっさと救いの手を諦めた。
「あらあら、アルレルトったら覗き見?良い趣味ねぇ、私も子供の頃よく覗きを趣味にしていたものだわ」
「違うよ!?院長、何言ってるの?全然隠れて無かったよ俺!たまたまドアが開いてたから「何かな〜」って顔出しただけじゃん!てか趣味にしてたの??」
アルレルトがおっとりと笑う聖女を前に、否定の言葉を吐くが相手は全く聞いていない。それどころか、訳知り顔でアルレルトの肩に手を置いてサムズアップした。
「うふふ、それが覗きの第一歩になるのよ。アルレルトがどんな大人になっても私は応援するわね」
「なんて大人だ!!頼むから止めてくれ!!」
アルレルトの悲痛な叫びに同情しながら改めて目の前の男女に意識を向ける。
痛みにのたうち回っていた男が起き上がり、鬼も逃げ出すような形相で女性を睨みつけた。
「ッッカー〜!!てんめぇ、やりやがったなババアがよぉ!!この歳になっても神経が通らなかったんだ、見逃せや。んな細かいこたぁ、おめぇがいりゃあなんとかなるだろうが」
「へん!私がババアならアンタはジジイじゃないか!もう!ああ言えばこう言うで減らず口ばかり上手くなってどうするんだい!?」
怒号が飛び交い、いい加減鼓膜に限界をおぼえたラヴィーナが仲裁しようと再度心を奮い立たせる。
「あの、もうそのへんでーー・・・」
「てめぇは口よりも手が出るのが早くなったな!!歳か?更年期か!?」
「へええ、言うじゃないか!ご期待に応えてもう一発いくかい!?」
ラヴィーナは諦めた。
諦めてベッドから起こしていた身を横にして布団をかぶる。布団の厚みではこの喧騒から逃れることも難しいらしいと悟り、溜め息が漏れた。
喧喧囂囂たる室内の状況についていけず、ラヴィーナはどうしてこうなったのかと記憶を手繰り寄せる。
アルレルトとの謝罪と和解を済ませた後、ラヴィーナは聖女に聖域からの退場を告げた。
子供達の護衛兼遊び相手という元々の依頼があってこの孤児院で寝泊まりしていた。本来であれば、魔物討伐騒動も終えた今なおラヴィーナが孤児院に居座る理由は無い。現に、一時的にパーティーを組んでいた冒険者らは、とうに孤児院から姿を消している。
足を失ったショックで使い物にならなくなったラヴィーナを献身的に支えてくれたのが聖女含めた聖域のメンバーである。ずぶずぶと善意に甘えて今日まで長居してしまったのだ。
片脚と言えど、這いずってでも一人家の中で過ごすことはできるだろうと自棄っぱちに思えるかもしれないが、ラヴィーナとしては楽観的に考えて聖域からの退場を告げた。
これ以上いては甘え狂って、アルレルトへ八つ当たりをしたように、また腐ってしまう。
アルレルトに対しても聖女に対しても失礼な態度しかとってこなかった。諸手を挙げて賛成するだろうと考えていたがラヴィーナのアテは外れた。
『あらあら、久し振りに話したと思ったら、また無茶なことを言うのねぇ』
聖女の前で癇癪を起こしてからも顔を合わすことは度々あった。しかし、ラヴィーナ自身、己のありように絶望して無意識に彼女を避けてきた。聖女もまた敢えてラヴィーナと接触を図ることはせず、会話をすること自体が久方振りであった。
開口一番に聖域からの退場を希望したラヴィーナに対して、今までのことが無かったかのように聖女はおっとりとした反応をみせた。
ラヴィーナ一人が感じる気まずさの滲む空気を飲み込み、聖女と視線を交差させた。
彼女の瞳にうつるのは、車椅子に座ったみすぼらしい己だ。顔を伏せ、見たくないものに目を背ける。その愚行を犯す必要はもう、無い。
ラヴィーナはひたと若草色の瞳を見つめた。意図を察した聖女がたおやかに微笑えむ。
『無茶・・・・・・かもしれません。いや、事実そうでしょう。ですが、これ以上ここに居ては、離れ難くなってしまう・・・』
居場所と食を提供してもらい、子供達から甲斐甲斐しく世話を焼かれる。本音を言えば、ずっとここで微睡んでいたい。
だが、ラヴィーナは決めたのだ。アルレルトと交わした言葉、謝罪を昨日のことのように思い返すことができる。
『歩きたいんだ、君と一緒だよ、次に、進みたいんだ』
大勢にみっともなく、多大な迷惑をかけてきた。
これ以上の恥を重ねることを最早自分自身が許せない。
だからーー・・・
生きる覚悟を決めたラヴィーナに聖女はより笑みを濃くした。
『アルレルトとエレナには、私も感謝しないといけないわねぇ・・・』
『・・・・・・ここの子供達にも沢山迷惑をかけました』
聖女はかけていた眼鏡を外すと服の裾で表面の汚れを拭う。聖女の素顔をまじまじと眺め、アルレルトの赤、聖女の翠、二人の共通点を見つけた。色合いの異なるそれらはどちらも澄み、全てを見透す力があった。
だから、眼鏡と共に言葉をかけられた時、誤魔化せないと痛感した。
『もう一度、歩けるようになる手段があると言えば、貴女は喜ぶかしら?』
彼女の問は、ラヴィーナが喉から手が出る程に欲している情報であった。聖女の力をもってしても、失われた手足を生やすことはかなわない。
今でもラヴィーナは悪夢で目覚めることがあった。あの化物がボリボリと音を立て、足を食べる夢を視る。
顔色を変えたラヴィーナだが、口を閉ざしていながらも雄弁に聖女へと訴えかけていた。
静かに首肯し、聖女は部屋の窓から外の景色へと視線を投げる。
『もう分かっていると思うけれど、私の力では、脚を再生することはかなわないの。失われた物は・・・無から有は生まれない。けれど、別の手段で貴女の脚を手に入れることは、できるわ』
『ーーその方法は、一体・・・?』
期待にはやる胸を押さえて、くい気味に続きを促す。聖女は悪戯を企てる子供のような表情を浮かべた。
『うふふ、それは後のお楽しみで取っておきましょう。私の知り合いを紹介するわ。彼等なら、きっとラヴィーナの力になってくれるから』
話は終わりと車椅子を押されて、ラヴィーナは結局聖域の自分の部屋へと戻ってきたのだ。ここを出る話しを上手い具合にはぐらかされたのだと気付いたのは、寝台に入って眠りに落ちる前であった。
その翌日ーーようするに今、部屋の中に聖女と聖女の知人であるらしい彼らが訪問してきたのだ。
彼女の話しが間違いでなければ、布団の向こう側で言い争いをしている彼らがラヴィーナの「力」になるらしい。それが事実か、不信を抱くなと言う方が難しいだろう。
「そんなことより、いんちょー、ラヴィーナさん寝てるけど起こさなくていいの?」
布団を頭からかぶり、男女への疑念を抱いているとアルレルトがラヴィーナの腕あたりをポスポスと叩く感触がした。
一応、室内の主であるラヴィーナを目的に皆が訪室していることを察したらしい。私が不貞寝しているとは露ほども考えず、アルレルトは素直に起こそうと身体を揺すってくる。
アルレルトの指摘にようやく室内で言い争いをしている男女に気が付いた聖女が「あらあら、まあまあ」と驚きつつも穏やかに二人の仲をとりもつ声が耳に届いた。
頃合を見計らい布団から顔を出すと、男女ともに床に畏まって座していた。見間違いでなければ、男の額にはデカいコブが二つ出来上がっている。来た時にはなかったはずのものだ。
女性は女性で眉を下げてラヴィーナに「ごめんよ、煩かったねぇ」と詫びて、「アンタも謝んな」と男を肘でせっつく。
「すまんかった」
女性を睨みながら男はラヴィーナに深々と頭を下げた。女性に対して思う所はあるようだが、此方への他意はないようだった。
「いや・・・・・・まあ、はい。謝罪はこれで十分です。どうかお立ち下さい」
二人に床から立つよう促したところで聖女が頬に手を当てて、取ってつけたように言い添えた。
「ラヴィーナごめんなさいね、止めるのが遅くなって。なんだか最近耳が遠くって・・・」
明らかな嘘をあえて無視した。アルレルトが胡乱げな視線を投げる。彼も聖女の戯言に気が付いているようだ。
「院長・・・何で真顔で嘘つくんだよ・・・・・・」
「たまには嘘をつきたい、そんな時もあるのよ・・・・・・。ーーなーんて、ただの冗談よ!うふふ、さぁ二人を紹介するわね!!」
聖女は周囲の避難たらしい視線から逃れようと、態とらしく話しを逸らした。
髭を蓄えた男がフォルブロという名で、この領地で鍛冶屋を営んでいるということ、女性がフォルブロの妻であるモーリーだということを流れるような速さで紹介していく。
「フォルブロは腕の良い鍛冶師なのよ。本人は隠したがっているけれどね」
褒められ、フォルブロが首をやや反らせた。編んだ髭が胸元で揺れる。
「ふん、おだてたって何も出やしねぇぞ」
「照れてんだよ。まったく、素直じゃないのさ」
モーリーの補足に対して鼻を鳴らし、より首を反らせフォルブロの顔は完全に見えなくなった。ギリギリ見えるのは、黒々とした髭の上からちょこんと顔を出している山だけだ。
「初めまして、私はラヴィーナと言います。最近まで冒険者として活動していました」
改めて自己紹介をすると、フォルブロは不要と言いたげに手を横に振った。
「詳細は院長から聞いとる。おめぇ、脚を失くしたんだってぇなあ」
上体は起こしているものの、下半身は未だ布団に隠されている。ラヴィーナの右足部分にあるべき膨らみはなく、フォルブロの視線がそこへと注がれた。
どういう反応をしたら、この場に相応しいのか悩みながらも笑うに留めた。
「ふん、無理に笑う必要はねぇさ。もう一回言うけどな、その脚見せてみろ」
言って、フォルブロが右足部分を指さす。
今更傷口を見せることに抵抗はない。しかし、相手の目的が分からず躊躇する。
ラヴィーナの戸惑いを見てとったモーリーが口を挟んだ。
「急にごめんよ、旦那は基本的に説明が下手でね。あたしらは、院長先生からラヴィーナさんの足代わりを作って欲しいと依頼を受けて来たのさ」
ドクリと心臓が鼓動した。
聖女へと顔を向けると、ただ穏やかに笑みを浮かべている。
「貴女が生きると自ら選択するのなら、義足があった方が今後の生活に便利かと思ったのよ。どうかしら?」
唇が震える。
感謝を述べるべきだ、何かしら言葉を発しなければと思考だけが駆け巡る。だが、音を発する唇が震え、何も言えずラヴィーナは顔を伏せた。
何故、ここまで手厚く世話を焼いてくれるのか疑問を抱く必要も無い。
既にラヴィーナは解を得ていた。
『救いたいと思ったからよ』
なんて傲慢な聖女だ。
そして、なんて自分は愚かだろう。
既に私は救われていた。
この命を、生きる気力を与えられ、子供らに前を向く力を与えられた。
アルレルトの小さな手がラヴィーナの手に重なる。心配の色に染まる瞳が、赤が綺麗だと素直にそう思えた。
ラヴィーナは口元に笑みを刻んで、手を握り返す。
「ーーありがとう、ございます。どうか、ご助力をお願いいたします」
きっと、覚悟が決まらなかった時には選択も出来なかった。出来なかったはずの選択をすることが出来た。
それを誇りと思えた自分自身に心が軽くなるようだった。




