【四章】一つの終わり
足下に転がる贅肉まみれの物体が息を止めたのを確認してドレックザックは長い息を吐いた。絨毯に滲む血を眺め、ポキポキと固まった首を鳴らす。
サイズの合わないメイド服を煩わしく思いながら、彼は暫く書斎を見回し、男が握り潰していた手紙を発見する。
差出人不明の手紙は暗号が散らばり易易と読み解くことが出来ない。だが、そんなことは自身の役割では無いと割り切って、指輪も含めて懐に加える。
机に座り、血に濡れた短剣をエプロンの裾で拭いとりながら、面倒な仕事を終えた解放感に浸った。
さっさとアルメリアに戻るべき所をドレックザックは敢えて居残ることに決めていた。特に理由はない。敢えて理由を探すなら、ただ夜中に動くのも面倒だった、それだけだ。
「つまーんねぇなぁ・・・」
弛緩した身体から汚物が垂れ、部屋に篭もる悪臭に鼻を抑えて窓を開放する。
部屋の灯りに誘われて、蛾が宙を舞う。蝋燭の周囲をふわりふわりと飛び回り、何を思ったかその身を火に投じた。藻掻く火葛は机に落ち、やがて沈黙した。
固陋蠢愚な生き様は、虫も人も同じなのだろう。
虫と人の違いと言えば、喚く口があるかないかに過ぎない。誰だって本質はきっと自分本位で、無知をさらけ出す愚者に違いないのだ。
であるならば、先程の蛾のように或いは床に倒れるこの男のように一瞬で燃え尽きる運命を辿る方がまだ幾分上等かもしれない。
ドレックザックは過去大勢の人間を殺してきた。暗殺については国からの依頼であり、彼自身が標的に殺意を抱くことはまずもって有り得ない。
「殺すべき」だと判断された人間を狩る行為は、甚く身の内を飢渇させた。鎖に繋げられた猟犬は飢餓を埋める方法を求め、吼え狂いたい衝動に耐える。
前触れもなく、首の薄い皮膚に電気が走ったような痛みが生まれた。
「・・・・・・へっ、馬鹿らしぃんでやーんのぉ」
鎖の痕が消えた肌を撫でる。
自由を求めたところで、それどころか自由であった時でさえ、文句をつける自身の屈折した思考にドレックザックは唇を噛んだ。
自由であっても、抑制を受けても憮然とした面を下げて、或いは剽軽に己の生に抗おうとするのだろう。
罪人の男とドレックザックにどれだけの違いがあるだろうか。何方も同じ至愚で浅陋な思考しか持ちえないつまらない人間だ。
思考が宙を舞い、遥か彼方へと消え失せようとした時、部屋の扉が控えめにノックされた。
ドレックザックは慌てることなく、欠伸をしたまま入室を促す。束の間眠りこけていたらしく、口から垂れる唾液をおざなりに袖で拭う。
扉の前には先程と変わらず男の死体が転がっている。別段それを隠したり、隅に寄せたりすることもせず、彼はのんびりと入室者を待ち受けた。
「ーーーー・・・・・・っっ!!」
ヒュッと息を呑み絶句する相手を見届け、ドレックザックは悪巫山戯が成功したことに満足して口端を引き上げた。
狐面の男性は、足下に転がる男と比較すると細く長身だ。その長い足を恐る恐る動かして死体を避けようとする様は、警戒心の強い動物のようでもありどこか滑稽に映る。
「あ〜・・・っと、何だっけアンタの名前忘れちまったなぁ。悪いな、執事さん」
この屋敷の執事である男は、ズレた眼鏡を押し上げる。ドレックザックの言葉も耳に届かず、硬い表情のまま視線は床の男へと縫いとめられていた。
元を辿れば、ドレックザックをここまで手引きしたのは顔面蒼白になっているこの男である。
訝しみながらも、口元は弧を描き軽口を叩く。
「ははっなんでぇ、死体を見るのは初めてかぁ?そんなに熱い視線を送ってたら、そっちの危ない奴かと思うじゃねーか」
野卑な言葉は今度こそ男の耳に届き、切れ長で吊り上がった目をドレックザックに向けた。
言葉を発しようとして開口するが、ただはくりと空気を呑み込むばかりで意味のある言葉は出てこなかった。
落窪んだ目には力が無く、俯いてドレックザックに背を向ける姿は悲愴感さえ漂う。
ーーあぁ・・・つまりは、そういうね・・・。
人の心情というもの程、分からないものは無い。自分でさえそうなのだから、他者の心等以ての外だ。
「・・・すみませんが・・・、主と・・・・・・二人きりにさせて貰えませんか。最期の別れを告げたいんです」
ドレックザックは無言で背後の窓から外へと身を移す。
揺らめく蝋燭が温かく室内を満たしている。ドレックザックに背を向け、床に膝を着いて項垂れる男の表情はここからでは分からない。
この屋敷に忍び込む協力者として紹介されたのが彼だ。身に付けているメイド服の用意や、使用人を内々に屋敷から逃がす手筈まで全てを手際良く調えた。
淡々と仕事を進める姿と悲愴感溢れる今の姿は大きく乖離している。感情を殺していたのだろうと一目で分かる。
何を思ってドレックザックの協力者として振舞っていたのか暇潰しに考えようとして、馬鹿らしくなってやめた。
サイズの合わないメイド服のまま帰るのも癪で相手が満足するまで待機することにした。
蝋燭の灯りが窓から漏れ、その灯りだけを頼りに暗がりを見やる。街灯も無い世界は墨をブチ撒けたように視界一面が暗い。風や動物の悪戯による草木の音色に耳を澄ます。
時折眠りこけながら辛抱強く建物に背を凭れ待っていると不意に掠れた声が降る。
「すみません、気を遣わせてしまいましたね・・・・・・」
それは先程の執事の声で、開け放たれた部屋の窓から零れ落ちた。
「別に良いけどよぅ、そんで気ぃわ済んだのかあ?」
声を出した瞬間に鼻提灯が割れ、惜しい気持ちを抱く。既に殺した男と執事への興味は消え失せ、只々柔らかい布団に身をうずめてしまいたい欲求が脳内を占拠していた。
「はい。・・・・・・もし、宜しければ少し私の話しに付き合ってくれませんか?」
面倒臭さにドレックザックは呻いた。しかし、それを相手は了承と受け取ったのか語り出す。
「私はご主人様と親友でした」
建物を背にずるずるとしゃがみこみ、眠ることにする。執事の穏やかな口調はちょうど良い子守唄だった。
カサカサと草を掻き分ける音がし、そちらの方向へ薄目を開けて見れば、狐がひょっこりと顔を出した。口には鼠の死骸を咥えている。
暖かそうな毛皮だ。
ちょいちょいと指で近寄るよう合図すると、警戒しながらもドレックザックの元へ歩み寄った。
「私は前執事長の子として生まれ、子供の頃からご主人様と兄弟のように育ちました。私にとって彼は家族で親友だったのです」
狐は咥えていた鼠を地面に落として、ドレックザックへと鼻面で押し出す。
「え、お前・・・俺の、ために・・・・・・?」
トゥクンとドレックザックの心臓が甘く高鳴る。
感動するドレックザックに狐は無言で「食べろ」と促した。
「成人して改めてこの屋敷で雇われるようになり、彼と私に雇主と使用人という明確な立場が出来上がっても、私の思いは変わりませんでした。親友の為に、領主の為に必要なことを学び、時に悪どい事もしてきました」
ドレックザックは心底困り果てた。流石の自分も鼠を、それも生で食べるわけにはいかない。心優しい狐に侘びながら一緒に時間を潰さないかと誘う。
物言わぬ狐にドレックザックの想いが通じたのか、しゃがみ込んだ彼の隣に丸まった。
「・・・・・・おぉ・・・っ!」
感動に打ち震え、ドレックザックは思わず声を漏らした。
「しかし、そのうちご主人様の様子が変わってきました。良い領主では無かったけれど、決して悪人でも無かった。そんな彼が自室に篭りきりになったのです。原因は明らかでした。あの魔女が、彼を変えてしまった・・・」
胸を高鳴らせながら、恐る恐る狐の身体に手を伸ばす。一度威嚇して歯を剥き出しにしたものの、ドレックザックの熱の篭った視線に折れたのかあらぬ方向へ顔を背けた。
それを了承ととらえて、胴体を毛並みに沿って撫でる。パサパサと艶のない毛並みは触り心地が良いとは言えない。だが、ドレックザックはある種の充足感を味わっていた。
「魔女はご主人様を狂わせ、領民を嬲り殺した。古い付き合いの私達の言葉さえ既に彼には届かなかった。密かに魔女を逃がし、替え玉まで用意して。・・・・・・早く異変に気付いていれば、彼を止めることが出来たはずだった・・・、後悔しても底が見えない」
撫で続けると狐がドレックザックの手に鼻先を擦り付け、パクリと甘噛みする。
「うへぇ、思いのほかいてぇ」
暫く噛まれたり、ぺろぺろと舐められたりして猫のように気侭な狐と戯れる。
「領民にせめてもの罪滅ぼしをしようと貴方方に協力したものの、家族のような友の死は・・・・・・やはり、胸に堪える。・・・次は、私が償う番ですね」
「ーー焔よ、全てを飲み込め」
ドレックザックの背中に悪寒が走り、反射的に立ち上がった。書斎を見ると、そこには赤い蛇がのたうち回り、家具を飲み込んでいく。
扉の前で倒れる男は、既に炎に巻かれ跡形無く消えうせていた。炎の中で黒い人影がゆらゆらと揺れる。
「せめて、此奴にあの世で・・・・・・」
続きの言葉は轟音に掻き消された。
熱気と煙がもうもうと立ち上がり、ドレックザックは狐を抱えて建物から離れた。
安全な場所まで逃げた所で、建物が赤く染まるのをドレックザックは呆然と眺めていた。
「女装したまま・・・帰れってのかよぉ・・・っ!」
「ケンッ!」
ドレックザックの悲痛な叫びに呼応して、狐が慰めるように鳴いた。
白み始めた空に黒煙が舞い、炎が全ての罪を消し去った。
彼等は泣いた。
ドレックザックは家に帰るまでメイド服を着続けないといけない絶望に。狐は鼠の死骸を屋敷の傍に落としたままだったことを思い出して泣いた。




