【四章】下界の女神3
「振り返っちゃ、だあめだってば。かあわいぃ女の子が着替えてんだからなー」
言い終えると背後の人間は、堪えきれずに笑い出す。低く軽薄な物言いは、明らかに男の声であった。
刹那、どっと背中に冷や汗が流れる。息を詰めて相手の出方を窺う男を放置して声が続く。
「いーやぁ、にしてもアンタとんでもねぇ変態だなぁ。いたいけな少女を食っちまぉうなんざ、お見逸れするねぇ。ま、これ以上腹に肉を詰める必要はないんじゃーねぇの?」
「ひゃひゃひゃ」と耳障りな笑い声を上げて、背後の人物は男のはちきれんばかりの腹を叩いた。パシンと軽い音が立つ。
あまりの侮辱に男の視界が赤く染まった。怒りのあまり反撃に出ようとして、首元に突き付けられた刃が無言で存在を訴える。
男は平静を保てるよう、つとめて呼吸を繰り返した。
「うへっ、息くっせぇー。ちゃんと歯磨きしてんのかよぅ」
背後の人物は辟易とした雰囲気を醸し出し、揶揄する。
流石にもう我慢ならなかった。
「巫山戯るのも大概にしろっ!!貴様何者だ!私にこんな事をして良いと思っているのか!!」
刃を突き付けられていようとも、激情に身を任せて背後を振り返る。
振り返り、男は驚きで目を見張った。
先程までメイドがいた場所に、見目の整った優男が立っていた。しかし、着ている衣服はメイドの制服だ。サイズの合わないドレスの釦を開けて、大胆に胸元を露わにしている。
断崖絶壁、見間違いでもなんでもない。
言葉を失くした男に対して、優男は科をつくって「いやん、変態」と身体をくねらせる。
筆舌し難い不快感に襲われ、一瞬で鳥肌が全身を覆う。
「ま、まさか・・・お前がさっきのメイドなのか・・・・・・っっ!?」
青冷めて確認すると女装した男は、くつくつと笑いを漏らした。
「せーいかぁーい!可愛かったかあ?残念だったなぁ、男でよぅ。まぁ立ち話もなんだし、座ったらどうだ?床にでもなぁ」
片手に持つナイフの先を床へと指し示す。
口元を引き攣らせながら男はジリジリと距離をあけた。
「何が目的だ?金か?」
金品が目的であるなら話しが早い。逆にそうであって欲しいという願望を込めて、行動に移る。優男が反応を返す前に、宝石が散りばめられた指輪を外して相手の足下に転がした。
「本物の石だ。それを売り払えば、贅沢をしても半年は食うに困らんだろう」
「え?何くれんのぉ?ラッキー」
身軽に指輪を拾い、奴の手の中で蝋燭の灯りに反射して宝石が七色に瞬いた。
「ま、金が目当てじゃないんだけどな!」
懐に指輪を確りとしまい込んだ優男は本来の目的を語り出す。
「なにっ!?」
しまわれた指輪を恨みがましく目で追えば、煙に巻くように科をつくって「変態」と罵られる。あまりの気持ち悪さに男は指輪を諦めて、また一歩、女装した変態と距離を置いた。
「ーーあんた、えれえ別嬪さんを匿ったろぉ」
後ろ手に机へ手を着いて優男は視線を向けた。赤銅色の瞳が愉快そうに細められる。
「別嬪」という言葉を聞いて思い当たる人間と言えば、女しかいない。男は努めて平静を保って返した。
「知らんな、何のことだ。この間、国吏に突き出した女のことか。そいつのことなら、私は匿いも何もしていない。奴には、領民を無意に殺されとんでもない目に合わされたんだ!!匿うどころか恨む理由の方が山積しているよ」
犯人とは何の関係もなく、苦労の末に犯人を取り押さえ、国の使者へ引渡したという用意された筋書きを披露した。
一通り説明をし終えて「それよりも、お前は何者だ」と改めて問い返す。
相手は片方の口端を器用に引き上げ、暢気に頬をかいた。いくら問い詰めてもはぐらかすだろうと見当をつけていた男は次の瞬間、驚駭する。
「俺は、アンタを殺しに来たんだ」
驚きに呆けた男を前に、優男は話し続けた。
「ほんと、救い難いよなぁー。アンタは二度、救いの手が差し伸べられたのに何方も払い除けたんだぜ?」
「気付いていたか」と問われるが、言葉は男の耳を通り過ぎる。
呆気に取られる男を無視して相手は話し続けた。
頭に意味のある言葉として染み込んできた頃には、情けなくもその場に立ち尽くすしか男に残された手段はなかった。
「一つは、ここに国吏が来た時。二つはアルメリアの使者が来た時。アンタは真実を語るべきだった、結果として、間接的にアンタの行動が多くの人間を死に追いやったんだからなぁ」
優男は机から離れ、窓に引かれたカーテンを捲る。
窓の向こうは、絵の具を塗りたくったように深い黒闇が広がっていた。
「それも、笑えることに小手先で誤魔化そうとしやがる。アンタのやったことは結局の所、この国に対する裏切りと同じなんだってよぉ」
振り返って男を見る。笑っているにもかかわらず、その瞳は乾いていた。
男は今度こそ、目の前の人間に対する気味悪さに息を呑んだ。
思わず逃げるために扉のノブに掴みとる。
「逃げちゃあ、なんねぇよぉ」
温度の無い声が耳に届く前に、男の両足にナイフが突き刺さった。
「ぐあぁっっ!!」
勢い良く脹ら脛に刺さったナイフは脂肪と筋肉を突き破って刃先が顔を出す。
抉られる痛みに男は我慢ならずその場で膝を着いた。神経が焼け焦げる錯覚に男は呻き、歯を食いしばって耐える。
額から流れる脂汗が顎を伝い、床へ落ちた。絨毯に出来た黒い染みに今更「後悔」という言葉が浮かぶ。
優男がゆっくりと歩み寄り、男を見下ろした。無様にも床で蹲る男を見る目は、冷淡だった。
「・・・・・・っっ・・・!何時から・・・、何時からだ?王は何時から私を怪しんでいたんだ・・・」
「国に対する裏切り」と目の前で悠然と立つ彼は、そう口にした。
国と同義となるのは、王家だ。
今まで男は王家と積極的に繋がりを求めなかった。下手に目を付けられてしまえば、厄介極まりない。片田舎の貴族の一員くらいの位置付けで男にとっては十分であった。
「そりゃお前・・・、ちぃっとばかりの悪さはあちらさんも目ぇは瞑るさ。全部咎めてたらキリがねぇからなぁ。でもなぁ、あんたが別嬪さんを野放しにしてたもんだからよぅ、大切な国民が大勢おっちんだ・・・。そりゃぁダメだろぉ、ダメだなぁ。アンタは選択を間違っちまったんだ」
選択ーー・・・・・・間違っているというのなら、最初からだった。あの女を手に入れたことが間違いだったのだ。
あの美しい魔女に、心臓を捧げてしまった。
「使者が捕らえる前に別嬪さんを逃がしちまうし、別の奴を犯人に仕立てあげようとするし・・・・・・。もう分かってるとは思うが、言い逃れは無駄だぜぇ?上のお偉方は、最初っからアンタの力を殺ぐつもりで動いてたんだからよぅ。本来なら、貴族の権利を剥奪して、アンタは命だけでも助かるはずだったんだぜ?けど、別嬪さんを何処に逃がしたか足取りが掴めなかったからなぁ、アンタが謹慎処分中に接触するのかと思えば、とっくにその女は死んじまってたっつぅオチだったわけだけどなぁ・・・」
「皮肉なもんだねぇ」と優男は独り言ちる。
「よく喋る奴だ。いいのか?私を殺すのだろう・・・」
男は強気に言い返した。片眉を器用に上げて優男は腕を組み此方を一瞥する。その小馬鹿にした態度さえ、今はもう気にならなかった。
女が死んでいると聞いても、もう男は取り乱すことは無かった。他者に指摘され漸く、逃げを打つ思考が現実に向き直る。
「・・・・・・そうか、アイツは死んだのか・・・」
不思議な気分だった。
再度「死んだのか・・・」と小さく呟く。己の余命を受け入れる病人のように、男の心は凪いでいた。しかし、次第に胸中を昂奮が駆け巡る。
「・・・は、ハッハッハッハハ!!」
男は我慢しきれず笑いだした。
愉快だった。
過去を振り返り、大事にしていた女一人に狂わされた己の滑稽さときたら、喜劇として取り上げられてもおかしくない。
「へっ、聞こえてるか分からんがよ、俺は殺す相手にゃしっかりと理由を説明してやる派なだけさぁ。さて、こんな茶番もそろそろお開きとするか」
そう言って、彼はスカートの裾から短剣を取り出した。
男は視線を床に落としたまま、揺らめく蝋燭の影を見つめる。ゆっくりと動き出す影を男は受け入れた。
「いい夢見れるよォに、てめぇの神にでも祈りな」
この世にいるのは女神だけだ。
男の心を奪った、愛しき魔女ーー・・・・・・
「ファムリリス、地獄で会おう・・・」




