【三章】報酬
彪鬼を討伐してから一週間と少しの間を置いて、私達はセグファレス・ド・アルメリアの邸に訪れていた。
広大な領地を囲う鉄の門を越えると、従僕に案内されて手入れの行き届いた庭園を抜け、漸く豪壮な邸の正面玄関に辿り着く。
普段よりは幾分か身なりを整えて、ティアラと私は今日を迎えた。
魔物と戦うよりも、正直こういった格式ばった場面の方が何倍も老体に堪えた。
陰鬱な気持ちを抱えて玄関へ歩を進める。
玄関ホールでは、既に数人の使用人が待ち構えていた。
「本日はご足労頂きまして、誠にありがとうございます。この邸内については、執事であるこの私ーーアシュタント・フォーグがご案内致します」
アシュタントはロマンスグレーの髪を後ろに撫で付け、柔和な物腰で挨拶した。年齢は50を過ぎたぐらいだろうか。きびきびとした動きには、老いを全く感じさせない。
アシュタントは、私とティアラの手荷物を自然な流れで他の使用人に任せ、「では、応接室へとご案内致します」と歩き出す。
玄関ホールに置かれている精巧に細工された椅子とテーブルを視界に入れ、些か足取り悪く着いて行く。
玄関ホールで用件を終わらせて欲しかったのだが、そういう訳にもいかないらしい。
玄関ホールから右手の通路を歩いて直ぐの場所に応接室へと繋がる扉がある。
「こちらになります。どうぞ、お好きな席におかけください」
開かれた応接室には、街長のシリアスにギルドマスターのユーリス、その右腕のチェカが先に在室していた。
他にもちらほらと魔物討伐に関わった顔ぶれが並ぶ。また、部屋の真ん中に置かれた長机にはフルーツからケーキ、サンドイッチと間食が並べられている。
「よう!元気にしてたか、お二人さん!」
私達の入室に気が付いたユーリスが片手を上げて「こちらに来い」と手招きをする。
招かれるままに進もうとした私達の足が、あまりの光景にピタリと静止した。
ユーリスは、蜜のたっぷりかかったパンケーキなるものをフォークに刺して、豪快に口へと運んでいた。
部屋に漂う甘い香りと光景に見るだけで胸焼けがする。
なによりも、熊顔の筋肉達磨が嬉々として女性の好むパンケーキやらパフェを食べる絵は、視界の暴力と表現して差し障りなかった。
見るに堪えない、反吐が出る。
誰かこの熊に蜜壷でもぶち当てて気絶させろ。
と念じた所で、通じるはずもない。
「いやぁ、ここのデザートは美味えなぁ!街にもそうそうこんな美味いもん出せる店は無いぞ!!」
「あらまぁ、ギルドマスターさんったら甘い物がお好きなのね」
ティアラもこの視界の暴力に一瞬たじろいだものの、直ぐに平静を取り戻し、勧められるままにユーリスの向かいの席に座った。
私は窓際に立ち、胸焼けする光景から目を離した。
私と同じく数人が窓際に立っていることから、同じ気持ちなのだろう。誰も彼もがげんなりとした顔をしている。
「もうっ!ギルドマスター、食べ過ぎです!!少しは礼儀作法というものを覚えてください」
「まあ確かに、砂糖の摂りすぎも良くないだろうし。大事な話しの前ですからね、程々にしたほうがいいですよ?」
チェカとシリアスがユーリスを挟む形で横に座り、それぞれが奔放すぎるユーリスを窘めた。
「ちぇっ、折角堂々と甘いもんが食えるってぇのによ・・・」
唇を突き出してユーリスは一皿食べ終えると、未練がましい目をテーブルに向けたまま渋々ながらフォークを置く。
ユーリスの口元には、生クリームが残されていた。
そのドジっ子属性に腹が立つのは、私だけだろうか。
チェカが直ぐ様「見苦しい」と言ってナプキンで拭き取った。傍目に見ても、子供の面倒を見る親のそれだ。
「あはは、お熱いですねぇ」
シリアスが暢気に笑って茶化す。
「そういうのではないですから・・・。はぁ・・・、とっととこの上司の手綱を引く相手ができたらいいんですけど」
ため息混じりで否定するチェカの肩を乱暴にユーリスが叩く。衝撃でチェカの顔が豪快に歪んだ。
「ホントだよなあ!おりゃあ、こんなに良い男なのにモテねぇとは、世の女共は見る目がねぇよなあ」
自分自身で言い切ったユーリスに、室内で会話を聞いていた全員が「そういう所だろう」と胸中でつっこんだ。
そうこうしている内に、アシュタントと共にセグファレスが入室する。
「忙しい中、来てくれてありがとう。さあ、座ってくれ」
セグファレス・ド・アルメリアは、20代とまだまだ若い。軽くウェーブを描く髪を後ろに遊ばせて、薄水色の髪が光に輝いた。
「先の魔物討伐の件は、皆さんの協力があって成せたことだと理解している。ありがとう、後程報酬を贈ろう」
セグファレスの合図で、銀盆に金貨を詰んだアシュタントが前に出る。
盆一杯、山なりに詰まれた金貨の量に驚いてか、誰かの生唾を飲み込む音が耳に届く。
「ーーだが、先に大切な話しをしよう。アシュタント」
金貨を白い布が覆い、再びアシュタントが布を上げると、そこには透明の水晶が鎮座していた。
何の変哲もないただの水晶に、室内にいる者の視線が集中する。アシュタントが水晶を撫で、魔力を流すと淡く発光し始めた。
ざわざわとした人の息遣い、鎧の擦れる音、夜鳥や虫の鳴き声が水晶から流れる。
「なんだあ?こりゃ」
ユーリスが首を傾げ、水晶を指差す。
「まぁ、聞いて欲しい。録音機のような物だよ」
セグファレスは水を一口含み、優雅に長い脚を組んだ。
聞き終えるまで取り合わないということだろう。
他の面々も、不承不承水晶から発せられる音に耳を澄ます。
『ーー魔物よ、貴様はここで死ぬがいい』
突如、私の声が虫の鳴き声に割り込む。
その言葉は、私の海馬を刺激した。
瞬きをする合間、脳裏にあの魔物の姿が過ぎる。
『私は人の泣き叫ぶ声が好き。己は人の柔らかい肉が好き。僕はみぃんなで遊ぶのが好き』
純粋なまでの悪、人々の心に真の畏怖を刻み付けた妖艶な女が、両の腕を広げ、目の前に立っている。
居るはずかない。
しかし、あの場に居合わせた全員が警戒するように部屋中に視線を送る。
『ーーでも、いっとう好きなのは貴方達の恐怖の心。ねぇ、もっと見せてちょうだい貴方達の壊れた姿を見せて、汚い声で囀りなさい、憐れに助けを乞いなさい。絶望のその先にある幸福を教えてあげる』
チェカが自身の体を守るように抱きしめる。自然に、無意識に、彼女の本能が未知の恐怖に対してみせる防衛反応であった。
女の言葉は、既に過去のこと。
まやかしに過ぎない。
『ーー私の名前は彪鬼、貴方達の心を支配する存在』
だというのに、鈴を転がすような美しい声がこの場を完全に支配する。
誰も彼もが言葉を発することなく、薄らと汗を浮かべ、水晶を見つめる。まるでこの玉の中に、奴が紛れ込んでいるのでは無いかと恐れているかのように。
『さぁ可愛いお人形さん、次は一体何をしてくれるの?・・・・・・あらやだ、なぁに緊張しているのかしら、つまらない子達ねぇ。だったら、私が遊んでもいいわよねぇ』
私達を嘲笑うかの如く、女の軽やかな笑い声が響く。それは、今日の天気だとか美味しいデザートだとか他愛も無い話しをしているようなあどけないものだった。
布が破けるような、パキパキと骨が外れるような音、その後に何か重たい物がドンッ!と地面に落ちる音が空気を振動させる。
息を呑む者、叫び声を上げる者、ジリジリと後退る者が瞼に浮かぶ。
私達は皆、あの夜の場に戻っていた。
ーーそうだ、私はあの時、女の皮を脱いだ魔物の胸に剣を突き立てた。
血濡れの獣が距離を取り、その拍子に取り囲む人間の身体に血の雨が降りかかる。黒血が皮膚に飛び散り、自身の身体を蝕んでいく。
彪鬼も、血も、守るべき存在も今はいない。
だというのに、辺り一面にあの噎せ返る程の鉄の臭いが充満している気さえした。
「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
恐怖に耐えきれなかった人間の叫び声は、あの夜をなぞる。
それは水晶から流れる叫びとあわさり、不協和音として我々の耳を苛んだ。しかし、これが現実へと私達を引き戻した。
はっとして叫び声の主を見ると、部屋のドアノブを掴み、必死にこの場から離れようとしている。しかし、その身体を後ろから長身のメイドが羽交い締めにしており、逃げようにも逃げられないようだ。
「はぁ・・・、ーー隊長殿、パーヴィッド隊長、正気に戻りたまえ」
セグファレスが声をかけると同時に、メイドがパーヴィッドの顔を平手で打つ。パンと乾いた音が部屋に響き、パーヴィッドは衝撃で絨毯に倒れた。
憲兵隊隊長のパーヴィッドは、薄くなった髪を振り乱し、全身をガクガクと震わせる。筋肉と脂肪に覆われた巨体には、あちこちから滝のように冷や汗が流れ落ちていた。
「・・・・・・っっ!し、失礼した」
部屋中の視線を集めて、パーヴィッドは漸く我に返り、メイドに連れられ部屋をあとにした。
パタンと扉の閉じる音を聞き、セグファレスは椅子に座り直す。レモングラスの瞳には、呆れの色が濃く広がる。肘掛けに肘をつき、掌に顎を乗せてゆっくりと一同を見返した。
「これは我が一族の家宝である魔道具です。現実にあった出来事を記録・再生することができるんだが・・・・・」
言葉を切って瞼を閉じる。長い睫毛がふるりと揺れて上にあがる。
「ーーシリアスが気を利かせて、バールハイト殿とベルナード殿、このお二人の協力を事前に仰いでいなければ、あの魔物は倒せなかっただろうね。私は大変ガッカリしている。この街の冒険者にも、憲兵隊にも、それこそこの街の戦力である国境防衛軍にも・・・ーー失望した」
招喚された人々は、怒りのあまり非難の目を向ける。
貴族相手に不満を口に出すことも出来ない。だが、若い相手だと見くびって、血気盛んな人間にいたっては仏頂面を曝している。
「ふんっ、領主様よぉ、その言い様はないぜ!!俺達は戦った!確かに情けねぇこともあったろうさ、だけどよ、あの一部分を切り取って責められちゃこっちもたまったもんじゃないぜ」
礼儀も無視し、無知を前面に押し出してユーリスが不満を垂れる。私を含めた全員があまりに無礼な態度に絶句した。
言葉を失った私達を見てどう思ったか、ユーリスは「言ってやったぜ」と満足した顔で腕を組んだ。
その顔をチェカが殴り飛ばし、シリアスが平身低頭して謝った。
「すいません、すいません!!彼に悪気があったわけじゃないんです!!悪気がなかったからと言ってこんな歳食ったオッサンが無知厚顔に振る舞うのを許せないとは思いますがっっ!!本当にもう、戦うことしか彼には得意なことがなくて・・・っ!あと甘い物が異様に好きなただのオッサンなんです!今回!今回だけでいいのでその広い御心で許してはいただけないでしょうか!?今後は、私とチェカさんとで彼を躾ますからっっ」
ユーリスは床に倒れこみ、チェカとシリアスが必死の形相で頼み込んだ。
「ふっ・・・ははははは!!」
緊張をはらんだ空気は瞬時に消し飛び、我慢がきかないという風にセグファレスが口元を押えて笑いだす。
呆然としていた者達も、次第にハリのある笑い声に誘引され、表情をゆるめた。
「はー・・・、失礼。あまりにも面白い見世物だったものでね。・・・ふ、ふふ・・・」
引き攣く口端を誤魔化すように咳払いして、セグファレスは言葉を紡ぐ。
「正直、私は礼儀作法なんてもの、君達に求めていない。勿論、品位ある立ち居振る舞いが求められる時もあるだろう。それはその時に出来ればいい。常時、私が君達に求めるのは、民を守る強さだ」
「君達はこの領地の要だ。私は政で民を守っていく、けれどそれだけでは足りない。私の足りない部分を補うために武によって、私と共に民を守って欲しいとそう願っているよ」
ーーだからこそ、今回、君達の力を見極めさせてもらったーー
シリアス達は、口を噤む。
セグファレスは確かに若く、この領地を先代から引き継いだばかりだ。
彪鬼の存在が知れた当初、シリアスは領主であるセグファレスに確認するよりも前に、ティアラとそして私に協力を仰いだ。
すなわち、信を置いていなかった、ということだ。
これは、シリアスだけでなく国境防衛軍や憲兵隊らも同様だろう。皆、気まずそうに視線を逸らしている。
だが、これらを見越して彼は、シリアス達の自由にさせていた。敵を倒すという結果だけでなく初動から全て、彼等を評価するために。
「・・・まぁ、こういうのは強制するものではないな。私の話を聞いて、私と共に民を守るかどうか、君達自身で答えを出して欲しい。ーーその上で、杯を共に出来る時を楽しみにしている」
セグファレスが指を鳴らすと部屋の扉が開かれる。アシュタントが先導して「別室にて報酬をお贈りします」と銀盆を片づけて颯爽と歩き出した。
アシュタントの背を後ろ髪引かれる思いで皆がぞろぞろと着いて行く。
「おや、貴方方は報酬は要らないのですか?一番の功労者だというのに」
セグファレスは器用に片眉を上げる。
私とティアラは、他の者が出て行くのを見届け、口を開いた。
「そんなものは不要だ、と言いたい所だが、受け取っておこう。こういうやり取りが必要なのは理解している。
「・・・大変よねえ、地位ある人というのは・・・」
「はは、バールハイト殿もベルナード殿も本当にお優しい。・・・・・・この度は私が腑甲斐無いばかりに、迷惑をかけてしまい心苦しく思っています」
薄水色の髪が揺れ、彼の伏せた顔にティアラは眩しそうに瞳を細めた。
親しい者を見るような、思い出を楽しそうに振り返る彼女の姿に、永い時をお互いに歩んできたのだと身に染みて感じた。
「・・・・・・貴方のお顔は、お父様やお祖父様にそっくりだけど、その瞳はお祖母様譲りねぇ・・・」
しみじみと語る彼女にセグファレスが驚きの声をあげる。
「お会い・・・、したことがあるのですか」
「貴方のお祖母様とは、古い友人でね、もう遠い世界へ逝ってしまったけれど、私にあの場所を与えてくれたのよ。とても面白い人だったわ」
ティアラの交友関係を思い返し、そういえばこの領地へ嫁いだ娘がいたなと記憶が甦る。
薔薇のような深紅の髪、つり上がった目と傲慢な態度から、貴族連中から敬遠されていた。ティアラの言うような面白い人間であったかどうかは、話したことも無い為、判断できない。
「お祖母様の次は貴方のお父様、そして次に貴方が、あの子達を守ってくれるのね。とても、頼りにしているわ」
ティアラは、嬉しそうに笑った。
「ーーはい、バールハイト殿。次はセグファレス・ド・アルメリアがこの領地を守護します」
レモングラスの瞳が外の光を受けて煌めいた。




