【三章】おやすみおやすみ、また逢う日まで2
彪鬼=アムス・オルコは、不思議な感覚に包まれていた。
本来であれば胴体を切断され、心臓にも確かに刃が通り傷付けられたというのに、痛みは遠く、身体も二足歩行に慣れて飛んだり跳ねたり出来るようになった。それだけ激しい動きをしているにもかかわらず、体液と中身が少々溢れるだけで意識も力も落ちることはない。
皺が深く刻まれた逞しい腕に抱かれて眠っているアルレルトを認め、安堵の息を吐く。
無駄に急所を狙うのが上手い年老いた男は、アルレルトを「守る」と言う。証拠に、未だアルレルトを離さず片腕で彪鬼を殺そうと剣を振るっていた。
アルレルト・・・、アルレルト・・・
なんて、いい響きだろう。
彼のことを考えるだけで思考が蕩ける。
アルレルトの笑顔を見ていたい。
出会えてよかった、アルレルトに沢山のものを貰った。
アルレルトに沢山の美味しいを貰った。
叶うなら、この先もアルレルトを守っていきたい。
アルレルトを抱く初老の男に僅かばかりの嫉妬が生まれ、臍を噛む思いで見つめる。
この先、アルレルトを見守ることは出来そうになかった。痛みが鈍くとも、彪鬼の体から多くの血が流出し、半身が切り取られれば、幾ら魔物と言えどひたひたと近寄る死の足音から逃げることは敵わなかった。
だから、願った。
『ーー貴方様の、明日へ繋がる糧になりとうございます・・・』
アルレルトとは別の高位の存在に。
そして、それは叶えられた。体から何かがごっそりと抜け落ち、確かに彼と繋がったという感覚が今も残っている。
男から鋭い一撃を肩に受け、回避が遅れ、氷の刃に全身を貫かれる。
彪鬼は力任せに冷たい刃を引き抜いて、相手へと投げ返した。
男は無言で彪鬼を睨み、躱す必要のない反撃を躱す。
アルレルトの守護者を彪鬼が本気で殺そうとするはずがなかった。彪鬼はただ、アルレルトの為だけに、ここで死ぬ運命へとひた走っていた。
辛くないと言えば嘘になる。
しかし、己は名前を授かった。坊でもファムリリスでもなく己だけの名前。
彪鬼の体から確かに命の欠片が抜け落ちるが、歓喜が力を齎し続ける。
だから、立つ。
だから、走れる。
だからーーーアルレルトが幸せになる道を手繰り寄せた。
強い眼光をはなつこの男なら、アルレルトの為に動くだろう。
さあ、あとほんの一息。
無様で醜い暴れ方をしてやろう。己の魔物を貫き通そう。
彪鬼が男から距離を取ってふと気付く。あれだけ多くの人間が武器を携え、囲んでいたというのに、その姿は森の茂みや街の方へと隠れてしまっている。
この場に残るのは腰を抜かした間抜けと己達の殺り合いに横槍をさせずやきもきしている鈍愚だけだ。
やはり人間というのは矮小な存在らしいと呆れを覚えた。
「ウル爺よぉー、きぃーつけてなぁー!!」
後方から、間延びした緊張感の抜けた声が降りかかった。
振り返ろうとした彪鬼の頭部に瓶がぶつけられた。気配のない奇襲は一つ、二つ連続して身体中に投げられる。衝撃に瓶が割れ、その中身で全身が濡れそぼった。
独特の香り、息を吸い込めば鼻の奥がかっと熱くなる。
声の方向へ視線を送る。
だいぶ離れた木の上、枝に腰掛けた歳若い男ともう一人、見覚えのある人間が火矢を放つ。
視線が、かち合った。
『フォ゛ルズヴウ゛ゥ゛ゥ゛ゥゥゥ!!!』
憎々しさに叫んだ瞬間、空気を裂いて眉間に矢が突き刺さる。
火種となって、それは彪鬼の身体を縦横無尽に這っていった。広がる火の速さから、かけられた液体が酒であると思い至る。慌てて払おうとするが顔に、胸に、腕に、足に、蛇のようにまとわりつく。
あの男!あの男・・・っっ!!生きていたのかっっ!!
彪鬼は最後の力を込めて地を駆けた。
炎に包まれた身体が悲鳴を上げる。
焼けた肌が血を吐き、それも熱によって蒸発し、肉が燃え落ち、所々骨が露わになる。身体からはみ落ちた内臓が炭化して、点々と醜い軌跡となった。
その姿はまさに悪魔、化け物と称される以上の畏怖を人々に植え付けた。
彪鬼が跳躍してフォルスがしがみつく木の上へと舞い上がり、拳を放つ。
しかし、彪鬼の拳は宙をかいた。
「はっはーっ!怖ぇーえなぁー、おい!!」
フォルスの首根っこを掴み、若い男が笑う。その瞬間、男とフォルスが消え失せた。
彪鬼が枝に降り立ち、炎が居場所を求め木に燃え移って行く。
視力も落ちた目で懸命にフォルスを探すが、もう何も見えなかった。
「ーーもう眠れ、彪鬼よ」
メラメラと燃える音に紛れて男が引導を渡す。
胸に太い杭を打たれ、反射で藻掻く。手足をばたつかせても木に張り付けられ、身動きが取れない。
酸素を求めて、フォルスを求めて、アルレルトを求めて極限まで手を伸ばす。
『喰い゛た゛か゛った゛な゛ぁー・・・』
彪鬼は笑った。
笑って逝った。




